今朝もまた思いのほかいいお天気で暖かい。朝起きてすぐにベランダに出た時はちょっとヒンヤリかなと思ったんだけど、15分後位には陽射しでポカポカ。今日も含めて10月もあと4日なんだけどね。
そう言えば、ガザでの戦闘で3000人以上の子供が亡くなったって、今朝の神奈川新聞に書いてあった。人間って、いったいなんのためにいるんだろうね。。。
「人は死なない」に関連して、今日は臨死体験のことを少し書いてみる。
この本で著者は、まず2例の体外離脱のことを書いている。どちらも交通事故で瀕死状態になった人の話で、正確には臨死体験ではない。また、著者が診た患者というわけではなく、当人から直接聞いたという。
最初の例は、兄と妹が乗っていた車が雨でスリップして電柱に激突。以下に、そこからの話の一部を引用する。
そのとき、車が空中に跳んだところまでは覚えていたのですが、その後の記憶がありません。はっと気がつくと、妹と並んで左後ろ十メールくらい上から車を見下ろしていました。~中略~ 周りは真っ暗で音はなく静かで、車だけが浮かび上がっていました。空中の私と妹も、闇を背景に上半身だけが浮かび上がっていました。
どれくらいの時間がたったかわかりませんが、事故の現場をいっしょに上から見ていた妹が、突然「お兄ちゃんはもどりなよ」と言いました。その瞬間、私は車の運転席に横たわっている状態で目が覚めました。第三章「非日常的な現象」二の「Cさんの体外離脱体験」(P.87~)
結局、妹は即死で兄は6ヵ月の入院の後に復帰したとのこと。
もう一例は、7歳の時に、自転車に乗っていて、自転車ごとトラックの後輪に巻き込まれた人の話。
私の体は、倒れてつぶれた自転車とトラックのデフとの間で、サンドイッチのように仰向けの状態で挟まれていました。~中略~ 気付いたら数メートル上から、交差点にトラック。壊れて引き出された自転車、そして白い帽子が血で真っ赤になってぐったりとした私を両手に抱えたトラックの運転手が立っている光景が、天然色映画のように見えました。まったくの無音の世界でした。第三章「非日常的な現象」二の「Dさんの体外離脱体験」(P.91~)
この人は、この後気を失い、次に痛みで気づいた時には手術台の上で治療を受けていたとのこと。頭蓋骨骨折と頭部挫創で、著者はこの状況から間違いなく脳挫傷もあっただろうと書いている。
どちらの話にも共通しているのは、事故の様子を空中から見ていたということ。そして音はなかったとも。瀕死もしくは臨死状態での体外離脱の話では、この「空中から自分を見ていた」ということをよく目にするんだけど、これはいったいどうゆうことなんだろう。まさに自分の魂が体から抜け出して自分自身を見ていると思えてしまうんだけどね。
この事について、ママはこんなことを言ってる。
「実は、人間は瀕死や臨死の時だけではなく、普段から自分のことを外から見れる、あるいは見てるんじゃないのかな。元々そういう能力があるということ。もちろん本人はそれに気づいていない。瀕死や臨死状態になるとそれがはきりと表に出て来るみたいなことがあるとも考えられない?」
確かに、幽体離脱というのは必ずしも死に瀕した時だけじゃないからねえ。まあ幽体離脱についてはこんな記事も見つけたんだけど、
幽体離脱を科学する!明らかになり始めた「からだの錯覚」とその応用 あなたにも備わっている「幽体離脱のための予備的な能力」 | JBpress (ジェイビープレス)
「体」や「身体」という表記は、どちらかというと物質的なものだ、と僕は感じています。血液が流れていて、筋肉が動いている。だから、「体」や「身体」は医学や生理学的な...
JBpress(日本ビジネスプレス)
残念ながらプレミアム会員にならないと肝心なところが読めないw。
ただ、前述したママの考えもそうなんだけど、まだまだよくわかっていない人間の能力とか力があるんじゃないのかなと思うんだよね。
そして、臨死体験と言えばもう一つ、光を見たとか花園のような場所にいたとか、そういったことをよく聞くんだけど、これ、実は亡くなった儂の父からも聞いた事がある。父は子供の頃、疫痢に罹って死にそうになった時に、「トンネルのようなところを抜け、いろいろな光があるお花畑のような所にいた」と言っていた。
この本にもこのことが書いてある。以下、その一部を引用する。
レイモンド・ムーディーはその著書「かいまみた死後の世界」の中で、臨死体験について15の共通要素を抽出し、その後に出版された「光の彼方に」でいかにあげるような10項目の特徴を述べています。すなわち、臨死体験とはその10項目のうちのいくつかを体験することと定義づけられています。
- 自分が死んだという感じ
- 安らぎと苦痛からの解放
- 肉体離脱(体外離脱)体験
- トンネル体験
- 光の人々
- 光(最高位の光の存在との遭遇)
- 一生を振り返る(走馬灯的体験)
- 急速に天空へ昇る
- 戻ることに対するためらい
- 時空の感覚がなくなること
(第三章「非日常的な現象」三の「臨死体験」(P.103~)
これ以外にも、これまでにいろいろな研究が行われ、多くの論文や本が出ているらしい。
そして、こんなことも書かれている。
こうした事例の積み重ねをみていると、現実離れした臨死体験に対して初期の頃いわれていたような「脳の薬理学的作用により起こる脳内現象」といった一過性の現象とは異なるようです。
(P.106)
この本が出版されたのは今から12年も前。その後も研究が進んでるみたい。ちょっとググってみるとこんな記事も出て来た。
臨死体験は「死後の世界」の証拠ではない? 実は脳の働きによる“幻覚”の可能性:研究結果
死後の世界を見たように感じる臨死体験は、実は幻覚に似た脳の働きによるものかもしれない──。そんな事実が、最新の研究結果から明らかになった。強力な幻覚剤を人に投与し...
WIRED.jp
臨死体験、心停止後の脳の活動と関係か 新研究
2020年12月、当時80歳だったオーブリー・オスティーンさんは、心臓発作を起こして心肺が停止した。不意に意識が目覚めたのは、自分の胸部を外科医が切り開こうとし...
CNN.co.jp
臨死体験は、霊魂とか死後の世界とか、そういうものと関係があるのか、それとも、あくまでも脳内の作用なのか。。。本当に本当に不思議。ただ、もし脳内の作用だとしたら、いったい何のためにそんな機能が備わってるんだろう。すぐに思い着くのは、死の苦しみや恐怖を和らげるため?ということなんだけど、本当にそんなことだけなんだろうか。
今日はこの位でおしまい。儂、こういうことに興味があると言ってるわりには、あまりにも知らないことだらけ。これを機にもう少しちゃんと勉強してみようという気になってる。
【レオパメモ】
10月27日(金)
【オリハちゃん】
10月27日(金)
- 朝、シェルターの中にいた。昨日のコオロギ1匹はまだいた。ただ、やっぱりケージの中が結構荒らされてたので狩ろうとしたんじゃないのかなと思うんだけど、もしかしたら自分で暴れただけなのかなあ。
- 少ししてみたらブロックに張り付いてた。コオロギをこの子から見える所に追い込んでみたんだけど反応せず。
- 4時過ぎ頃覆いをかけた時には、下向きにブロックに張り付いてた。
- @5:07 P.M.
この時はミニュチュアソファの下にいた。
- 7時頃、ケージ交換。残ってたコオロギ1匹がいなかったたから食べたみたい。さっき ブロックで下を向いてた時かも。
- その後は、とりあえず今までのケージ交換の後とあまり変わった様子はなかった。
- コオロギを食べたばかりということもあるので今日もご飯はなし。
今日はきょろちゃんが別荘に降ろしてからはほぼ姿を見せなかった。と言っても、体半分位は見えてたこともあったけどw。
らぷちゃんは今日もシェルターから出て来るのが遅かった。でも、昨日まったく姿を見せなかったのに今日はずっとシェルターの屋根の上にいたりとか、、なんだかよくわからないけどこれが普通なんだろう。
しおちゃんは相変わらず脱皮が上手くて速い。こと脱皮に関しては、レオパトリオの中ではこの子が一番安心。
オリハちゃんは以前に比べると食欲は落ちてるけど、まあまあこんなもんなのかなとも思う。