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2009-08-03 | フィリピン
マルコス独裁政権を「ピープル・パワー」が打倒したエドサ革命から21年。
今、フィリピンはどこに向かっているのか。
 「ピープル・パワー」や「EDSA革命」として知られる1986年2月22日の革命で、国家警察軍司令官だったラモス元大統領は、国防相だったエンリレ氏や将校、兵士らと、マルコス政権に反旗を翻した。

 フィリピン軍本部からESDA通りを挟んだ警察本部に追い詰められたラモス元大統領とエンリレ元国防相は、ラジオを使って革命への支持を求め、数十万人の国民がこれに応えた。数日間にわたり、牧師や尼僧、一般市民や子どもたちが革命を支持し、武器を持たずに政府軍の戦車や機関銃と対峙した。そして2月25日、マルコス元大統領は家族と共に国外に脱出、コラソン・アキノ(Corazon Aquino)氏が大統領に就任した。


1977 ベニグノ・アキノ元上院議員に死刑判決(大統領特赦にて終身刑に)。
1980 ベニグノ・アキノ元上院議員、アメリカに亡命。
1981 デューイ・ディー事件(金融不安へ)。戒厳令停止。フェルディナンド・マルコス再選。
1983 ベニグノ・アキノ元上院議員、マニラ空港(現在のニノイ・アキノ国際空港)で暗殺される。葬儀に200万人の市民が参列。
1985 コラソン・アキノ大統領選出馬表明。野党連合成立。
1986 エドゥサ革命、コラソン・アキノが大統領に就任。マルコス夫妻ハワイに亡命。
1987 上下両院復活、国民投票で新憲法制定。マルコス忠誠派、国軍改革運動派の反乱、クーデター事件。
1989 フェルディナンド・マルコス、ハワイで死去。軍反乱事件。
1990 ルソン島北部の都市、バギオで大地震発生し、多数の死傷者。
1991 ピナツボ火山噴火。米軍基地撤廃を決議。マリクリスシオソン、福島で劇症肝炎で死亡。センターティなー派遣停止になる。
1992 フィデル・ラモス、大統領に就任。米軍撤退完了。


マルコス亡命後、大統領官邸ではイメルダの3000足の靴をはじめ多くの贅沢品が発見された。同時に国内外に不正に蓄財した数百億ドルの財産の全貌を明らかにされた。「マルコス文書」がアキノ政権によって公表された際、これには日本の商社・コンサルタント会社などが「経済援助」計画を通じてマルコスに多額のリベートを支払ってきたことが書かれてあった。しかし日本政府は「マルコス疑惑」の解明を妨害している。

 ①サロンガ委員長、日本に調査を依頼→サロンガが来日を希望するが日本政府は拒否

 ②アキノ新政権がしつこく日本の「援助」のあり方を追求するならば今用意されている「援助」はうち切ると圧力をかけた(86年アキノ来日時に800億円もの円借款を約束)

これは今でも噂される在マニラ日本大使館の黒い噂ともいえます。

 フィリピンは21年前と変わっていないと、フィリピン大学(University of the Philippines)の政治学者Clarita Carlos氏はいまだにこのような話をしています。
「変わったのは、主要な役割を担う人たちが年を取ったということだけだ」なるほど考えさせられる話でも。
変わったといえば、米軍駐留がさまざまな弊害をもたらしたこの場所すービック。極東最大の米海軍基地がかつて置かれていたスービックが外資系企業を受け入れる一大経済特区になった。そのほかに何があるのだろう?
移住労働者問題、漁業・農業問題、民営化問題、日比FTA問題、WTO問題などいまだに多くの課題を残すフィリピン。
年々外面とは裏腹に貧困が進む下級層。最近の犯罪事情を見ると実態がうかがえる。貧度が上がると犯罪が増える。まさにそのとおりかもしれなくなってきた。

第11代フィリピン共和国大統領 コラソン アキノ(在職1986年 - 1992年)
主婦業から大統領になり、国軍の反乱はじめ反乱万丈の6年間だったかもしれません。

哀悼の意を表します。

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3 コメント

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Unknown (nga-nga)
2009-08-03 15:01:11
 Clarita Carlos氏(女性?)のコメント、考えさせられますね。
 在比10年になりますが、庶民の生活が、この10年間で改善された、という気になりません。あいかわらづの腐敗、汚職天国のようですkasi。比人知識人がそうおっしゃているのなら、あながち小生の印象も的をはづれてないようです。故人は、大統領としての評判は、必ずしも有能ではなかったようですが、在任中、汚職のニュースはなかったように思います。政治経験ゼロから大統領に、腐敗、権力闘争に無縁の立場からその真っ只中に。あの時、S.ラウレル氏が大統領になってた方が、彼女自身、幸福だったかも?
ご冥福をお祈りします。                                   p.s.
貴兄のブログでいつも勉強させてもらってます。いつも驚かされるのは、豊富なデータ、どうやって収集されるのですか?○ベニさんのこととか。

           
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Unknown (nga-nga)
2009-08-03 15:01:12
 Clarita Carlos氏(女性?)のコメント、考えさせられますね。
 在比10年になりますが、庶民の生活が、この10年間で改善された、という気になりません。あいかわらづの腐敗、汚職天国のようですkasi。比人知識人がそうおっしゃているのなら、あながち小生の印象も的をはづれてないようです。故人は、大統領としての評判は、必ずしも有能ではなかったようですが、在任中、汚職のニュースはなかったように思います。政治経験ゼロから大統領に、腐敗、権力闘争に無縁の立場からその真っ只中に。あの時、S.ラウレル氏が大統領になってた方が、彼女自身、幸福だったかも?
ご冥福をお祈りします。                                   p.s.
貴兄のブログでいつも勉強させてもらってます。いつも驚かされるのは、豊富なデータ、どうやって収集されるのですか?○ベニさんのこととか。

           
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暇人 (PP)
2009-08-05 18:12:11
nga-nga様 いつもコメント有難うございます。
反乱ばかりの任期。そして様々な天災など本当に激動の6年だったと思います。
ただし、この任期期間中の側近は凄まじい連中ばかり。その連中が得た利権は相当のものですね。表に出なかっただけの話ですが。
データ収集ですか、なんてことはないです。暇なだけです。
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