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足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」(1981/人見記念講堂)

2020年05月05日 | pocknのコンサート感想録(アーカイブ)
先週、ペーター・シュライアーのリサイタルの感想をこの「コンサート感想録アーカイブス」に挙げたので、僕にとってはシュライアーと共に語らないではおけないフィッシャー=ディースカウとプライの演奏会の感想も挙げることにした。
先ずはフィッシャー=ディースカウ。ディースカウは8年前(2012年)に86歳で亡くなり、その20年前には歌手を引退していたので、現役だったのはもうはるか昔ということになるが、ディースカウを聴いた記憶は昨日のことのように鮮明だ。ディースカウほど「完璧」な歌手を僕は他に知らない。「冬の旅」に圧倒された学生時代の感想を古いノートから起こした。

pocknのコンサート感想録アーカイブス ~ブログ開設以前の心に残った公演~

1981年 10月16日(金)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bar)/イエルク・デームス(Pf)
昭和女子大学人見記念講堂
◎ シューベルト/歌曲集「冬の旅」Op.89 ㊝

 1時間15分に及ぶこの歌曲集を聴き終わったとき、何とも言いがたい気持ちに襲われた。全身に震えを感じ、しばらく拍手ができなかった。ゾーッとした。すごい演奏だと思った。「冬の旅」という歌曲集がこれほど暗く絶望的で空虚で、一点の光もない歌曲集だとは思っていなかった。暗い中にも安らぎがあると思っていた。しかしその安らぎをもたらしてくれるだろうと思っていた"Der Lindenbaum"(菩提樹)や"Frühlingstraum”(春の夢)や、"Die Post"(郵便馬車)などにもそれは感じることはできなかった。
"Lindenbaum"はとても悲しくむなしくあわれな歌に聴こえた。「春の夢」は陽気な夢の歌に溶け込むことはできず、それを冷めた目で見ている傍観者という気持ちだった。"Die Post"も同じようだ。この歌曲集では安らぎは死を意味しているわけだが、その死に至っても救われないという気がした。終曲の最後の節"Willst zu meinen Liedern deine Leier drehn?"(僕の歌に合わせてライアーを奏でようとしているのか)がなんと絶望的に苦しげにうめくように鳴り響いたことだろう。
ディースカウの歌は完璧にこの"Winterreise"の世界の核心を表現しきっている。冷たく人を寄せつけない。どんなに声が高まってもそこに情熱はなく、ppの絶妙なコントロールと語りかけのうまさ。何も言うことがない。"Winterreise"の世界そのものを歌うにはディースカウの歌によって以外には考えられない。
しかし… となると「冬の旅」に対して不信感が生じる。これほどまでに絶望的な歌をなぜSchubertは作曲したのだろうか。なぜこんなものを人に聴かせたいと思ったのだろうか。音楽とは人の心に安らぎを与えるものではないのだろうか。もっとこの歌曲集を聴き込んでいきたい。そして一点の安らぎを見い出したい。デムスの伴奏も絶品だった。


フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」は録音も多いし、僕自身ムーアとの共演盤を愛聴していた。しかし、リサイタルで実際に聴いたディースカウの歌から受けた衝撃はとてつもなく大きかった。この体験が「冬の旅」への認識を変え、今に至っている。ライブ演奏が与えるパワーというのは、それ以外の媒体ではどんなに技術が発達しても並ぶこと、いや近づくことも出来ないものだと思う。コロナで演奏会がなくなってそれを益々痛感する毎日である。
(2020.5.5)

フィッシャー=ディースカウ「シューマンの夕べ」
ペーター・シュライアーの「美しき水車屋の娘」
♪ブログ管理人の作曲♪
「金魚のお墓」~金子のみすゞの詩による歌~
(S:田村茜)

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