絵じゃないかおじさん

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あ@仮想はてな物語・大江山の怪・1/3

2022-07-18 07:02:36 | おぼけまみれ
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            平成はじめのころです

   

* 大江山の怪(058) 


 サタディ・ストローラー。

 土曜オンリー・漂泊者とでも訳せばよいのであろうか?


 平凡な会社員の私の趣味の一つに、バイク・ツーリングがある。週休2日制の恩恵をたっぷりと受けて、土曜日に1日だけ、バイクで漂泊するのが習慣となってしまった。


 愛妻のあゆかからは、
「40も過ぎて、いい歳こいたごきぶりオッさんが、バイクなどに乗り回して」と少しばかり、つり上がった目尻で応対されるのだが、一向に気にはしない。



 私にとって、バイク跨がりは行のようなものである。バイクに乗れば、一瞬たりとも気が抜けない。ましてや、怪我などはしていられない。バイクにまたがりかねている短い脚の脛齧りをする子供が3人もいるのである。けれども、誰かさんのように蹴り飛ばしたりするような勇気は持ち合わせてはいない。


 そういうプレッシャーを自分に課してバイク乗りをすると、心は、ぱりぱりに張り詰める。それでも、乗り始めて、交通事故の多発するという魔の時間帯の1時間もすぎれば、私自身がバイクに同化してしまう。私自身がバイクに変身してしまうと言えば、より近いのであろう。そうなれば、自然を満喫できるようになる。これがたまらないのだ。心の中が洗われて、真っ白になったような気分になれるし、一週間分のドス黒い火山灰を被ったような心を風に晒して浄めてやることもできる。


 その日も、例にもれず、あゆかの眼前でストローラーに変身してやった。あゆかの苦笑を背中で感じる。黒い革ジャン、黒ズボン、黒ヘルメットで身を固めれば、拡大ごきぶりそのものとなる。


 朝、あゆかの見送りを受けて、家を出れば、風の呼ぶまま、気のむくまま、どこにでも出かけてゆく。それでも、一応は自己規制しているのだ。片道移動距離は、350km以内、必ずその日の内に帰る。絶対事故は起こさない。そういう大原則の下に、行動する。
 しかし、しかしである。



 どこで振り返ってみても、青い青い一本の糸が、私の背中あたりからあゆかの手へと、延びているのが見えてしまう。そして、また、それは、わが家の玄関口前の道路へつながっているのである。どんなに遠く離れようとも、どんなにくねり逃げようとも、玄関までは一本の線で結ばれている。



 その日、家を出て、しばらく走っていると、丹後半島が呼んでいるような気がした。丹後半島までは、300km足らず。時速80kmで走って、4時間とは掛からない。8時すぎに、奈良県S市の自宅を出たので昼前には到着できるように思った。



 丹後半島は、初めてだったので、あちらこちらで寄り道をした。久美浜湾、琴引浜の鳴き砂、経ケ岬、伊根町、天の橋立と景観のオンパレードだったので、思わぬ時間が掛かってしまった。時計回りに一周を終えた頃には、夏の終わりといえ、あたりは薄暗かった。

 

腕時計は、持たない主義なので、時間は分からない。時計をしていると、己の時間感覚が鈍るような気がするので、時計には頼らない。おそらく、7時は軽くすぎていたであろう。
 国道176号線から福知山に入る予定であった。夜風が、少し膚寒い。大江山のあたりにさしかかった時には、車の通りは、ほとんど途絶えていた。霧がうっすらとかかり、背中がぞくぞくとする。正面だけ見据えて、道路の中央の白線を追った。私は、鳥目気味で、近眼でもあるから、夜道は特に注意して走ることにしている。



 その時である。





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