『 渡部昇一の人物戦後史
裸の総理たち 32人の正体 』 渡部昇一 著 李白社
本書は、歴代の総理大臣を通して、< 戦後史をざっと見る一つの視点として > 口述したものである。
452頁もある割には、読みやすくて、三日ほどで読み終えた。
まえがきには、次のように書かれている。
< 歴史上の人物について論評する時、私はいつも心の底で一抹(いちまつ)の忸怩(じくじ)たるもの
を感ずる。というのは自分が論評している人物は自分よりもずっと偉大で、ずっと器量が大きくて、
ずっと優れていることを知っているからである。そこで私は自分にこう言い聞かせる。・・・・・
つまり「 人物について書く人は、書かれる人ほど偉いことは決してないのだ 」 という東西古今の例を
思い出して、いささか晏如(あんじょ)たる気になるのである。・・・・・
その人が私より偉い人物であることは私の念頭を離れたことはない。 >
歴代の総理大臣の頃のことが、当時の思い出として、過去のアルバムを見るように、
時の流れとともに甦って来るのを感じた。
< 昭和20年8月15日の大東亜戦争の敗戦は わが国はじまって以来の試練でした。>
第42代 日本国 内閣総理大臣 鈴木貫太郎
在任期間 昭和20年・1945年4月7日 ― 8月17日(4カ月11日)
から、第92代 日本国 内閣総理大臣 麻生太郎までの全32人について述べられている。
内容の一例として、
村山富市首相の< 「 村山談話 」は愚の骨頂 > であるが、
平成7年1月17日 阪神大震災に見舞われ、3月20日には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が
起こる。
< 日本の首相は必ず新年に伊勢神宮に参拝 > するのであるが、村山首相は「 風邪をひいた 」 と
称して、社会党の集まりに出席していて、参拝しなかったのである。
< 村山首相があわてて伊勢神宮を参拝したのは、その年の三月だったか四月でした。
そんなエピソードが残っています。>
裸の総理たち 32人の正体 』 渡部昇一 著 李白社
本書は、歴代の総理大臣を通して、< 戦後史をざっと見る一つの視点として > 口述したものである。
452頁もある割には、読みやすくて、三日ほどで読み終えた。
まえがきには、次のように書かれている。
< 歴史上の人物について論評する時、私はいつも心の底で一抹(いちまつ)の忸怩(じくじ)たるもの
を感ずる。というのは自分が論評している人物は自分よりもずっと偉大で、ずっと器量が大きくて、
ずっと優れていることを知っているからである。そこで私は自分にこう言い聞かせる。・・・・・
つまり「 人物について書く人は、書かれる人ほど偉いことは決してないのだ 」 という東西古今の例を
思い出して、いささか晏如(あんじょ)たる気になるのである。・・・・・
その人が私より偉い人物であることは私の念頭を離れたことはない。 >
歴代の総理大臣の頃のことが、当時の思い出として、過去のアルバムを見るように、
時の流れとともに甦って来るのを感じた。
< 昭和20年8月15日の大東亜戦争の敗戦は わが国はじまって以来の試練でした。>
第42代 日本国 内閣総理大臣 鈴木貫太郎
在任期間 昭和20年・1945年4月7日 ― 8月17日(4カ月11日)
から、第92代 日本国 内閣総理大臣 麻生太郎までの全32人について述べられている。
内容の一例として、
村山富市首相の< 「 村山談話 」は愚の骨頂 > であるが、
平成7年1月17日 阪神大震災に見舞われ、3月20日には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が
起こる。
< 日本の首相は必ず新年に伊勢神宮に参拝 > するのであるが、村山首相は「 風邪をひいた 」 と
称して、社会党の集まりに出席していて、参拝しなかったのである。
< 村山首相があわてて伊勢神宮を参拝したのは、その年の三月だったか四月でした。
そんなエピソードが残っています。>
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