愛する者の、横顔を思い浮かべてみる。
以下、オレにとっては、幸いなことに、仮のハナシだ。
今朝まで、小言をタレながらも、台所で家事をしていたヒトが、タダの、「モノ」になってしまう。
今朝、笑顔であわただしく「いってきます」と、言ったのが最後に交わした言葉に、なる。
まだまだ、ずっと、一緒にいたかったのに。
見てもらいたいものも、あったのに。
聞いて欲しいことも、あったのに。
声を聞いていたかったのに。
この上なく、タイセツに思っていたのに。
そして、愛しているのに。この人が死なねばならない、理由は、何も、ないのに。
オレなら、いや多分、誰もが、その状況を作り出した原因を許しはしないだろう。特に、オレのような人物は、物理的な報復に及ぶかも知れない。
ただ、それは、報復でしかなく、原状復帰には全く寄与しない。
また、いかなる慰みも、この欠損を埋めることはできない。
生まれ出でたものは、いつ終わるとも知れない、怨嗟、だけだ。
路上に走る、全ての機械は、この、怨嗟を生み出す能力を持っている。
そう。オレは、この機械を持って、怨嗟の起点に立つ、能力を持ってしまっているのだ。
そして、そのことは、常に、オレの視線や意識の中にあるわけでは、ない。むしろ、意識されない時間がほとんどと言っても、いい。
自らの破滅よりも、断じて、オレは、コチラを怖れる。
そして、それは、何もなかった一日と全く同一の時間軸を進行しているのだ。
まさに、恐るべきことなのだ。
「機体と人命を尊重する」を胸に刻んで、日々のライドに臨みたい。