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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成はじめのころです
国道を折れて、山道に進んでいった。その道は、私の練習用のコースであった。細いくねった上り下りの山道が20kmばかり続いているのである。
この道を往復すると、山陰から紀伊半島までの山中の走りは、だいたいマスターできるのである。それほど変化に富んだコースでもあるのだ。鹿路トンネルは、その山道への結界門とも呼ぶべきトンネルである。100m足らずの長さであるが、明かりはついていない。入口には、氷がはりついていた。
「これは、ヤバイぞ」
咄嗟に、サヤカのスピードを弛めた。凍結は、大事故につながる。無理はしない、これは私の鉄則である。Oさんに言わせると、
「こんな雪の降る日に、バイクに乗るのが、そもそもの無茶」だと言うのだが、私は、もう少しだけ奥の方に無理の線を引いている。これも、見解の相違だ。道路が凍結していなければ、雪は雨よりも扱いやすいと思っている。雷の恐さに比べると、これはもう比較にならないほど、走りやすいのである。ただし、寒さに耐えれればの話なのだが・・・
10km前後のスピードで、暗いトンネルの中を進んでいった。ザッザッ、所々、凍結しているようである。気持は、半分引き返していた。遠くに、白い半円形の出口が見えていた。パクパクと口を開けて、私たちを呼んでいるようであった。
「行ってみようか、サヤカ」
スリップに細心の注意を払って、おそるおそる近寄っていった。腋の下には、冷や汗が流れていた。天井から、シールドに雫が落ちた時には、心臓が暴走しそうになった。だんだんと、出口は明るく大きくなってきているのだが、私には分からなかった。暗い足元に全神経を注ぎこんでいるのだから、無理もない。さいわいにして、スリップさせるような平面氷は存在してなかったのだ。これは、後からになってわかることである。数m先は、闇の世界なのである。これは、もう人生そのものの歩み走りであった。
そんな時である。
目の前が、真っ白になり、白銀の世界が、パーッと全面展開したのだ。すごーい。そこには、道も何も無かった。ただ、白い清浄な空間が、陽の光にさらされていたのである。冬といえども緑の葉を持つ木々に、また枯れた木に、雪は降り積もっていた。黒い何重にも重なった雲をかき分けて、太陽の光も差し込んでいるのである。キラリとシールドの水玉が光る。
私は、サヤカに感謝しながら、
白雪を心に埋めこんでいた。
おわり
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