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ぐーぐーぽさぽさ日記

化粧落とさず風呂ガス切らず、
オマエ百までワシャ九十九まで。

記憶

2011年06月25日 21時58分23秒 | いんど

 

思い出しましょう、思い出しましょう。

次の旅に出るまでには・・・

 

 

 


曇りのち晴れ

2011年04月20日 10時08分58秒 | いんど

さて、インド旅行記を再開。

 

やっぱり風邪気味だった私は、デリーに戻った翌日から ゆっくりブラブラと買物がてら街を散策。

ニューデリーにはオフィスビルが立ち並ぶ近代的なエリアもあり、

その中心地となるコンノートプレイスは、イギリス統治時代に造られ

このように 

まるっきりインドらしくない洗練された街並みが広がっているんだけど、

今はかつてのような活気はなく、少し廃れてきているんだそう。

 

ブラブラ歩いていても、なーんか熱っぽく調子が良くなかったので、

あんまり食欲ないけど、ちょっとお茶だけ、、、と、

「United Coffee House」という看板を見つけ、休憩することに。

スタバみたいなとこかと思って店の前まで行ったはいいけど、なんだか重々しいドア。

あれー、ちょっと違うかなぁと不安になりながら入ってみると、案の定・・・

かなり場違いな店だった。  シャンデリアって・・・

ガーン!もう入っちゃったもんねー。

バックパッカーじゃない観光客と金持ちインド人のお客さんしかいない。

私が一番みすぼらしい。。。

メニューはコース料理から載せられてて、もちろん料金もそれなりによぅございます。

おぇー、胃がコワレル。

しょうがないので、一番さっぱりしてそうなサンドイッチと飲み物(何だっけ?)を頼んで、

しばし居心地の悪いランチタイムを取りました。

でも、せっかくだから、帰りに店の前にいた守衛さん(?)をパシャッとな。

最初からこの人いたら、この店入らんかっただろうな。見るからに敷居高そうだもん。

でも、彼はとてもフレンドリーでした。

 

その後は、フラフラしながらも、眩しすぎる太陽に照りつけられクラクラしつつ、

それでも街をブラブラしていたら、露店の並ぶ路地を見つけて入り込みました。

ココは、女性陣がインドの布製品を中心に売っている通り。

インドチックな刺繍モノがわんさとあって、私には目の毒でした。

「マダム、マダム!」とひっきりなしにお声が掛かるから、ドコで足を止めるかが悩みドコロ。

結局、露店でストールを買って、脇にあった別の店で刺し子のバッグもお買い上げ。

タイ、ベトナムに続き、またしてもアジアで鞄を買ってしまった。

だってそのバッグは、欧米マダムが買ってるトコにちょうど居合わせちゃって、

「わー、それイイね。いいチョイスだわ。」と褒めてたら、自分も欲しくなったので。

「同じの、私にもおくれやす。」と言うと、店員さん、違うカラーのを見せてくるもんだから

「彼女と同じのがいいのー!」と奥から出してきてもらって、さらに値引き交渉。

「あの人はこの値段で買ってくれたよ。」 ホントかよ~?

「彼女がその値段で買おうーが、私ゃ安くなきゃ買わん。」 もう一声っ!

で、無事ゲットできた頃にはなんか身体もラクになってきてたりなんかして。。。

やっぱ、買物は楽しー!

 

 


続・バラナシ駅

2011年04月07日 20時57分46秒 | いんど

出発予定時刻の30分ほど前になって、ようやく掲示板に到着ホームが表示され、

台湾人の彼女とホームでいろんな話をしながら列車を待ちました。

彼女が売店へバナナを買いに行くと、どこからともなく

スラム暮らしと思われる全身真っ黒に汚れた小さい女の子が2人現れ、

バナナをちょうだいと言って傍を離れません。

彼女は頑なに拒み、それでも2人の女の子はニコニコしながら

なんとかおこぼれにあやかろうと、どうやら特技であるらしい側転を何度も披露して、

「ね、上手でしょ?だからバナナちょうだい。」

「私の方が上手くできる!見てて!」

と競い合うのでした。

インドの人がみんなセーターを着てる中、女の子たちは薄着に裸足。

私もインドに来てから、何度か子供にお金や食べ物をねだられたり、荷物を狙われたりしたけど、

バラナシ駅のホームにいたこの子たちは、私たちの前でずーーっと屈託のない笑顔だったのが

なんだか複雑でもあり、印象的でした。

 

そうこうしていたら、待ちに待った列車が到着し、私たちは乗り込みました。

今度のシートはコンパートメントの下段で、仕切りのない向かい側の席は

上下ともインド人男性だったので、やだなぁ・・・と思ったけど、

実際、長距離列車に十何時間も乗ってると、周りが誰であれどーでもよくなってくる。

その頃からどうも喉の調子が悪くなってきていた私は、乗車中マスクをしていたのだけど、

このマスク姿ってのは インドに限らず外国ではものすごく奇妙な目で見られるので、

もー、周りの乗客の視線がスゴイことになっていました。

 

明け方、トイレに立った私。

インド式はもちろん“しゃがみ型”なので、「よっこらせ。」とやっておりましたところ、

ガチャガチャ・・・

まさか、、、

振り向くと男性が!

尻丸出しの私、咄嗟に出た言葉が

ソーーーリーーー!!

わっはっは。

鍵、閉めたつもりで閉まってなかったのねん。シマッタ、シマッタ。

その後、見られたのはコッチなのに思わず謝ってしまった自分がオカシくてオカシくて、

ニヤニヤ笑いながら用を足してたんだけど、

よう考えると、ドアを開けたら尻丸出しの“マスクマン”が振り返った っていう

その男性の恐怖の方がよっぽどだったんじゃないかって・・・(笑)。

 

夜も明け、4日ぶりにニューデリー駅に戻ってきたのは、予定を5時間近くオーバーしたお昼過ぎでした。

最後の長距離移動にして、初めての大幅ディレイ。

風邪気味だし、さすがにクタクタ。

また重いバックパックを背負って、客引きの声をかわしながらメインバザールを行く。

台湾の彼女と連絡先交換をできぬまま、さよならをしてしまいました。

宿到着後は、またしてもベトナム旅行の時のように

「アカン、こら風邪だ。明日以降のために今日中に治そ。」

と、バタンキューでシャ乱Qだったのに、

やれ、「トイレットペーパーと石鹸持ってきたよ。」だの、「チャイ飲まない?」だの、

若い従業員が何かしら持って部屋を訪ねてくるので、

「えーかげんにせぃ!ほっといてくれ!あん?」

と、再びインド男子に噛みつく始末なのでした。

 

 

 

 


バラナシ駅

2011年04月05日 23時41分00秒 | いんど

 

バラナシ最終日、駅へ向かう足は やっぱりリクシャーです。

バラナシは細い路地が入り組んだエリアの多い街なので、

オートリクシャーよりサイクルリクシャーが目立ちます。

初めに客引きしてきたリクシャーワーラー(運転手)は若い10代くらいに見える男の子。

30Rs.(約60円)・・・だったかな?覚えてないな。

そのくらいの料金で駅まで と頼んで、走ること10分くらい?(これまた記憶薄。)

だんだんと彼のペダルを漕ぐ力が落ちていきます。

どーした?!・・・と思っていたら、しきりに後ろの車輪の片方を気にして、やがて停まってしまいました。

「壊れた。」

ナヌー!私はそんなに重かったか?

車輪が壊れてこれ以上進めんのだと。ほんなら仕方ない。

「じゃ、もうココでいーわ。でも、半分しか走ってないから半分しか払わないよ。」

と、15Rs.(多分)支払うと、困った顔で何か言う。その額じゃ不満なようだ。

「は?アンタ、駅までっつって、途中までしか来てないでしょ?だったら払えないね。」

「だって・・・壊れた・・・」

「そう、壊れた。だから駅まで行けない。アンタは約束を守れなかった。だから払わない!」

ナゼかイラッとした私は、つい強めの口調で必要以上に攻撃してしまった。

すると、そのやりとりを見ていた別のリクシャーワーラー(冒頭写真のオジサン)が、

私が荷物を背負って歩き出した瞬間に、すかさず交渉してくるのでした。

20Rs.(相当記憶に自信ない)で即OKし、乗り換えてまた駅に向かって走る。

そこからでも結構な距離がありました。

到着した頃には、日も沈みかけて、、、

あ~、楽しかったバラナシともおさらばだな。明日はデリーに戻って買物でもして、あっちゅう間に帰国だ。

とセンチになりながら、構内へと入っていきました。

私の乗る予定の列車はなかなか電光掲示板に表示されず、

何度も周りの人や駅員さんに聞きながら、不安な気持ちで待っていました。

かなりの時間・・・。

ホームの入口付近は、たくさんの人が行き来します。

と、その中のあるインド人女性が、私の顔を見て驚いたように近づいてきます。

ナンダナンダ?私、バラナシに知り合いなんていませんけど?

と奇妙に思って、向かってくる彼女をよく見ると、

ぬぁーんと!アグラからバラナシへの行きの列車で一緒だった、あのおばさん(『寝台列車でGO!』参照)でした。

なんて偶然、、、、、

だって、お互いバラナシでの滞在日数も知らなかったし、ましてや帰りの列車の時間帯まで・・・

乗車列車こそ違ったけど、おばさんにはすごく縁を感じて、

いつかまた世界のどこかで再会するんじゃないかと思わずにはいられませんでした。

(そんなコト言ったら、バンコクで会った“ケイ”もそうか。『8子inタイランド/再会編』参照)

おばさんに、列車の表示がなく困っている旨を伝えたけど、やっぱり誰もわからないみたい。

おとなしく駅員さんの言う通り、出発時間が近づくまでドキドキしながら待つことに。

そうすると、また別の人が話しかけてきました。

今度は若い東洋人の女の子。

「#+◎▲@%**・・・」

中国語。

ワタシネ、コーミエテ、ニホンジン アルヨ。チューゴクゴ、ワカラナイ アルヨ。

と説明すると、彼女はとても丁寧に何度も謝ってきた。

ベツニ、イイアルヨ。カオ、ニテル アルネ。

ジンルイ ミナ キョーダイ。トジマリ ヨウジン、ヒノ ヨウジン。

話を聞くと、彼女は台湾人で、このバラナシに留学している。

友達が台湾から訪ねてきて、その友達が帰るので駅まで送ってきたところ、

列車の案内がないので困り、駅員さんに尋ねたら

「向こうで同郷の人も同じ列車を待ってるよ」と教えられ、私に声を掛けた・・・んだそうな。

同郷ではなかったにしろ、彼女の友達と私は同じ列車に乗る予定で、

しかもチケットを見せ合ったところ、なんと座席番号も隣!寝台の上と下だった!!

またまたなーんて奇遇!

なので、その友達と私はその後一緒に列車を待つことになり、

バラナシ在住の彼女は安心して家へ戻って行きました。

めでたし、めでたし。

 

・・・・・って、まだ乗れるかワカラナイので、めでたくないんですけどー。

 

つづく

 

 

 

 


旅立ちの風景

2011年04月01日 21時28分09秒 | いんど

 

火葬場では、なんというか、いろんな思いがありました。

 

オレンジやシルバーの布に巻かれて、マリーゴールドの花飾りを掛けられ、

竹でできた担架に乗せられて次々と遺体が運ばれて来る。

この布や飾りは、その人のカーストによって豪華であったり質素であったりする。

一旦ガンガーの水に浸されるのはみんな同じで、

その後、線香を立てたり、家族が遺体を囲んで記念撮影をするのは人それぞれ。

オプションなんでしょうか?

 

それから、キャンプファイヤーのように薪が組まれたところに乗せられて焼かれる。

妻や夫らしき人が寄り添って泣き崩れているかと思えば、

誰にも付き添われずに独り灰になっていく人もいる。それも人それぞれ。

燃えているすぐ脇では、牛がマリーゴールドの花飾りをムシャムシャ・・・。

 

その風景がその場所ではあまりに日常的であることが、日本人の私にはとんでもなく非日常で、

朝シャワーの後に宿を出てきたのに、鼻を突く独特のニオイと遺体の燃える灰を浴びながら、

ずいぶん永い時間、何人かの最期を見送りました。

 

 

 

 

 


ガンガー遊覧と少年

2011年03月20日 21時07分50秒 | いんど

えーと・・・インドの話は、、、どこまで書いたんだっけ?

そうそう、プージャを見たってトコまでね。

プージャは次の夜もまた行って、別の角度から見ました。

他、バラナシで過ごした写真は 8ko'sPhotostream にて日々UP中でございます。

 

ある朝は、ボートに乗りました。

漕ぎ手は、17歳の彼。 

もう6年もやってるんだって。

写真を撮る私に合わせて、ゆっくりゆっくり川を上る。

時々ケータイからインド音楽を流しては、私が反応しないと気にして切っちゃう。

なので、あえて「音楽かけて。」と頼んだら、ちょっと嬉しそうだった。

それにしてもインド人は、老若男女みんなインド音楽が好きだ。

若者だったら洋楽なんかも聴きそうなのに、みーんなインドの曲や歌が大好きみたい。

 

彼は、私が望んでもいないのにガンガーの対岸にまで連れてってくれようとするので、

う~ん、コレはいろいろサービスしてお金をふんだくるつもりだなー・・・と思いながらも、

とりあえず少しだけのつもりで承諾。意外にも対岸は面白い光景が広がっていて、

 こーんな剃髪中の写真など撮れたりも。

ボート漕ぎの少年は、私を連れて屋台へ。

「食べる?」と言って、自分のと私の分まで支払ってくれた。

少年によると、“ボラー”というスナック。 

何度発音しても「ちがーう!」と正されたけど、カナ表記で一番近いのは“ボラー”だと思う。

米でできた、甘くないドーナツみたいなモノ。ちょっとスパイシー。

もちろん私は後から自分で支払うつもりだったけど、飲食代まで立て替えるとは

コ~レはかなりボラれるなー、とますます警戒。

でも、楽しまないともったいないしね。ココでしかできない経験を優先したい。

 

ガンガー沿いのガートでは、みんな思い思いに洗濯したり、身体洗ったり、お祈りしたり・・・。

本当に「生活の場」って感じ。

 

約束の2時間より前に出発地点に戻ってきたけど、「もういいよ。」って私は降りることにした。

トイレに行きたくなったから(笑)。

ボートがガートに到着すると、少年の兄貴だかボスだかがシャンプー中だった。

 

で、支払い。

初めに交渉した料金を払う。

「サービス・・・」と、少年。

私はスナックとチャイがいくらだったか知らないけど、足りるであろう10Rs.(約20円)を追加して払った。

寂しそうな顔で「これだけ?」と言う少年に、「これだけだよ。」と言い残して私はボートを後に。

・・・・・

追ってこない。

あれ?

もっと要求されると思ったんだけどなー。

そうなると、俄然自分がケチに思えてくる。

そりゃ、もともとの料金が彼らにしてみれば高く取ってるんだろうけど、

17歳の少年が、チップ稼ぐためにあれやこれやとサービスしてみたにも関わらず

飲食代の実費しか貰えなかったって。。。

きっとあのシャンプーしてたボスにもっていかれるんだろうから、少年の手に残るのはチップだけだろうな。

あぁ、もっとあげればヨカッタ。

ベトナムで行ったマッサージも、チップ記入制で相場が分からず、

私が書いた金額に担当の女の子ガックリしてたけど、あの時の記憶が蘇ってきた。

はぁ~、つくづく私はチップケチだ。

 

でも。

ま、次来た時、またあの少年のボートに乗ろう! それでいーや。

 

バラナシは楽しい。

ガンガー、ガート、プージャ、路地裏、寺院の参道・・・

いろんな顔があって、ゴチャゴチャしてて、動物がいっぱいで、うるさくて汚くて。

いっぱい歩いたおかげで、

足が  こんなんです。

さすが、インドのビーサン。

 

 

 

 


お金

2011年03月06日 21時50分39秒 | いんど

私が行った時のレートは、1Rs(ルピー)≒2円だったので、計算がとってもラク。

そして、インドのお金はどんなかというと、

やっぱり、英雄ガンジーです。全ての紙幣に描かれています。

コインは、ご覧の通り。

2ルピーでっす!」と言わんばかりの“Vサイン”。

素直でカワイイと思う。

 

 

 

 


来世も再来世も・・・

2011年02月27日 10時43分48秒 | いんど
18時になりました。
プージャを見るために、ガンガー沿いを歩いてダシャーシュワメード・ガートへ向かいました。
暗くなったガートに大勢の人が集まっていて、やがて儀式が始まりました。

ヒンドゥー教のお経って、歌みたい。
みんなで大合唱のようになったりして、全くの初心者である私は最初少し戸惑ったけど、
ナゼかみるみるその儀式に惹き込まれました。

ヒンドゥー教、興味深い!
神様のキャラも面白いし。


向こうに“サイババ”の写真が掛けられていますが、
一部のインド人曰く、この人は“ニセモノ”。
本当のサイババは・・・


この人だそうです。頭小っちゃい!(↑コレ、テレビでサイババの映画やってた。)

プージャでは是非動画を!と思って映してるつもりだったんだけど、
後で見たら、全然映ってない!!
またしても失敗しました。
カメラの操作、解ってなかった・・・。

で、この儀式を行っている“礼拝僧”が何人かいるんだけど、
私から一番近くにいたのが、


このイケメンでした。。。

この彼は、手の動きや所作全てが他の人より格段にキレイだったので、
かなり沢山撮ったプージャの写真の中でも、殆どこの人が写ってる(笑)。
でも、次の日の晩も同じようにプージャを見に行ったけど、
彼は出ていませんでした・・・シュン。
今日、週休? プージャ、シフト制?

そして、儀式の最後には


こうやって、火を灯した花をガンガーに浮かべて祈ります。

「グッド カルマ」だそうです。
“カルマ”の思想はインド人に強く根付いています。
来世、また奥さんと一緒になりたい海老蔵だったら、さぞかし大量の花を浮かべるかもね。

私は今世を祈りたいわ・・・。




ランチはカレー以外で。

2011年02月25日 20時34分14秒 | いんど
バラナシ1回目のランチは、
私の泊まった宿の隣にあるGanpati Guest Houseのレストランへ食べに行きました。
本当はこのゲストハウスに泊まりたくて日本から予約してみたんだけど、
満室で泊まれなかったので。

屋上レストランで、強い太陽の光を浴びながらメニューを見て、
たまにはカレーじゃないモノを食べてみようと、知らない名前を探しました。

「この“kofta”って何?」
「ん~、koftaとは・・・何て言ったらいいのかな・・・・・えーと、、、」
「ま、いいや。コレください。」

説明してもらえなかったけど、オーダーしました。
そしたら、


カレーだった。

どうりで、
「koftaだけでいいの?ナンやチャパティは要らない?」
って聞かれるはずだわ。
「え?koftaって何かに付けて食べるモノなの?」
とチャパティを2枚追加オーダーしたけど。

で、このカレーを食べ始めると、


中から何か出てきた。何かのかたまり。

あ~、“コフタ”って聞くと知らないモノだと思ったけど、
“ケフタ”ならモロッコでもあったし、トルコでは“キョフテ”も聞いたことあったな。
アラブ諸国では“クフタ”とか言うらしいけど、
要は、つくねみたいな、肉団子みたいなモノ。
それがカレーの中に入ってたのか。

結構ボリューミーなランチになったけど、美味しかった。

食べ終わってガンガーを眺めながら、
「ねぇねぇ、“プージャ”って毎晩やってるの?」
とオニーサンに聞いてみる。
「あぁ、毎晩18時半からだよ。」
「てコトは今夜見られるね!私、プージャを見るためにバラナシに来たんだ。」
と言ったら、大笑いされた。
「それだけのために?!」
「ヤ、それだけじゃないけど。。。」

“プージャ”とは、ガンガーのメインガートで夜行われる
ヒンドゥー教の礼拝。“火の儀式”です。
私はインド旅行を考え始めた時から、ナゼかそれがすごく見たくて楽しみにしていたのです。

じゃあ、今日は18時頃までブラブラしよう。
夜に備えてカメラの充電、準備よ~っし!




聖地へ。

2011年02月20日 22時07分57秒 | いんど
またしてもオンタイム・・・と言いたいところだけど、
約30分ディレイでバラナシに到着。

でも、、、一体どーなってんの?
何時間も遅れるのがインドの列車じゃないの?!
まー、遅れがないのはありがたいコトだけど。

ところで、インドで列車移動を経験して分かったんだけど、
主要駅からかなり離れた田舎町を走っていると、
早朝 日の出とともに、水の入ったペットボトルを片手に持った人々が
アチラコチラの畑や草むら、または線路脇に現れる。
そして、
おもむろに、
ズボンとパンツを脱いで、
しゃがむ。
女の人はズボンじゃないから、
そのまましゃがむ。

おぉ!コレが・・・
よく旅モノのエッセイやドラマで見聞きする光景か!

きっと、気持ちんヨカでしょうね、朝陽を浴びながらの排泄は。

インド人はトイレでも紙を使わないから、当然 外でも持参のウォシュレットで。
あとは自然に返るだけ。エコですな、エコ。
・・・って、そんなエコロジストの国なら、街をゴミだらけにすんな!と思うけどね。


さて、バラナシに着いてすぐ、私はこの旅初めてのカルチャーショック。
やっぱりバラナシは、他の都市とは一味違うタケヤみそ。
駅構内も野生の猿だらけで、なんだかキケンなニオイがプンプンするわ。

日本を発つ前に、バラナシの宿に予約のメールを送ったけど返事が来ず、
インドに到着した翌日、アグラに移動してから予約OKの返信を確認。
更に、駅までの迎えを頼むべく、列車番号や車両番号、シート番号を送信し、
その返事を待つ間もなく、アグラからバラナシへ出発。
着後無事、駅ホームに降り立つや否や「8子?」と声を掛けられました。

迎えの人とオートリクシャーに乗って宿に向かいます。
ガンジス河の目の前の宿のため、リクシャーは途中の大通りで降りて、
あとは細く曲がりくねった路地をひたすら歩いて河沿いのガートまで。

「ガート」というのは、ホラ、よくテレビなんかでガンジス河の風景を見ると、
河沿いが階段になってて、そこで人々が沐浴の準備や洗濯とかをしてるでしょ。
あの階段のスペースのことです。

宿に辿り着くまでの道のりったら、そら不安だったよ。
だって、この方向音痴の私が、こんな入り組んだ、しかも初めての道、
スタスタと早足で一回連れてってもらっただけじゃ、絶対覚えられん!
そしてその入り組んだ細い路地には、牛やら猿やら犬やらヤギやらが神出鬼没で、
ハラハラ、ドキ・ドキ・サマーガール(byゴダイゴ)なのです。


わ、来る、、、来る、、、!

宿に着いて、まずはテラスへ。
目の前に広がるのは、
聖なる河、ガンガー(ガンジス河)。

あぁ~、、、ココへ、来たかったんだよなぁー!

感慨にひたっていると、スタッフが部屋へ案内してくれました。
「あー、なかなかキレイな部屋!いいね。・・・で、バスルームは?」
「シャワーとトイレは今から案内します。」
「え?私、シャワー付きの部屋頼んだよね?」
「しかし、バスルームのある部屋は満室でして・・・」
「え~!!私、メールで頼んだじゃーん!(怒)」
「はぁ、、、でも・・・(困)。
 今日はこの部屋でも、明日はバスルーム付きの部屋を用意します。約束します。」
困り果てた彼の顔を見て可哀想になり、自分のこの高まった気分を害すのもイヤなので、
一晩だけ我慢すっか、と気を取り直し、チェックイン。
台帳にサインをしていたら、さっきの案内スタッフが再びやって来て、
「バスルーム付きの部屋、用意できたので、そちらへ。」
ヤッター!文句言ってヨカッタ。
これで、だらしない格好で部屋とシャワーを行き来できるわい。


時計の針もとっくにお昼を回ってる。
そら、お腹も空くわ。

ってコトで、ランチしに行くその足で、
ジーパンに代わるズボンとショートブーツに代わるサンダルを買いに出掛けることにしました。
だって、デリーよりちょっと南ってだけで、昼間のバラナシは少し暑かったんだもん。




寝台列車でGO!

2011年02月17日 23時18分43秒 | いんど

乗りました、寝台列車に。
二段寝台の車両です。

私が乗り込んだ時は、もう時間的にシーツや毛布が配られていて、
みんな自分の“寝床作り”をしている最中でした。

作り終わった寝床に座って夕食をとっていたカップルの彼に、
私のシートを尋ねると、隣の寝台の上段。

初めての寝台に興奮して、
「わー、わー、わー!」とか、
「上~?コレどーやって上るの~?」とか
一人ではしゃいでたら、下段のシートに寝転がっていたインド人おばさんが
「日本人?そのハシゴから上がればいいのよ。」
って、教えてくれました。私のことをニコニコ眺めながら、ご主人らしきおじさんに
「日本人だね。初めてなんだね、ビックリしてるわ。」
とか話しています。私の驚いてる姿が、滑稽でオカシかったみたい。

ちょっとアクロバティックな体勢になりながら、上の寝台へ上って
まずはなんとかシーツを広げ、でっかいバックパックを足元に。
ドバイの空港でワイヤー錠を没収されてしまったので、
トイレや洗面に立った時の盗難に気をつけないとね。奥に、奥に。
枕を置いて、毛布を広げ、、、

・・・せ、狭い。

↓コレ、真上から見た図ね。青いグニャグニャはカーテン。

おばさんは、初め私の下で寝てたんだけど、休憩してただけだったらしく、
本当のシートは私の向かいのコンパートメント左側上段。
ふくよかな身体で、重そうに苦労して上ってた。

コンパートメント内の寝台(二段寝台x2台=4人)は、オープンなので多少広めで開放的。
だけど、個々にカーテンが無いので、知らない人に見られながら寝るってコト。
私んトコは壁に沿ってる寝台(上下2人)で、狭い!列車の天井に頭ついちゃう。
ただ、狭いけど自分だけのカーテンがあるので、プライベート空間が作れるのがメリット。



人に見られないので、私は思い切ってパジャマに着替えて寝るコトに。
は~、楽チン。
でも、噂にゃ聞いてたけど、やっぱり夜行列車って寒くて、
フリースのパジャマ+薄手のダウンジャケット+毛布 でも寒くて起きた。

それから、それから、
コレを聞くと、一部の女子はドン引きすると思うけど、
そんな狭い空間で、壁をゴキブリが走ったりするんです。
「二段寝台」って、2番目にいいクラスなんだけど、、、インドだからね。。。
ファーストクラスでも、出ると思うよ。

で、私はゴキ系は結構平気なので、
おもむろにトイレットペーパーを取り出しまして、
グジュッとして、急遽“Myゴミ箱”を作って、そこにポイッ。
「もぅ、出てくんなよ。」と捨てゼリフを吐いて寝ました。


・・・・・チュン、チュン。

、、、と、スズメは鳴きませんが、朝です。

朝になると、
「チャーイ~、コーフィ~!」
って声がウロウロし始めます。
目覚めのチャイ・コーヒー屋さん。

慌ててカーテンを開け、チャイ頼みました。

「チャイちょーだい!」 

・・・っかぁ~!ウマいなぁ、モーニングチャイ。
あったまるし、目が覚める。

その後、朝食売りが来ました。
何て言ってるのかわからないし、どんな食べ物かも全く不明だけど、
買ってみました。

揚げ物系?焼き物系?
寝台のライトだけじゃ暗くてよく見えないけど、ピリ辛のソースがかかってて
なかなか美味しい。一皿に2個のってます。


そんな、何もかも初めての経験だった寝台列車で一夜を過ごし、
条件的には日本にいる時より過酷で体力的にキツイはずだけど、
精神的にはすごく上がってます。

「初めての経験」をするっていうのは、若返り効果があるんだよね。
人間、歳取るにつれ、“初めて”することが減っていく。
、、、オゥ、ノンノン。老けます。
PC触ったり、新しい趣味を持ったり、歳を取っても「初めての経験」をすることで、
若々しいジーサンバーサンでいられると思います。

がんばろ。
日本での8子は“新しいモノ嫌い”なので、実年齢以上にバーサンだからね。


さぁ、いよいよバラナシに到着です。


おばさんも、トイレから帰ってきました。




ホームにて

2011年02月15日 23時26分28秒 | いんど
・・・といっても、中島みゆきじゃアリマセン。私のインド旅行記です。


アグラで一日を過ごし、その夜の夜行列車に乗るべく駅に向かいます。
アグラに着いた時は「アグラ・カント駅」、出る時は「アグラ・フォート駅」。
列車によって利用する駅が違うので注意です。

21:20発の列車に乗る予定だったけど、あんまり夜遅くの移動は心配なので
夕方のうちに駅に着いて、ひたすらホームで列車待ちしました。

売店でパイのようなモノを買って夕食代わりにしたんだけど、
「ソースかける?」と聞かれ、つい日本の感覚で「少しかけて。」と頼んだら、
このソースが、辛い辛い!
インドの、こうやって後からかける系のタレ類ってのは、大概辛い。
私ゃ辛いの得意じゃないから、余計ね。。。
「少し」って頼んだはずだけど、ノロノロ食べてたらそのうちソースが皿じゅうに広がって、
パイ全体に付いちゃった。あー、カラ。

運良く座れたベンチに腰掛け、ヒーヒー言いながらパイ(のようなインドスナック)をかじってたら、
同じホームに日本人らしき若い女の子が。
お、これまで意外と出会えなかった一人旅女子だ!
と思った瞬間、彼女もコチラを見て安心したような顔して近づいて来ました。
久々に日本語喋れるわ~、と嬉しくなって
「日本の方ですよね?」
と私が口を開くと同時に、彼女も何か言った。・・・けど、

・・・あれ?今、何つった?
向こうも同じ反応。

も一度、同時に喋る。「日本人?・・・」「*◎▲#□?・・・」

あ、、、「Korean?」「Yes・・・」

韓国語だった。

アイム ア ジャパニーズなのよ。あらら。
向こうも同じ表情。でも、私よりもっと残念そう。

あまりに長い時間、寒いホームで黙って独り列車を待ってたので、
少しでも話ができる相手が現れて、私はちょっとテンション上がったんだけど、
ひたすら話しかける私に対して、彼女は困ったように口ごもっているのです。
「ドコ周った?」「いつインドに来たの?」
その質問に、彼女は紙とペンを出して「11/01/2011」と書きました。
あー、あんまり英語が得意じゃないってコト?
意外だな。韓国人って、英語を流暢に話せるイメージがあったので。
といっても、私かて英語苦手だから、同じくらいのレベルだよ。
喋ろうよ~・・・。

そのうち彼女はiPodだかiナントカだかを出して、
イヤホン付けて、韓流ドラマに見入ってしまいました。
あー、隣に座ってんのに会話ナッシング。。。おサビシ山。

時々ゲホゲホと咳く彼女。
体調良くないから、同じ韓国人女子見つけたと思って安心して一瞬喜んだんだろね。
一人旅で体調崩すと、一気に心細くなるからね。
そう思って、無視されながらも
「大丈夫?風邪引いた?薬持ってる?」
と声を掛け心配してあげた私は、その何日か後に自分が風邪引くんだけど。
で、そん時は心配してくれる相手もナシ。


そうこうしてる間に、ようやく列車が来ました。
またしてもオンタイム!すごい!

韓国の彼女とは車両が違ったので、ホームでお別れ。
彼女の車両を教えた後、私は必死で自分の車両を探す・・・ない!ドコ~?!

あんなに長いことホームで到着を待ってた列車に、
ナゼか、走って走って必死で飛び乗るハメに。なんでやろ。。。

さぁ、いよいよ、初めての寝台列車です。
日本でも乗ったコトないんです。

ドキドキ・・・




お墓の次は、お城へ。

2011年02月11日 21時48分42秒 | いんど

タージマハルのあまりの美しさに感動して、約半日ソコにいました。
なので、何枚撮っても飽き足らず、タージマハルだけでとんでもない数の写真を撮りました。
写真サイトにウザいくらい白い写真が続いているのは、そのためです。

ランチの後、ブログを更新して、それからアグラ城に向かいました。


ココです。

え~・・・私は歴史は苦手ですが・・・
ここで世界史の教科書を紐解きますと・・・(無いっつの!)、

タージマハルというのは、
ムガル帝国の第5代皇帝であるシャー・ジャハーンが、
亡くなった愛妃のために大理石で建てたお墓。
で、
アグラ城は、第3代のアクバルが建てたモノだけど、
ムガル帝国最盛期だった頃のシャー・ジャハーンを、その息子アウラングゼーブが
皇帝の座から引き降ろし、お父っつぁんを幽閉したというお城なんですね。

はぁ~、「シャージャハーン」だの、「アクバル」だの、
インド料理屋の名前でしか知らんかったっつの。

で、
失意のシャージャハーンは、アグラ城からタージを眺め想いを馳せながら、
7年後、城内の
“囚われの塔”→
で死を迎えたんだそうな。

だから、このアグラ城からは

このように 
タージマハルが眺められるのです。

タージの脇にはヤムナー河という穏やかな河が流れていますが、
シャージャハーンには、その河を挟んだ対岸に、自らの墓として黒いタージ
黒大理石を使って建てる構想があったんだけど、それは幻に終わってしまった
・・・という、哀しいお話なのです。


↑シャージャハーンの描いていた幻影。こんな感じかしゃん?


こういう歴史と、現在自分が目で見ている実際の光景を、頭ん中でリンクさせながら、
私は、、、私は、、、
はぁ、はぁ、、、はぁ、、、、

実に8kg超のバックパックを背負って、このアグラ城を周っておりました。
・・・ふぅ~。

タージマハルでは大きい荷物は預けないといけなかったけど、
アグラ城は荷物を預ける所がないので、そのまま、、、アグラは日帰りだからね。

でも、旅行中の8子はいつもと違ってパワフルなので、
その後さらに歩いて、イスラム教のモスクを訪ねようとしたけど、
近づくにつれモスクの姿が他の建物に隠れて見えなくなり、
加えて方向音痴な私は、歩けど歩けど、一向に辿り着かないのでした。
近くまで来てるのに・・・。

いつのまにか、観光客が一人も見当たらないすごくローカルなエリアに
入り込んでしまいました。すごい喧騒。
それに、ちょっと観光地からハズれると、たちまち英語が通じない・・・。
もぅ、モスク諦めて、オートリクシャー捕まえて戻りました。

結局まる一日遊んだわりには、2ヶ所しか観光名所を巡っていないアグラでした。
それもまた、いーのだ。




ごた~いめ~ん!

2011年02月08日 23時56分20秒 | いんど
さて、軌道修正して、タージマハルへ向かう話に戻しましょう。

列車を降りて駅の外へ出ると、そこはリクシャーやタクシーの客引きでもぅモミクチャ。
列車内で席の近かったお一人様欧米人に、リクシャーをシェアしないかと声を掛けてみたけど、
彼はホテルの迎えが来るとのことでNG。
仕方ないので、客引きに言われるがままついて行くと、
そこはプリペイド式オートリクシャーの乗り場でした。


なーんだ、プリペイド式なら料金安心。
タージマハルまでは50Rs.って決まってるようです。


オートリクシャーに乗り込むと、意外と風が冷たい。
お~、さむ。

リクシャーが停まって降りようとすると、
「この後の予定は?今夜アグラに泊まらないなら、一日このリクシャーでいろんな所を周るよ。」
と運転手。
うーん・・・確かにラクだけど、やっぱり自由にしたいんだよね。
どうせお土産屋さんに連れて行くんだろーし、
ランチも自分にマージンの入るトコへ行くんだろーなぁ、、、と思って、
「これからスケジュール決めるし、自分のペースで周りたいから。」
結構しつこい運転手だったけど、キッパリ断ったら諦めてくれました。

ただ、降りた後、タージマハルの入口がわからなくて
歩いた歩いた・・・


ようやく着いたと思えば、ソコは東門。
東門からも入れるんだけど、チケット売り場はココから1kmも離れたトコだっちゅーから、
もう、歩きたくないよぅ。。。

と言いつつ、まだまだ歩いて、正面から入れる南門を探して
路地裏に迷い込む。


牛、、、
牛、、、 

細い路地裏で牛ばっかりに囲まれると、恐怖です。
「ん?アンタ誰?」って感じで、ゆっくりゆっくり近づいて来るし。

いろんな人に尋ねながら、韓国人らしきカップルの彼が教えてくれた道が、やっと

南門の参道  でした。

門の手前でチケットを買い、荷物を預けて、
ミネラルウォーターのサービスは重いので断って、

いざ!タージへ!!


ボディチェックを受けて南門を抜けると、そこに大きな正門。

その奥には、、、、、

 出た!!

カンドーのご対面。
この瞬間に涙が出たのでした。