私が会社を興して、何やかや20年が経つ。
監督と呼ばれていたのが、いつしか社長と呼ばれるようになって久しい。
私の作るものには、いつもスポンサーがいる。
従って作るものは作品であり商品でもある。
けっして私の作ったものを、見ず知らずの人が買って
投資した費用をペイするわけではない。
スポンサーがお金を出して作りたい物を私が具体的にするにすぎない。
関西の商売の巨匠はなんと言っても近江商人だ。
近江で商売人の息子に生まれると、
家督を継ぐ前に「鍋ブタ」をてんびん棒に一杯持たされ、
売り切るまで帰宅を許さない。
「鍋ブタ」とは囲炉裏に掛ける鉄鍋の木製のフタで、
一般家庭での必需品である。
誰から買っても同じ品質で、価格も変わらない。
それゆえ、売り手の人柄を含めたサービス力でしか差が生まれない。
松竹京都出身のドキュメンタリー監督:梅津明治郎氏が、
近江商人の「鍋ブタ売り」から学ぶ商売の心得を市販ビデオにした
「てんびんの詩」は爆発的ヒットを飛ばした。
購入のほとんどは中小企業の社長さんだ。
本作では、近江商人の「三方よし」をテーマにしている。
三方よしとは、買い手よし、売り手よし、世間よしの三方がよい状況を指す。
つまり買う人も、売る人も、世の中もよくなる商品を売りなさいと言っている。
確かに売り手にとっても、買い手にとってもよいのはわかるが、
世の中もよくなる商品を売るとなると余程の商品でなければならない。
すぐに思いつく商品といえば、
医薬品、介護商品、環境商品、工作機械、作業用車、家電…etc.
技術を商品にする仕事なら、医師、弁護士、先生、坊さん…etc.
確かにこれらの商品を扱うと客としてお金を払っているのに
礼を言ったり、謝礼をすることもある。
当社の得意先に農業機械メーカーがある。
農家の方は農機セールススタッフとは懇意につきあう。
初めて訪れる他のセールスなら門前払いもするし、
100%家に上げることはないが、
農機セールスとは家に上げて家族付き合いをする。
というのも、万一機械が壊れでもすぐに直してもらわないと、
場合によっては一年の苦労がパアになる。
また新しい技術を教えてくれる情報源でもある。
根底には、農業を一緒に作っていく仲間だという意識があるからだ。
売る方もそういう意識を持って農家と接するので、
騙したり、あしらうということがない。
売る方も身内という自覚を持っている。
けっして大儲けはできないが、息の長いお付き合いができる。
信頼ありきの商売だ。まさに商売とはこうでなければならない。
私が携わるPR業は、世の中をよくする商品も悪くする商品も
スポンサーがいれば成り立つ、とても恐ろしい仕事だ。
仕事を受けた限りは、責任の一端を担っているのだが、自覚のない方も多い。
映像は言うまでもなくとても恐ろしいツールで、
見た人を変える力を持っている。
古くはヒットラーが作ったオリンピック映像や、
日本が大東亜戦争時に「大本営発表」と報道を使い民意を操作した。
北朝鮮や中国のメディアの使い方も同様で、言えばキリがない。
風評被害の小火に風を入れて大火にするのは、いつもメディアだ。
国民あるいは民意を操作する巨大な力を持っている。
世の中をよくするにせよ悪くするにせよ、いまは必ず媒体が介在する。
その媒体こそが私たちの生業である。
それ故にいつも自分に問いかけ、問いただし、仕事をしなければならない。
責任の問われる仕事である。
監督と呼ばれていたのが、いつしか社長と呼ばれるようになって久しい。
私の作るものには、いつもスポンサーがいる。
従って作るものは作品であり商品でもある。
けっして私の作ったものを、見ず知らずの人が買って
投資した費用をペイするわけではない。
スポンサーがお金を出して作りたい物を私が具体的にするにすぎない。
関西の商売の巨匠はなんと言っても近江商人だ。
近江で商売人の息子に生まれると、
家督を継ぐ前に「鍋ブタ」をてんびん棒に一杯持たされ、
売り切るまで帰宅を許さない。
「鍋ブタ」とは囲炉裏に掛ける鉄鍋の木製のフタで、
一般家庭での必需品である。
誰から買っても同じ品質で、価格も変わらない。
それゆえ、売り手の人柄を含めたサービス力でしか差が生まれない。
松竹京都出身のドキュメンタリー監督:梅津明治郎氏が、
近江商人の「鍋ブタ売り」から学ぶ商売の心得を市販ビデオにした
「てんびんの詩」は爆発的ヒットを飛ばした。
購入のほとんどは中小企業の社長さんだ。
本作では、近江商人の「三方よし」をテーマにしている。
三方よしとは、買い手よし、売り手よし、世間よしの三方がよい状況を指す。
つまり買う人も、売る人も、世の中もよくなる商品を売りなさいと言っている。
確かに売り手にとっても、買い手にとってもよいのはわかるが、
世の中もよくなる商品を売るとなると余程の商品でなければならない。
すぐに思いつく商品といえば、
医薬品、介護商品、環境商品、工作機械、作業用車、家電…etc.
技術を商品にする仕事なら、医師、弁護士、先生、坊さん…etc.
確かにこれらの商品を扱うと客としてお金を払っているのに
礼を言ったり、謝礼をすることもある。
当社の得意先に農業機械メーカーがある。
農家の方は農機セールススタッフとは懇意につきあう。
初めて訪れる他のセールスなら門前払いもするし、
100%家に上げることはないが、
農機セールスとは家に上げて家族付き合いをする。
というのも、万一機械が壊れでもすぐに直してもらわないと、
場合によっては一年の苦労がパアになる。
また新しい技術を教えてくれる情報源でもある。
根底には、農業を一緒に作っていく仲間だという意識があるからだ。
売る方もそういう意識を持って農家と接するので、
騙したり、あしらうということがない。
売る方も身内という自覚を持っている。
けっして大儲けはできないが、息の長いお付き合いができる。
信頼ありきの商売だ。まさに商売とはこうでなければならない。
私が携わるPR業は、世の中をよくする商品も悪くする商品も
スポンサーがいれば成り立つ、とても恐ろしい仕事だ。
仕事を受けた限りは、責任の一端を担っているのだが、自覚のない方も多い。
映像は言うまでもなくとても恐ろしいツールで、
見た人を変える力を持っている。
古くはヒットラーが作ったオリンピック映像や、
日本が大東亜戦争時に「大本営発表」と報道を使い民意を操作した。
北朝鮮や中国のメディアの使い方も同様で、言えばキリがない。
風評被害の小火に風を入れて大火にするのは、いつもメディアだ。
国民あるいは民意を操作する巨大な力を持っている。
世の中をよくするにせよ悪くするにせよ、いまは必ず媒体が介在する。
その媒体こそが私たちの生業である。
それ故にいつも自分に問いかけ、問いただし、仕事をしなければならない。
責任の問われる仕事である。
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