(「亡くなるまでのこと #1」の続きです)
● 1月19日=病院#1
いよいよ病院に連れて行きました。私は、この段階では、やはり卵関連ではないかなと思っていました。冬季の活動停止の可能性もありましたが、日向に行きたがるという点が、どうしてもひっかかっていたのです。
病院ではまず超音波検査で卵の確認をしましたが、予想に反して、卵の問題ではないという診断でした。
結局原因はわからず、様子を見ることになりました。先生が「見た目はなんでもないんだけどね」と言っていたのですが、確かに、例えば目が落ちくぼんでるとか痩せてきてるとか体の動きがおかしいとか、少なくともそういうことはありませんでした。診察台の上にいた時は、ペッタンにもならず顎も黒くならず、それどころか、ちゃんと立ち上がってわりときれいな色になり、目もパッチリ開いて、これだけ見たら特に悪いところはないんじゃないかと思えるような感じでした。この時先生が言った、「冬だって気がついちゃったのかな?」という言葉が忘れられません。
病院から家に戻っても、決して元気ではありませんでしたが、そこそこ動いていました。ただし、食欲はまったくありませんでした。
● 1月20日~1月25日=上向いたりダウンしたり
この間は、日によっても1日の中でも、上向いたかなと感じたり後退したかなと感じたりして、状態が変動することが多かったように思います。
様子がおかしくなり始めてから1ヵ月位でしたが、この頃はまだ、悪化し続けているという感じは受けていなかったので、いわゆる「病気」じゃないんじゃないかなどと考えていました。
朝起きた時はまるで元気がなくても、ケージから出てきたりはしていて、少しでもウロウロする日もありました。1月23日には、久しぶりにエクササイズマットにまで登ったのですが、1月25日には 1日中ケージの寝床で具合が悪そうにしているといった状況でした。
食欲がないのは相変わらずでしたが、野菜を食べた日もありました。
ただ、夕方抱っこした時にお腹が異様に温かいと感じることがあったのですが、これは12月28日に初めて感じて以来、何回か同じことがありました。
● 1月26日=病院#2
病院に出かける前に、質量共に良い💩をしました。ほとんどご飯を食べていないのに量がそこそこあったのは、1月16日に食べたコオロギの分だったと思います。
私はこの時はまだ、冬季の活動停止であってほしいと思っていました。そしてずっと日向に行きたがっていたのは、最後に食べたコオロギを出したいために体を温めてるんじゃないかなということも考えていました。だから、「これからはいよいよ暗い場所、温度の低い場所に行って寝始めるんじゃないかな」、などということも考えながら、病院に連れて行きました。
病院では皮下注射をしました。本来は点滴で入れるものだと思うのですが、人間と違ってそんなに長い間おとなしくはしていないので、注射にしているのだと思います。栄養も水分もほとんど摂っていなかったので、これらの補給は必須だったと思います。
また、出かける前にした💩の検査をしたところ、寄生虫はいませんでした。
● 1月27日~2月1日=覚悟が必要かなと感じた
食欲はなく、活動度もかなり落ちてきていました。それでも、ケージから出て来て"居間"で日向ぼっこする日もありました。
1月26日に💩をして、これでお腹の中にはほとんど何も残っていないはずなので、温度の低い場所、暗い場所に行きたがるかなと期待していたのですが、そうはなりませんでした。ママはまだ冬季の活動停止だと信じていたようですし、私もそう信じたいと思っていましたが、現実はやはりそうじゃないなと思い始めました。
● 2月2日=病院#3
病院に行く前、まだケージの寝床にいたのですが、コオロギを見せると食べる仕草をしたので、久しぶりに"魔法の絨毯"を見せたら乗って来ました。そして"居間"に降りると、置いてあったケースに入ってコオロギを2匹食べました。 "魔法の絨毯"に乗ったのは、これが最後になりました。
病院ではこの日も皮下注射をし、先生に久しぶりにコオロギを食べたことを話し、出目のこと、寿命のこと、日向ぼっこのことを聞いてみました。
出目については、脱皮でもないのに頻度が高かった(12月4日、12月6日、12月18日、12月28日、1月5日、1月7日、1月15日 1月19日)ので気になっていたのですが、先生には「これが良いことなのか悪いことなのか、正直、まったくわからない」と言われました。
出目は、以前は、脱皮のためとかリラックスしてる証拠とか言われて、どちらかと言うと良い方にしか考えられていなかったと思いますが、最近ではこういったことも言われているようです。でも、結局は先生の言った通り、何もわかっていないというのが現実なんだと思います。
診察の最後に先生から、「コオロギを食べたことは前進だと考えましょう」と言われ、私もそうだなと思ったのですが。。。
そして、病院から帰ろうとした時、ほとんど水分の💩を、ママに抱っこされたままおもらし(?)していたことに気がつきました。この時は、注射のショックもあるのかなとは思いましたが、同時に、もうここまで来ちゃったのかと、ちょっと慌てました。
● 2月3日~2月10日=もう寿命なんだなと感じた
元の日記では、2月1日からの1週間のことを2月8日に、2月8日と9日のことを2月9日にまとめて書いています。この時は「変化があるまで飼育日誌の公開をやめます」と書いたのですが、本当はそうではなく、この子を見ていて、毎日書くのが辛くなって書けなくなったのです。
食欲もほとんどなかったのですが、それでもまだ、ペレットや葉っぱ、そして大好きだったミカンを、いずれも少しですが食べていました。そして6日にはコオロギも食べました。
ただ、見るからに弱ってきてるなという様子になってきていて、2月7日には、ついに"居間"の枕カバーの上で💩をしました。元気だった時はもちろんですが、調子が悪そうになってきてからも、必ず「パパ~、💩~」からベランダに出て💩をしていたので、この時は残念でなりませんでした。
また、9日から10日にかけての夜中には、ちゃんと起きてはいなかったようですが、寝床で頭を挙げていて、ママが抱っこして寝かすということがありました。これまであの子は、夜寝てから朝まで途中で起きることはもちろん、寝ぼけて動くようなこともなかったので、やはりこれも老化?病気?のせいなのかなと思いました。
● 2月11日=病院#4
この日は、なぜか朝から少し元気でした。8時半頃にはケージから出て来て、"居間"で日向ぼっこをし、さらに、自分からスツールにも登ったりもしましたし、コオロギやペレット、ミカン、葉っぱを食べました。
病院で、先生に状態が不安定という話をすると、それならばということで超音波検査をしました。その結果、卵の数が増えかなり大きくなっていることがわかり、状態が不安定なのはこのためかもしれないと言われました。
この日も皮下注射をしました。なお、これは後から知ったのですが、この時の注射には、今までと違う薬が入っていたようです。
● 2月12日~2月22日=このまま元気になってほしかった
この時期、元気も食欲も決して元に戻ったわけではなかったし、日によって波もありましたが、調子が悪いなりにウロウロすることが増え、これまでに比べるとかなり食べるようになりました。
12日 コオロギ6匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
13日 コオロギ4匹、ペレット1粒、葉っぱ3切れ
14日 狩りでコオロギ3匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
15日 ペレット3粒、葉っぱ
16日 狩りでコオロギ5匹、ペレット7粒、葉っぱ4切れ
17日 ペレット3粒、葉っぱ1g
18日 狩りでコオロギ4匹、ペレット1粒、大根葉、小松菜丸ごと1枚
19日 ペレット7粒、小松菜1枚、大根葉2本
20日 狩りでコオロギ4匹、ペレット5粒、大根葉、小松菜半分
12日 コオロギ6匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
13日 コオロギ4匹、ペレット1粒、葉っぱ3切れ
14日 狩りでコオロギ3匹、ペレット4粒、葉っぱ3切れ
15日 ペレット3粒、葉っぱ
16日 狩りでコオロギ5匹、ペレット7粒、葉っぱ4切れ
17日 ペレット3粒、葉っぱ1g
18日 狩りでコオロギ4匹、ペレット1粒、大根葉、小松菜丸ごと1枚
19日 ペレット7粒、小松菜1枚、大根葉2本
20日 狩りでコオロギ4匹、ペレット5粒、大根葉、小松菜半分
13日~17日までの5日間は、朝のケージの中で少しだけでもパフィングをするようになり、17日にはグワンとあくびもしました。
さらに、18日、19日、21日には、電源コードや緑色の洗濯バサミをカジカジするまでになりました。
さらに、18日、19日、21日には、電源コードや緑色の洗濯バサミをカジカジするまでになりました。
パフィングやカジカジを見た時は、本当にうれしかったです。
21日、22日には、またベランダに出て💩をしたり、22日にはキッチンに侵入したりもしました。
このまま少しずつでも元気になってくれるかなと思っていたのですが。。。
キッチン侵入は22日が最後になりました。
● 2月23日=病院#5
病院に行って超音波検査をすると、なんと、前回あれだけあった卵がほとんど消えていました。これには先生も驚いたらしく「2週間日位でこんなことがあるかな・・・」と言っていました。また、「ご飯を食べるようになったのは、これでお腹が苦しくなくなったせいかもしれない」とも言われました。
ただし、少し前にママが気づいた「お腹に何か硬い物がある」件は、結局何かわかりませんでした。
まだ食欲はそれほど変わっていませんでしたし、この日の朝もパフィングをしていました。また、💩もベランダに出てしました。こうした状態から、一応少しずつでも元気になってきているのかなとは思っていましたので、次回の通院は、また食欲がなくなってきたらということになりました。
でも、実は私は21日位からの目つきや細かい仕草等を見ていて、もしかしたらまた後退してきたかなと感じていました。確かに食欲とかウロウロとか、客観的に見てわかることはそれほどは変わっていませんでした。でもこれが問題で、毎日接している者から見るとあきらからにおかしいと感じても、それはあくまでも感覚や印象に過ぎません。それを第三者に説明してわかってもらうことは、とても難しいことだなと思いました。
● 2月24日~2月28日=また徐々に悪くなった
「また後退してきたのかな」と感じていたことが、徐々に現実になってきました。
ケージから出て来て、コオロギも食べ、ベランダに出て💩をした日もありましたが、目に力がなく、動作も緩慢で、いかにも調子が悪いという感じでしたた。特に、1日の中の調子の良し悪しの変動が大きかったのが印象的でした。
さらに、この頃から、1日2回、3回と💩をするようになり、それも尿酸だけのことも増えてきました。一番印象に残っているのは2月24の💩で、尿酸が肌色で、少しだけあった💩も肌色の尿酸に包まれていたことです。もしかすると注射の影響だったのかもしれませんが、こんな💩は初めて見ました。
ただ、この間にした💩には、コオロギの残骸がちゃんと確認できましたので、おそらく消化機能は正常だったんだと思います。
夏用ネットケージのパーツのネットに登って寝たり、"禁断の部屋のシェルター"に入って寝たりして、元気だった時と同じような行動もしていたのですが。。。
● 3月1日=突然の後退
この日は朝早くからケージの中で頭を挙げていました。でも、決して元気だったからというわけではなく、あきらからに様子がおかしかったのです。
それでも、ケージからは出て来ましたし、ベランダに出て💩もしました。でも、見るからに調子が悪いといった感じでした。
2日はコオロギや葉っぱを食べ、3日はベランダに出てオシッコもしたのですが、あきらかに調子が悪くなっていると感じました。
● 3月4日=病院#6
病院に行く前に、自分でケージから出て来て、コオロギを4匹と葉っぱ一切れを食べました。
病院ではまた注射をしました。先生からは「コオロギは毎日10匹位あげていい」と言われたので、「やった!明日から食べ放題だね」と思ったのですが、あの子が自分でケージから出て来たのも何かを食べたのも、この日が最後になりました。
ずっとダイエットさせていたので、いつか思う存分コオロギを食べせてやりたいねと、以前からママと話していました。せっかく先生からお許しが出たのに、本当に残念でした。
● 3月5日~3月11日=最後の1週間
この1週間のことについては、まさに個々の日記のタイトルの通りでした。
そして、3月11日の午前2時半頃、ママに抱っこされて息を引き取りました。
亡くなるまでのことは以上です。
このようにまとめてみて、この3ヵ月間、調子が悪くなったり良くなったりを繰り返しながらも、全体的にはやはり少しずつ少しずつ悪くなっていったんだなということが、あらためてわかりました。
日記に「本当の病気だったら少しずつ悪くなるはずだから、病気じゃないんじゃないか」と言ったことを何回か書いていましたが、今にして思うと、それは、「病気じゃない病気じゃない」という私の願望の表れだったのだと思います。
それでも、突然大きく調子を崩したのが、1月17日と3月1日だったと思います。どちらも、この前日までは「このまま元気になるかな」と思えるような状態でったのですが、この日を境にして急激に悪化したという印象です。
よく、「この子達は調子が悪いのを隠す」と言いますが、もしかしたらこの両日の前は、そういうことだったのかもしれません。
あの子のお腹の中にあった正体不明の物のこと
あの子のお腹の中にあった正体不明の物は、先生の話では、脂肪パッドが変性したものではないかということでした。
もしそうであれば、ゲーピングが異常に多かったこと、あの子がより多く日向に行きたがったこと、そして、あの子を抱っこした時にお腹が異様に温かったことと辻褄が合うように思いました。
脂肪パッドには、外からの衝撃を和らげる働きがあると思いますが、それだけではなく、保温等の体温調節にも関わっているのではないかと思います。その脂肪パッドが変性してしまったために、体をうまく温めることができなくなった、あるいは、温まっていることを認識できなくなった、と言ったことが起きていたのではないかと考えました。もちろん、これは私の推測に過ぎません。
それから、これは亡くなるまでのことではないのですが、もしかしたら関係があるかもしれないということが2点ありますので、それも書いておきます。
1.体重の事
これは、ぼあちゃんが我が家に来た時から亡くなる直前までの体重変化です。
これは、ぼあちゃんが我が家に来た時から亡くなる直前までの体重変化です。
グラフを見てわかるように、一番重かった時は600gを超えていました。ここまで太らせてしまったいきさつは、この日記に書いてある通りです。
主治医の先生からは、「太った子は長生きしない」と断言されていましたし、先生とも相談して、かなり早い時期からダイエットを始めました。でも、約2年間、その効果は見られませんでした。
主治医の先生からは、「太った子は長生きしない」と断言されていましたし、先生とも相談して、かなり早い時期からダイエットを始めました。でも、約2年間、その効果は見られませんでした。
不思議なのは、2019年の9月位に一度体重が落ち始めたのですが、まったく同じようにダイエットを続けていたにもかかわらず、すぐに増え始め、それまで以上の体重になってしまったことです。
それが、2021年の7月位から、急激に体重が減り始めました。この時は、やっとダイエットの効果が表れ始めたと、一応は思っていました。ただ、私は、「本当にそうだろうか? もしかして病気とかじゃないだろうか?」とちょっとだけ思っていました。
体重のことが亡くなったことに関係があるのかないのかはよくわかりませんが、少なくとも、太らせすぎしてしまったことは、決してこの子のためにはならなかったと思っています。
2.食欲の事
いつ頃からかは正確にわからないのですが、去年の夏頃、食欲がちょっと異常じゃないかと思えることがありました。あの子は、それまでも、食べれそうなものはなんでも口に入れるということをしていたのですが、この頃は、特に電源ケーブルやコードの類、それも白い物や白い部分を執拗に齧って食べようとしていたのです。「何かの栄養素が足りないんじゃない?」というのが、この時のママの意見でした。
💩も気になることがあったので、7月24日に病院に連れて行ったのですが、先生からは、予想通り、「特に何でもない」と言われました。
ただ、この時は「食欲が出る病気はない」と言われたのですが、私は、そんなことはないんじゃないかなと、今でも思っています。
私もママも、出来る限りのお世話はしてきたと思います。それでも、5歳の壁を超えさせてやれなかった、長生きさせてやれなかったというのは紛れもない事実ですから、私達の力不足だったことはあきらかです。
亡くなるまでのことを見返していても、あの時こうしていればよかったんじゃないかとか、これが失敗だったんじゃないかとか、いろいろと考えしまい、悔やむことばかりでした。
そして、もし我が家に来なかったら、もっと長生きできたんじゃないか、もっと幸せだったんじゃないかと、どうしても思ってしまいました。
去年の年末から亡くなるまでの3ヵ月は、とてもとても辛かったです。
でも、あの子と一緒にいられた3年4ヵ月は、その辛さの何百倍も何千倍も何万倍も幸せな時間でした。
ぼあちゃん、ありがとう。
キミの記録が、いつかほんの少しでもほかの子の役にたてばうれしいね。