実相の世界の特徴を挙(あ)げて見ると大凡(おおよそ)この七つになるのであります。
これで大体お判(わか)りになりましたでしょうが、実在宇宙は決して空(くう)ではない、
何もないところの‘からっぽ’ではないのであります。
ところで、この七つの特徴を持った世界が現実世界に現れて来たのが大日本国であります。
邇邇藝命(ににぎのみこと)様が実相世界 即ち 実在宇宙から現象世界へ
御降臨(ごこうりん)あらせられて地上に建国ということが出来上がった、
そこに中心帰一(きいつ)、夫唱婦和(ふしょうふわ)、無限創造、遠心求心調和、
無限包容、円満完全至美(しみ)至妙(しみょう)の世界が、
天(実相)になるが如(ごと)く地にも現れて来たのであります。
ですから邇邇藝命(ににぎのみこと)様 御降臨(ごこうりん)以来、現実世界にも
中心に帰一する国がここに‘ありあり’と具体の世界に出現したので、
日本の国体が尊いというのも実相世界そのままの立派な特徴が持続されているからで、
中にも『中心帰一』の実相は皇位(こうい)の永遠性と共に、
大日本天津日嗣(あまつひつぎ)天皇を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の
全徳の御表現(おんあらわれ)― 即ち親神(おやがみ)様の御表現(おんあらわれ)として
崇(あが)め奉(たてまつ)り全ての国民が『神の子』として、親神(おやがみ)様の
御表現(おんあらわれ)なる天皇に中心帰一している。
この日本の国体というものは実相の世界をそのままに現している。
だから日本の国を蓬萊島(ほうらいとう)であるとして不老不死の薬のある国だと
云(い)うのも無理がないのであります。実相は何もない空(くう)であるとするような
仏教では此(こ)の日本の国体の美は分らないのであります。誠に日本国体の尊さは、
万民皆『神の子』として親神(おやがみ)の御表現(ごひょうげん)なる天皇陛下に
中心帰一する働(はたらき)が、単に理論ではなく具体的に現れている点であります。
この中心(すめろぎ)に帰一する働(はたらき)が中(ちゅう)の心 ―
即ち 忠(ちゅう)であって、中心に帰一する事が一切の諸徳のうちの第一に
置かれるのであります。
『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 93~95頁 ) 谷 口 雅 春 先 生
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/531/
これで大体お判(わか)りになりましたでしょうが、実在宇宙は決して空(くう)ではない、
何もないところの‘からっぽ’ではないのであります。
ところで、この七つの特徴を持った世界が現実世界に現れて来たのが大日本国であります。
邇邇藝命(ににぎのみこと)様が実相世界 即ち 実在宇宙から現象世界へ
御降臨(ごこうりん)あらせられて地上に建国ということが出来上がった、
そこに中心帰一(きいつ)、夫唱婦和(ふしょうふわ)、無限創造、遠心求心調和、
無限包容、円満完全至美(しみ)至妙(しみょう)の世界が、
天(実相)になるが如(ごと)く地にも現れて来たのであります。
ですから邇邇藝命(ににぎのみこと)様 御降臨(ごこうりん)以来、現実世界にも
中心に帰一する国がここに‘ありあり’と具体の世界に出現したので、
日本の国体が尊いというのも実相世界そのままの立派な特徴が持続されているからで、
中にも『中心帰一』の実相は皇位(こうい)の永遠性と共に、
大日本天津日嗣(あまつひつぎ)天皇を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の
全徳の御表現(おんあらわれ)― 即ち親神(おやがみ)様の御表現(おんあらわれ)として
崇(あが)め奉(たてまつ)り全ての国民が『神の子』として、親神(おやがみ)様の
御表現(おんあらわれ)なる天皇に中心帰一している。
この日本の国体というものは実相の世界をそのままに現している。
だから日本の国を蓬萊島(ほうらいとう)であるとして不老不死の薬のある国だと
云(い)うのも無理がないのであります。実相は何もない空(くう)であるとするような
仏教では此(こ)の日本の国体の美は分らないのであります。誠に日本国体の尊さは、
万民皆『神の子』として親神(おやがみ)の御表現(ごひょうげん)なる天皇陛下に
中心帰一する働(はたらき)が、単に理論ではなく具体的に現れている点であります。
この中心(すめろぎ)に帰一する働(はたらき)が中(ちゅう)の心 ―
即ち 忠(ちゅう)であって、中心に帰一する事が一切の諸徳のうちの第一に
置かれるのであります。
『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 93~95頁 ) 谷 口 雅 春 先 生
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/531/