ぐーぐーぽさぽさ日記

化粧落とさず風呂ガス切らず、
オマエ百までワシャ九十九まで。

8子inタイランド/旅のトラブル編

2007年10月30日 21時48分30秒 | たい
ある日ブラブラしていると、一人の女の子から声を掛けられました。

掘った芋いじくるな。

・・・・・ハイ?


あ。あー、
What time is it now?” ね・・・。

「10時ちょっと前だよ。」
と教えてあげたのをキッカケに、彼女はイロイロ喋り出した。
フィリピンのマニラから来たと言う彼女はバンコクが初めてとのこと。

そして、私が日本人だと知ると、急に流暢な日本語で話し始めた。
「どうして日本語が話せるの?」
と聞くと、“日本に行きたくて勉強している”と。

「でもぉ、“あいうえお”、“かきくけこ”・・その後からわからない~。」
是非教えて欲しいと言う。

こんなペラペラに話せるんだから、今さら五十音なんて覚えんでいーやん。
とチョット不審に思いながらも、
かつてミラノ滞在時にお世話になったフィリピン人家族の人の良さを思い出し、
私も 知ってるタガログ語を披露したりしながら仲良くなった。

途中で彼女のお姉さんも合流。
日本語は全くダメだけど、見るからに人の良さそうな感じのイイ人。

3人でデパートの中を冷やかし終わると、
「叔父さんがバンコクに住んでいて、私たちは旅行中ソコに泊まってるの。
 今から来ない?日本語教えて~。」
と誘われたけど、午後からスコータイに行き3日間戻らないコトを告げると、
「じゃあ、戻ったら電話して。一緒にウィークエンドマーケットに行こう!」
と、携帯番号を教えてくれた。
ウィークエンドマーケットは私も必ず行くつもりだったから、
「OK!」
と返事をして受け取った。お姉さんは
「戻ったら宿は取らずに叔父さんの家に泊まればイイわ。」
とも言ってくれた。

3日後、スコータイから戻った私は 早速彼女に電話し、再会。
週末にウィークエンドマーケットに3人で行き、その後彼女達の叔父さんの家へ。

手料理を振舞われ、たくさんご馳走になった後、
私はついウトウトと眠ってしまった。

目が覚めると周りには誰もおらず、
傍に置いておいたはずの私の荷物も消えていた。



・・・・・・・やられた!









・・・・・・・というのはウソでして、
私は彼女の叔父さんの家になんて行っていません。(え?判ってたって?)
誘われて、携帯番号受け取ったまではホントだけど、
スコータイから戻った後 電話はしませんでした。

いくら、過去に危険なコトが一度もなかったのが不思議なくらいの
すぐに仲良くなるフレンドリーな海外版8子”といえども、
私だって、人と状況は見てます。一応。

だいたい、初めからオカシイ。
なんで私に近づいたのか?仲良くなって日本語を教えて欲しいから?
だったら、日本人と判っていたコトになるから
英語で話しかけてきて「ナニ人?」と聞くのは変。
そもそも、日本語が上手すぎる。
絶対に“独学”の話し方じゃないもん。完全な“話し言葉”だもん。
それに、独りならまだしも、お姉さんといるのに更に外国人の連れが必要か?


まー、百歩譲って、
ホントに“日本が好きで日本人の友達を作りたい”から声掛けたんだったとしても、
何かあってから後悔するよりは 警戒しすぎるくらいの方がイイでしょ?

この手のトラブルは多いらしいですから。

皆サンもお気をつけあさーせ。



ブラックリスト

2007年10月30日 10時26分01秒 | たい
スコータイから添付写真で“日焼けした前足”を送りましたが、
今回の焼け方は
成人してからの私の日焼け史上 最黒! でございます。
(子供の頃は真っ黒になったけどネェ。)

帰国後 職場に復帰すると、意外にも
「思ったより焼けてないじゃーん」
という声が多かったけど、
皆サン、お忘れで?
私って、結構 色白でしたんよ。
今の色が普通色って感じだと思うんだけど。

スコータイからバンコクに戻った時は
タイ人もビックリ!”、
「ダレカト オモッタヨ~!
と言われました。

元に戻るのか心配な今日この頃。。。

で、現在私のカラダはどのようになっているのかというと、



このように、鮮やかな“グラデーションボディ”となっております。

濃度:強  何もまとっていなかった腕
      化粧していた顔と影になってた首・デコルテ
      半袖で隠れていた二の腕
      ノースリーブで隠れていた肩
濃度:弱  キャミソールを着ていた胴部分と腕時計の下

と色とりどり。
わ~、ハダカなのに服着てるみたーい。

自宅で独り、縞模様の腕を見つめ、
「ナニかに似てるナァ・・・」
と考えておりましたら、
ある日 仕事中に・・・・・

あっ、そうか!





 

コレだった。