おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


なぜ地獄? 清右衛門地獄池

2023年04月10日 00時59分00秒 | お出かけ
南足柄市狩野、
大雄山線富士フイルム駅から徒歩20分ほどの長閑な住宅地に地獄と呼ばれる場所があリます。



それがここ、清左衛門地獄池












厳島神社が中央に浮かぶ
この美しい湧水池が地獄。







ジオ含め説明板が3つも。

3つめの説明板をコピーしておきます。
(とっても便利なGoogleレンズ)


昔、清左衛門という人がよい水源をさがしにここまで来ますと

乗っていた馬もろとも地中深く落ちこんでしまいました。

そしてそこから勢いよくたくさんの水が湧きだしてきました。

それからは土地の人々が行って「清左衛門、清左衛門」と呼ぶと、いっそう勢いよく水が湧き出してきました。


これはこの池に昔から伝わる伝説ですが、

この話からも昔から農民たちがいかにたくさんのよい水を欲しがっていたかがわかります。


清左衛門という人は昔からあった池を改修して常時たくさんの水を貯められるようにしたか、

または池の開発のために犠牲になったのか、あるいはこの地方の有力者であって

農民たちのために水利権を守ったのかもしれません。

また狩野には昔から加藤氏という有力者がいましたので清左衛門を加藤氏と結びつける人もいます。

いずれにしても、この近くの富士フイルム社の敷地から五〜六〇〇〇年も前の縄文時代の人々の住居跡が発見されたことが

すでにここによい池があり人が生活していたことの証拠になります。 


明治になってから狩野の漢学者で、のちに八王子に出て斯文学院という学校をひらいた奥津広という先生がいました。

この人は地獄というのはよくないといって、当時高野山の学頭(坊さんを教育する主)の先生に相談して

この池を「浮泉」と名づけたといいます。




馬と一緒に沈んでしまうなんて

まるでネバーエンディングストーリーの悲しみの沼(泣)


あ、でも愛馬を亡くしたけど少年アトレイユは無事なので、馬諸共沈んでしまった清左衛門さんの方が悲劇性大です。



清左衛門さんが何者で本当は何があったのかはわかりませんが

地獄と呼ばれるほどの何かがあったんでしょう。なんだろ。


よく温泉や火山になんとか地獄と名がつきますが、それとはまた意味が違うのでしょうね。



狩野出身の奥津先生が名づけてくれたという「浮泉」は残念ながら定着せず。

美しい名ですが清左衛門地獄のインパクトには勝てません。もうずっと地獄でいいと思います。


なお、狩野の有力者加藤氏というのは大森氏の家臣です。

大森氏失脚後は加藤氏のほとんどは帰農していますので、今でも南足柄市には加藤さんがとても多いです。




平成の名水百選に選ばれてるというので
他の名水はどんな名なのか調べてみましたら
なんとかの川とか滝とか清水とかそれはそれは透明感ある素敵なお名前ばかり。
地獄なんてつくのはここだけです。

ですが1つ
ジッキョヌホー
という度肝を抜かれるような名水がありまして。これは完全に負けましたな。

沖永良部島ですって。あぁ行ってみたい。


池の隣にある弁財寺




お堂の奥に東屋や滝があります



人工の滝ですが湧水が利用されてるので水は綺麗






池の周囲の散策路

水神

可愛い祠


清左衛門地獄には何度か来たことがあるのですが、いつ来てもほとんど人はいません。
駅からちょっと遠く入り組んだ住宅地にあり駐車場もないので知名度低いようです。

この日は散ってるとはいえ桜がまだ見れる時期だったので、数人のハイキング客とすれ違いました。