絵じゃないかおじさん

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あ@お話・仮想はてな・2/33紀三井のファファと白はるかキツネ

2022-02-23 08:27:17 | おぼけまみれ

           copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
           改題版




 * 紀三井のファファと白はるかキツネ

  
 紀三井山 金剛宝寺 02


 ゴエーカ;
  ふるさとを はるばるここに きみいでら
   はなのみやこも ちかくなるらん



 紀三井のファファは、50年に1回しか、
 顔を見せない、恥ずかしがりやさんであります。
 そのくせ、威風堂々としていて、
 どっしりしていると、言われています。


 このお話は、戦国時代のころのことです。
 豊臣秀吉の意によって、紀州征伐の軍勢が、
 秀吉の異母弟の羽柴秀長を大将として、
 6万もの兵隊を率いてやってきました。
 紀三井寺の僧兵たちも、その秀長軍と戦いました。

 平二郎は、僧兵たちのリーダーとして、
 紀ノ川を舞台に、防戦に努めましたが、
 多勢に無勢、
とても適うものではありませんでした。

 彼は、全身10数ヵ所も傷を受け、
 戸板に乗せられて、紀三井寺へと、
 運ばれてきました。


 そこには、恋人のはるかが待っておりました。
 しかしながら、瀕死の重傷を負った平二郎は、
 はるかの目を見つめるのが、
 やっとのことでありました。


「はるか・・・」との一言を残して、
 はるかの膝で亡くなりました。
 その顔には、信念を曲げずに、
 己の生き方に、忠実であった者にだけに、
 訪れる満足感が、溢れておりました。


 しかし、後に残された恋人のはるかに、
 どんな生き方があるというのでしょう。


 彼女は本堂に居るファファに一心に話しかけました。
 心の中の上から下、
 右から左、もう隅から隅まで、
 押し拡げるような、話しかけをしたのであります。


 普通の者が、
 少々努力したところで、
 自分の心の中に、
 潜り込めるものではありませんが、
 愛する人を失った、
 悲しみの大きさ戦乱の悲惨さは、
 はるかに大飛躍の心の開拓を促したのです。


 人の心のある特定部分に、焦点を合わせて、
 一心不乱に念じると、カンノンさんに、
 ビンビン響く、領域があるのです。


 その部分で念じられると、
 カンノンさんは、
 居ても立ってもいられなくなるほど、
 頭痛や吐き気を催すのであります。


 これは、カンノンさんに与えられた業とでも、
 呼ぶべきものでありましょう。
 さすがの恥ずかしがりやさんの、
 紀三井のファファといえども、
 はるかに智恵を、
貸さないわけにゆきませんでした。


 平二郎の望んでいたものは、
 力に屈しない自由な信仰と、
 その場所の保証でありました。


 はるかも、その意志を大事にしたいと、
思っていました。
 そうでなければ、
平二郎の死は、あまりにも虚しいものに
 なってしまいます。
 彼の意志を、受け継いで実現してやり、
 その後は、あの世にいる平二郎の後を
 追って行って、この世で果たせなかった
 平穏で愛に満ちあふれた生活を、
 送ることを望みました。


 ファファは、彼女の願いが贅沢この上ないとは、
 思ったのですが、
 キンキン電波を飛ばす能力を身につけた、
 はるかに、毎日毎日祈られると、
 堪ったものではありません。

 それから逃れるためには、
 お寺から逃げ出さなければなりません。
 どちらを取るか、結論としては、簡単でありました。


 はるかに超能力を貸し与え、
 はるかの要求を、飲むことにしたのです。

 はるかを白いキツネに変えてやって、
 敵の総大将、羽柴秀長の所に、
ボス交にいかせたのです。


 なぜ、白いキツネを選んだのか?


 それは、お寺に住みついているキツネがいたので、
 それを参考にしただけでありました。
 もう、ガンガン頭痛がするものですから、
 何でもよかったのでしょう。

 早く決着をつけて、はるかの心から、
 深い祈りをする必要を無くしてやること、
 それ以外には、ありませんでした。

 キツネになったはるかは、
 夜の闇にまぎれて、秀長を捜し出しました。
 そして、さんざん脅しを掛けたのであります。
 秀長にしたところで、
 相手の主力部隊は、潰れてしまっていたし、
 寺の一つぐらい残したとしても、
 大勢に影響はないと、思ったのでありましょう。


 それに、目の前で次から次へと、
 ファファから教わった変身術を使って姿を変える、
 はるかに畏怖の念を、抱いたことも否めません。


 このようにして、
 はるかは秀長の寺存続の証文を、
 手に入れることが出来ました。

 次は、少し前に旅立った、
 平二郎の後を追わせることです。
 いくら信仰のためとはいえ、
 戦争の誘いに乗って、
 戦闘に加わり戦死した者、
 感心出来る仏の道ではありません。


 戦争など避ける中道の行いこそが、
 仏に仕える者の取るべき道なのであります。
 戦闘参加は、中道から見ると、
 極端な位置にあたるものなのです。

 どのような戦争と言えども、
 戦争は中道には、ほど遠いのです。
 といっても、平二郎は信仰と寺の存続のために
 戦ったのですから、
 それは己を利するためだけのものではありません。

 点数をつけるとすれば、マイナス60点、
 プラス30点ぐらいでしょうか。
 考慮する余地はありそうだということでありましょう。


 でも、勘違いしないで下さい。
 マイナス点には変わりはないのですから。
 こう書けば、いかにも戦闘要員を組織して、
 先に仕掛けた方が、勝ちのように
 思われるかも知れませんが、
そういうことではありません。

 戦闘要員の組織化を、
 許すような対応の仕方を、
 考慮すべきだと思うのです。

 中道の生き方とは、
 戦争のための組織化をし始めた、あるいは、
 組織化が進む中で、そういう芽を育てる土壌を、
 改良するべきなのです。
 問題は、そのあたりに潜んでいると、
思われるのです。
 もし、中道の精神を生かすとすれば、
 そんな時以外には、
 力を発揮し得ないように思います。

 最終的に、ファファは、はるかを平二郎の元に、
 送ってやることにしました。
 そのときの、輝きに満ちたはるかの顔は、
 筆にはつくせません。
 今でも、ファファには、
 はっきりと、その顔が浮かんでくるそうです。


 悲しみのどん底から、
幸福の絶頂に飛びあがった時の、
 人の笑顔など、
 何100年に1回も見られないそうですが、
 人の願いを叶えるのも、
 そう楽ではないようであります。

                         
   この項おわり



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