ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

なっとうこわい・・・

2007-05-05 16:59:49 | お知り合い


 ちぴらと東京の巨大ホームセンターに遊びに行った帰り道、小学校5・6年生の担任だったA先生の家の前を通りかかった。何も用事はいけれど、試しにピンポンを押してみると先生が出てきた。10年ぶりくらいで会った先生は、随分ばぁさんになってたけど元気そうだ。「あら~、すいぶん大きくなったねぇ!」ってちぴらを見て、初対面だと思うんですけど。たぶん・・・

 A先生は『真実一路』みたいな人だった。生徒が不道徳な行いをすると、クラス全員の前で「あなたはモノ(者)ではありません、モノ(物)です!」と名言で叱った。「てめぇは人間じゃねぇ!」という意味なんだろう、今だったら絶対にPTAでモンダイになる。でもその後、「汚名を返上しなさい!」と必ずチャンスをくれて、何かよいことをするとみんなの前で褒めてくれた。小うるさいオバチャンだったけど、嫌いじゃなかったなぁ。

 もう一つ、A先生の口癖は『ねばり強く』だった。そのくせ、納豆が大嫌いだった。給食を残した生徒に「全部食え!」と命じて、「先生だって納豆食べられないじゃん・・・」と生徒が口答えすると、「納豆は給食に出ないよ!」と笑って言った。そんなA先生に、どうにかして納豆を食わせてみたかった。ちょうど、家庭科の時間に何か料理を作って、担任の先生をもてなすという企画があった。サンドイッチかなんか普通に作って、「デザートです、どうぞ!」と納豆を出してみた。冗談のつもりだったけど、A先生はホントに固まった。なんだかんだ言い訳して納豆を食わずに済まそうと思ったらしいけど、みんなで「出されたモノは食え!」と攻めた。渋々スプーンで納豆を口に運ぶA先生、笑いながら泣いてたっけ・・・

 そんなA先生、今日はヘアーが見事に茶パツだった。あの頃の先生に茶パツなんか見つかったら、「アンタ、どこの人になったんだ?」ってバリカンで刈られたよな、きっと。時代は変わったモンだ・・・
コメント
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