わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
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レクイエム

2022-03-29 09:19:17 | 音楽のこと
レクイエム=死者のためのミサ曲。

レクイエムって、本来は「死者のための曲」だから、よく考えると、「好きな」っていう表現はちょっと似つかわしくないのかもしれない。でも、少なくともこれを書いた時はそんなことは考えてなくて、純粋に音楽としてしか捉えていなかった。
ところが、ぼあちゃんが亡くなってから、この中の、モーツァルトヴェルディフォーレの3つのレクイエムを聴いてみて、今まで経験したことのないことを感じた。

儂は以前から、この三大レクイエム(安っぽい表現で好きじゃないけど)の中ではモーツァルトが最高だと思っていた。儂が死んだら葬式の時にはこれをリピートして流してもらおうと思ってたくらいだった。
ぼあちゃんが亡くなった日の夜だったか、あるいは翌日だったか(なにしろ頭が混乱していたのでよく覚えていない)に、この曲のCDをかけた。でも、すぐに聴くのをやめた。なぜなら、聴きたくない、聴いてられない、と、強く感じたから。なんだかよくわからなかったのだけれど、最初の数小節位を聴いただけで、辛い感情が溢れて来た。
そして、次に聴いたのがフォーレ。これは、モーツァルトとは違い、不思議と素直に耳に入って来て、心に沁みた。

その後、葬儀の日にお寺に向かう車の中で、両方のレクイエムを聴いた。この時はモーツァルトも普通に聴けた。そして感じたのは、モーツァルトは、残された者にある種の厳しさを求めてくるということ。そして、それに対してフォーレは、残された者の気持ちに寄り添うように、残された者を包み込むように流れてくるということだった。
ヴェルディのレクイエムは、聴く前から「これはきっとダメだ」と思っていたので、亡くなって1週間位は見向きもしなかった。それから少し時間が経って聴いてみたけれど、それでもダメだった。この曲は、やっぱりレクイエムじゃなくてオペラ。「僧衣を纏ったオペラ」と言われることがあるけど、まったくその通りだと思った。

ラテン語のRequiemは「安息」という意味 。モーツァルトのレクイエムは、まさに死者のための曲であり、死者に安息を与えるものなんだと思う。そのために、「残された者はしっかりしろ!」と峻厳に迫って来るんじゃないだろうか。
でも、フォーレは、死者にも残された者にも、等しく安息を与えるのかもしれない。
ヴェルディは、残された者の悲しみや辛さなどを吹き飛ばし、死者をも目覚めさせる趣。もっとも、少しでも早く悲しみを忘れるためには、これが一番良いのかもしれないけれど。
もう何十年もこれらの曲を聴いているのに、こういう感覚を覚え、こんなことを考えたのは初めてのこと。

音楽って、同じ曲でも、やっぱりその時々の気持ちによって、思いもよらぬ感覚や感情を引き出す力があるんだなと、つくづく思った。



2021年7月3日 12時12分 儂の抱っこ
コメント (6)
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