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        ドタバタ主婦の北京駐在妻日記。

オリンピック目前にして北京を離れてしまいました。。。

頭じらみ注意報

2006年11月20日 | 中国のコト
学校から、「頭じらみ」の感染が確認されたので注意するようにとのお知らせが配布されました。

「虱(しらみ)」って、体験したことありますか?
実は私にはあります!エッヘン。(違

ロンドンで最初の夏休み、一週間のサマーキャンプに参加したらそこの宿舎で感染しました。
頭に虱やら卵やらのいる様子(一見わかりません)、
それをつぶすときの感覚(プチッ!)、
西欧式バスタブでその頭を洗うとどうなるか(一緒のお風呂にプカプカ)。。。。

「お知らせ」には成虫と卵の写真が載っていました。娘は恐れおののいてますが、私には「おお、また来たか!」てなもんです。

幸いうちの子たちの頭にはいませんでしたが、気をつけないとね。

高架工事でも通行自由

2006年11月11日 | 中国のコト
北京オリンピックに向けての整備の一環で、市内の地下鉄駅から郊外の首都空港までリニアの路線を建設中です。
このリニアは上海の空港から市内までを結んでいるドイツ製のものではなく中国国産ものだそうです。中国、どんどん技術を「取り入れて」います。

ちょうど、うちのマンションのそばにもそのコースがあり、北京に来た当初はただの樹木帯だったところが切り開かれて柱が建ち、今ではもう高架も掛かりました。

この上で何やら作業をしているのですが、ここ、覆いも立ち入り制限もないのです。
つまり工事をする人もそばを通る人も車も自分の安全は自分で注意しろということ。
下に人が歩いてるときに上で鉄骨を溶接だか切断だかして火の粉が降ってきてドキッとしたら、その人、まるで虫を追い払うようにちょっと手を頭の上で振って小走りに2、3歩進んだだけ。歩みも止めず目もくれず行ってしまいました。たくましいなぁ。(そういう問題?)

写真に写ってる小屋は資材倉庫ではありません。使用中のベッドが並んでたので作業員の宿舎なのか・・・。ドアはついてますが窓にガラスもはまっておらず、一部にダンボールが貼り付けてあるだけでした。これからの季節、朝方の冷え込みは零下になってくるのに。。。

アフリカ旋風吹き荒れる

2006年11月06日 | 中国のコト
11月2日から昨日まで北京では中国とアフリカ全土、48カ国との首脳会合が開かれてました。そして今日がそのアフリカ首脳の方々の帰国日です。

中国で「北京サミット」と呼ばれたこの会合(正式には「中国・アフリカ協力フォーラム首脳会合」)の、政府の力の入れようったらすごかったです!

要人たちが訪中する少し前から空港からの高速道路と、要人たちが移動する市内、目に留まるかもしれない場所までがくまなく飾り立てられたのです。
歓迎のスローガンの横断幕看板、道路沿いにペナント紅いぼんぼりアドバルーンなど、とにかく派手でした。
民間企業の大看板の上にも容赦なく歓迎ポスターを貼られてしまうところがお国柄です。。。

それから大幅な交通規制。期間中公用車49万台を使用禁止にして普段渋滞のひどい市内がスイスイになったそうです。49万台!!
この交通規制による通学の影響を考慮し、日本人学校は授業の短縮や日本からの落語家来校イベントの中止などを決めたのですが、実際は普段よりスムーズな通学となる皮肉な結果だったようです。

テレビのニュースもアフリカ一色。会合の様子や各国首脳へのインタビュー、経済協力についてなどが華々しく報道されてました。
ところでアフリカって48ヶ国もありましたっけ?「ソマリア大使」なる方がインタビューを受けていたりコンゴやスーダンの首相と胡錦濤国家主席がにこやかに握手をしてる姿にはうーむむとちょっと複雑な思いでしたが。。。

一方、北京市民の生の声もチラホラ聞かれました。
ここまで大掛かりな歓待ぶりは見たことない、なぜアフリカにそんなに援助するんだ、国内だってまだまだ未整備なところがあるだろうなど・・・。

中国政府、すごいです。。。。

※バスの中から取った写真、バスのオレンジ色のシートが写ってしまいました。見にくくてすいません。

生産日が「明日」の食品?!

2006年11月02日 | 中国のコト
マンションのふもとの外国人向けスーパーで買い物をしてたらあるお客が店員に品物を示して生産日について質問してます。
中国人の店員さんは珍しく絶句・・・。

見てみると、確かに「生産日期」、そしてわざわざ英語でも「Made Date」の日付が明日になってます!!

ぶぶ、店頭に出すのが早すぎちゃったのね。ざーんねん、バレちゃった!


かぼちゃいっぱいのハロウィン

2006年10月31日 | 中国のコト
今日はハロウィンの日。
幼稚園にはウルトラマンが一人とバットマンが二人現れました!子どもたちがそういう格好で来たのです。幼稚園側では何もやらないと聞いていたので、最初はその格好がハロウィンだからだと気づきもしませんでした。

この辺には欧米人が多くいるので結構ハロウィン色がありました。スーパーには部屋の装飾品や仮装道具などのハロウィングッズコーナーができ、子どもたちにあげるためのお菓子のバラ売りもありました。
でも圧巻は直径30㎝以上の大きなカボチャの山積み。店の中に入らず外に置かれたりしてました。
以前の公園での催しでもジャック・オ・ランタンを作るコーナーがあり、あのおなじみのお化けかぼちゃの顔を彫るための専用のナイフと中をくりぬくためのスプーンがあることを知りました。
そうして作られた生カボチャのジャック・オ・ランタンをあちこちでチラホラと見かけました。
と言っても欧米式飲食店での話で、うちのマンションを含め一般家庭のは目にとまりませんでした。

日本でうちの近所でもクリスマスのようにお金をかけて買ったハロウィン装飾で家を飾りたてるところがありましたが、こちらなら生かぼちゃの方がずっと安いです。小さな魔女メガネを一つ買う値段で大きなカボチャが買えます。
店の前の通路の両側にずらーっとジャック・オ・ランタンを並べたオープンカフェレストランがあり、夜にはちゃんとろうそくを入れて火を灯していました!皮を薄くしすぎたか日に日にカボチャがしなびて形が崩れていくところが生々しかったです。

うちのマンションでは何事もありませんでしたが、日本人マンションやほかの外国人向け住宅地ではハロウィンパーティーの催しもあったようです。
一般の中国人はどうしてるのかわかりませんが、中国の壁新聞を見てるとハロウィン(万圣節)の記事もあったので意外と知られているのかもしれません。
こちらでも日本のように西欧の習慣を取り入れるのに抵抗はないみたいです。。。


絵本書店のイベント

2006年10月29日 | 中国のコト
今日も快晴!
以前から行きたかった日本の絵本屋さんが一周年記念で、うちの子たちもよく知ってる絵本の作者が来てお話し会&サイン会をするというので行ってきました。

そこは三環内(=環状3号線以内。昔から発展していた市街地。)の大規模開発商業ビル群の一角で、到着したと思ってタクシーを降りたところからまだてくてくとかなり歩かされました。
ようやく探し当てた店内は、まるで夢の国に引き込まれたかと思うような美しいデザインの空間。一階はグラデーションの色がきれいなじゅうたんを床、 壁、天井にまで敷き(←?)つめた読み聞かせや工作のための部屋、二階は日、中、英語の絵本が売ってるのですがここがまた子どもがちょっと本を読んだり遊 んだりもできる「居つきたくなる」部屋なのでした。階段にも一段一段違う色のじゅうたんが敷かれ、壁には映写機からの画像が映し出されて幻想的な雰囲気を かもし出しており、思わず足をとめてしまいます。

今日来ていたのは「おまえうまそうだな」など「ティラノサウルス」シリーズの宮西達也先生。よく通る声で明るく自ら読み聞かせをし、頑張って中国語を入れるなどユーモアもたっぷりで会場はずっと笑いがたえませんでした。
(それでも私は「おまえうまそうだな」の終わりで、わかっているのに大泣きしてしまいました。)

この本屋さんは日本や世界の絵本の中国語版を出版したり新刊の日中同時出版を企画するなど、お店だけでなく中国に絵本を広める幅広い活動をしています。こ の「ティラノサウルス」シリーズも中国語訳され、次男の幼稚園にも置いてありました。この日の読み聞かせも店員さんによる中国語と交互に読み進めていて、 会場の子ども達も殆どが中国人だったようです。
中国テレビの撮影も来ていました。うちの子たちは3人兄弟で「絵」になるのか、途中随分と撮られていた気がします。放映されるかは疑問ですが。

子ども達は好きな本を読み、私は撮影での宮西先生のインタビューなどを聞いてずっと店内で過ごしました。もちろん今まで自分では買ってなかった「ティラノ サウルス」シリーズも買いそろえてサインしてもらいました。ついでにこの日だけ特別価格というこのティラノサウルスのパペットも買ってしまい、かなりの出 費。ま、思い出と一緒の買い物なら、いいよね。。。。(←いつもの言い訳。)
帰りは節約してバスでした。

小さな絵本屋さんでしたがながいこといて大満足!日本ではネットに押されて書店がどんどん消えてるようですが、こんな、来て見て遊べるかわいい絵本屋さんがあったら毎日子ども達で大賑わいだと思うのですが。。。。

ファミリーカーニバル

2006年10月21日 | 中国のコト
我が家の目の前に広がる公園、どうやら近くのホテルか園内のレストランのプライベートパークらしく、休日になるといつも結婚式をしていますが、今日はその公園で「ファミリーカーニバル」が開かれているというので行って来ました。

英字のフリーペーパー社が主催する催しで、その誌上に広告を出している団体がブースを出して宣伝する場となっているのですがそれぞれが工夫を凝らしたゲー ム、工作、プレゼントなどで人集めをする仕組みになってます。特設ステージではいろいろな出し物やたくさんブースを回った人の表彰などをして、お腹がすい たら近くの四つ星ホテルが出す屋台の暖かい食べ物を食べ、予想以上に充実した内容でたっぷり楽しむことができました。

人々が行きかう広場の中では西欧人の大道芸人がジャグリングなどの芸を披露していたのですが、感心したのは主に中国人たちがそれを真似したがることです。芸人さんたちに道具を借りて、一生懸命練習します。中には結構な腕前の人もいます。
こちらの公園に行くと大人や年配の人が実にいろいろな趣味に興じていて、剣や槍を振り回したりブンブン独楽を回したり芸人まがいのことをしているのもよく見かけるのですが、こういったことが好きな国民性なのでしょうか。
そのうち芸人さんたちの道具がすべて貸し出されてしまって芸人さんたちはその指導に立ち回るだけ、というほどでした。その道具の一部が途中で紛失してしまったようで、最後にしきりに場内放送が入っていました。気の毒なことです。。。。

ブースを出展していたのは学校関係が一番多かったです。次男の幼稚園も出展してました。北京にはインターナショナルスクールや国籍制限のないカントリースクール(ちなみに日本人学校は日本国籍を持った生徒に限られてます。)がとても多くかなり熱心な宣伝合戦をしてます。
それから病院、歯医者、洋書屋など。郊外にある屋内スキー場というのもありました。ぜひ一度行ってみたいです。

どんよりと曇ったとても寒い日でしたが、幼稚園の友だちも来ていて遊べたし、あっという間に時間が過ぎて中国語レッスンの時間になったのでたーっぷりのチラシとお土産を持って子ども達も大満足で家に帰りました。


北京国際マラソン

2006年10月15日 | 中国のコト

有森選手で関心を持って北京マラソンについて聞いたり調べたりしたら、これが国際大会と市民マラソンを合わせた正式で大規模な大会なのですね。しかも毎年行われているようで。。。知らなかった!
(北京国際マラソンについてのサイトはこちら。)

横浜に住んでいたときに横浜で国際マラソン大会が開催されても「あら通行止めになって不便ね・・・」と思うくらいでしたが、こちらにいると「せっかくだから見に行きたい!」と思うから不思議。
子どもたちだって有森さんの話を聞いたし、たまたま翌日に小学校での長距離走の記録会を控え良いイメージトレーニングになるし、有森さんだって「実際に目 の前で見てみて迫力を味わってください!」(北京オリンピックについての話の中でしたが。)と言ってたし、絶好の機会!と思ったのに、すっかり出不精に なった子どもたちはどうしても行きたがらず仕方なしに家でテレビ観戦となりました。

中国中央テレビの7(?)チャンネルのうちの一つはスポーツ専用チャンネルです。ここで生中継をしてました。(日本にも生中継されたのですね!それほどメジャーな大会だったとは。。。)
あいにく天気が悪く曇り&霞だったので中継の選手も見にくかったし周りの景色もよく見えませんでした。霞がかってるのはこちらの特徴ですがここまで薄暗いのはあまりないです。

面白かったのはこちらの中継ではBGMが入ること。道中はまったりと流れるような曲、ゴール近くになるとちゃんと盛り上がるのです!そのあと画面が切り替わるとちゃんと曲も「まったり」に戻ります。
それからゴールでは一位の選手しか映さないこと。その後の選手は「写れば」見えますが、画面が切り替わると全く見えず、最後に順位表で名前を見るしかありませんでした。
男子で3位に入った選手は「中国電気」と書いてあるゼッケンだったので中国人かと思ったら日本人でした。
女子は表彰式も写らなかったので一位(中国人!)以外の選手は全然わかりませんでした。

あとから聞いたら日本の芸能人も何人かいたようだし日本人学校の先生でも校長先生をはじめ数人出場したようだし、来年はぜひ応援に行きたいと思います。
(出場はー、、、ちょっとぉ、、、、、汗)

夫、荷物の盗難に遭う。

2006年10月12日 | 中国のコト
安徽省合肥というところへ出張に行っていた夫がガックリ気落ちして帰ってきました。出張中にカバンが盗難に遭い、幸いカバンは出てきたもののお財布とパソコンがなくなってしまったそうです。

夫は出張先で会社のほかの人とお客さんの計5人で、お客さんの自家用車(ヒ○ンダイ)に乗せてもらって夕食を食べに行きました。普段はカバンは手離さない のに、このときは5人もいたので車内がきゅうくつで荷物は皆トランクに入れ、鍵をかけてそのまま食事に行きました。地元中国人のお客さんもそうしてたから 大丈夫だと思ったのだと夫は言います。
食事が終わってホテルまでまた送ってもらい、みんなでお礼を言ってトランクを開けたところ、

あっ、ない!

と。。。。。
トランクを無理にこじ開けた形跡はなかったそうです。

おとといは、カバンごとお金もパスポートも航空券も服も資料もパソコンもぜーんぶ無くなった!と電話をかけてきました。
昨日になったらカバンが河で見つかり、財布とパソコン以外は戻ったけど水浸し泥まみれで全部洗って資料の紙まで干してるところだ、との電話でした。
そして今日帰って来て、命もパスポートも助かって良かったじゃないのと慰めたのですが買ったばかりのパソコンがハードディスクごとなくなったのは痛い、としょげていました。
「サルベージが大変だ・・・」とつぶやいてました。
「サルベージ」ってこういうときにも使う言葉だったのね?知らなかった。。。

でもほんとに、盗難に遭うなんて恐ろしい!やはり甘い国ではないな、とまたも気の引き締まる思いでした。。。

北京市政府からメール

2006年09月30日 | 中国のコト
ぺ金市委いん会とぺ禁市せい府から連名でメールが届きました。
(↑一応検索逃れのつもり・・・・。無駄?)

「あなたと家族が国慶節と中秋節を楽しく過ごすために、休暇中の予定を合理的にアレンジし、出かけるときは安全に注意してください。あなたの国慶節休暇が楽しく平和でありますように。」

これだけの内容なのですが・・・・・・。

これを全市民に送信してるかといえばそうではないようで、携帯電話会社によって違うようです。
こちらでは携帯メールは受信にも料金がかかるので、こんな内容でも送信すれば携帯会社が儲かる仕組みです。

ちなみにこちらの携帯メールは電話番号と同じアドレス、つまり直送メールです。
携帯メールの内容は「検索」ではなく人の目によって全文検閲されてるそうです。以前も書きましたが移動も監視されてます。要注意人物としてマークされると、最悪の場合天の高い高いところからピンポイント追跡されて・・・・・・・逃げようがありません。こわーい!
イギリスの街頭監視カメラどころの話じゃありません。。。。

携帯電話で世の中すっごく便利になりましたが、これを国家が何の制約もなく自由に利用できるとすれば国家にとってもこの上なく便利な国民監視ツールですよね。
中国は日本以上に携帯電話の環境が整っていると聞いていて不思議だったのですが、なるほど、理由がわかった気がします。。。


さて来週国慶節期間は一時帰国しています。
どちらさまも良い国慶節&中秋節をー!

。。。って、日本はまったくの平日ですね。

突然停電!

2006年09月15日 | 中国のコト
つい先日、夜9時頃に電話がかかってきました。夫が取ったのですが、怪訝そうな顔をして黙っているばかり。そのうち私に受話器を突き出して、「英語!」と。
何かと思って出てみると、中国なまりの英語で
「We have to cut off the electricity.(電気を切らねばなりません。)」
とひとこと言うが早いかいきなり、

バッチン!

と大きな音がして家中の電気が消えてしまったのです。
びっくりしたのなんの!まさに目の前が真っ暗!心臓まで止まるかと思いました。何も言われずに消えるよりびっくりしました。
夫の夕飯の用意中だったので、キッチンでコンロの炎が青白くひかっていたのを地震でも来たかのようにあわてて消してしまいました。せっかくの明かりだったのに。

外を見てみたら通りもほかの棟もちゃんと照明はついてます。玄関を開けたら廊下の照明もつくし、エレベーターも動いてます。
どうなってるの????と思ったら
「9時からなんとかって言ってたのはこのことだったのかぁ!」と夫。
「19階から28階までって言ってた」。
どうやらこんな時間に電気の工事らしいです。わかってるならすぐに言ってよーっ!
家では子ども達が懐中電灯であちこち照らして楽しそうです。

そうこうしてるうちにまた部屋の明かりが灯りました。
ほっ。
作りかけの茄子炒めが放置されてすっかりべちゃべちゃになっていました。。。。



そして今日の夜7時にまたいきなり停電。今度は電話もありませんでした。こちらももう慣れて、冷静に外からの明かりで時計を見て、7時ぴったりだからまた工事だろう、やがてすぐ復旧するだろうと構えてました。
そしてその通りになりました。

でも今日はちょっとオマケが。
真っ暗になったあと、玄関の外、共同廊下の電気メーターの辺りで音がするのでマンションの工事係の人かと思って出てみました。廊下の照明は着くので玄関を開けたほうが家の中が明るくなるし。(玄関を開けるといきなりリビングダイニング、という間取りです。)
すると若い男性がいて中国語で話しかけてきたので私が英語で返すと即座にその人からも英語で返事が。マンションのサービスセンターの人ではない!
すると
若い男性:「あなたは子どもを○○幼稚園に通わせてるか?」
私    :「はい」
若い男性:「やっぱり!あそこで見かけた。」
私    :「なぜあそこで??」
若い男性:「ぼくもあそこのマネージメント部門に勤めてるから。」
私    :「おーーーーー!!」

幼稚園とマンションでの知り合いが同時に増えて得した気分でした♪

中国の漢字「簡体字」について

2006年09月14日 | 中国のコト
新しい家庭教師の先生は日本人と香港人の間に生まれ、アメリカや北京も含めあちこちに住んだ経験があるそうで、今は語学を教えるプロでもあるせいか、とても言葉を大切にする先生です。

先生の初授業のときに、標準語と北京語がちょっと違うという話になリ先生は
「昔の北京は今と随分ちがいました。人々はとても礼儀正しくてきれいな言葉をしゃべっていました。あとから地方からいっぱい人が来て、昔からの北京人はどんどん郊外に移り住み、北京の街中は言葉も道徳も乱れてしまいました。」
と言い、「昔の北京の人たち」をとても懐かしがるような言い方をしました。

次に漢字の話になりました。
中国内では「簡体字」と呼ばれる、昔の漢字をかなり省略した漢字を標準文字として使っています。日本語と中国語が漢字で通じ合えるとは言ってもこの簡体字 はどれがどの字に当たるのかわからないほどの省略が多く、新たに覚えなおさないといけません。旧字体を知ってるちょうど私より上の年代が減ってくると、日 中は筆談で通じる、という今の良さはやがて消滅するでしょう。残念なことです。

先生は
「どうして今の簡体字ができたかご存知ですか?」
と聞いてきたので知らないというと、
「文化大革命のときに、文字を知らない農民にもわかりやすいようにと、当時の学者の大反対を毛沢東の妻江青が押し切って制定されたのです」。
淡々とした口調でした。ただ無学な農民のためにと強行された略し方には根拠も一貫性もなかったようです。
「たとえば劉備元徳の『劉』(前の記事のコメントにあったように中国内に多い姓のトップ4に入るそうです。)という字は、『金』という字が入るのはけしからんという理由で「刘」となりました。」
だそうです!

台湾や香港など南の方では繁体字と呼ばれる旧字体が使われています。先生によるとこれは簡体字化の影響を免れたからだそうで、これこそが昔の正統な中国文字である、と言いたげでした。
(もっともこの旧字体もまた画数が多くて難しく、簡体字も序々に台湾社会に広がってきてはいるようです。)
先生は一応中国人ではあっても中国以外の国も知っているので色々思うことはあるのでしょう。

でも良し悪しを決め付ける感情的な言葉は先生からは一言も出ませんでした。ただじっとこちらを見据える目は、文革の功罪を問うているかのように私には見えたのでした。


なるほど!簡体字の方が画数が少なく明らかに便利そうなのに繁体字もまだ残っているのは色々感情的な事情もありそうです。
ちょうど私と同い年の中国人のママさんが、小学校高学年のときに簡体字がさらに簡略された文字に改定されて覚えなおしになり、それが誰にも読めない文字になってしまって社会に大混乱をもたらしたのでまた今の段階の簡体字に戻した、という体験をしてるそうです。
簡体字導入にもかなり混乱があったようです。でも今これだけ普及してしまってるから、いまさら戻す事はできないのでしょうね。

せっかく言葉がわからなくても文字で通じ合えるという漢字の利点、このまま消えていくのはどうしてももったいないと思うのです。
日本と中国、台湾(あと韓国も?)とで共同の漢字評議会を作って同じ漢字は各国同じ字形で使用できるような改革ができないものでしょうか???

名前がいっぱい!

2006年09月12日 | 中国のコト
幼稚園の新年度が8月21日から始まってもう3週間、友だちや先生の名前を覚えるのがなかなか進まなくて困っています。
もともと人の名前を覚えられない私ではありますが、、、

幼稚園クラス(その下の保育クラスもありますが、)の子どもの人数は4クラスで24人程度。日本の一クラス分です。

しかーし、

中国人、そして韓国人には親からつけられた「英語名」があります。これは中英両方の名前を戸籍登録する香港の真似ではないかと聞きました。
欧米人にも中国語クラスのために中国語表記の名前をつけられます。
つまり、一人につき二つの呼名を使うので両方覚えねばなりません。
(次男にはぼくの日本語の名前は「りゅうき」、中国語の名前は「ロンジー」、英語の名前は何?」って聞かれて困ったことがあります・・・。)

先生もそれぞれのクラスに英語の先生、中国語の先生と二人づついて、中英両方の名前があります。ほかに先生以外のスタッフもいっぱいいます。
次男がある日「ジェニファーに渡して!ジェニファーに!」と言うので新しいお友達かと思ったら去年度まで「シェン・ラオシー(シェン先生)」と呼んでいた中国語の先生でした。
ちなみに中国人の先生を中国名で呼ぶときは苗字に「先生」という敬称をつけ、英名で呼ぶときは名前を呼び捨てです。。。

親どうしで呼び合うのも下の名前を呼び合います。つまり一人の子で父親と母親とそれぞれの名前を覚えなければなりません。日本のように「○○ちゃんパパ、○○ちゃんママ」では済みません。
でもこれはこの方がいいですよね?


・・・というわけで必要な名前を全部覚えるのはきっと卒園を迎える頃でしょう。

ただ、ここ(米国式)では苗字を覚える必要がほとんどないのが日本と違うところです。。。

セレブな誕生日パーティー♪③

2006年08月29日 | 中国のコト
③になってようやく本題、誕生日パーティーでっす。。。

この日のパーティーのことは当然この広大なホテルのスタッフ全員が承知しているはずです。でも占用というわけではなくほかのお客さんも少しいたようです。

玄関を入ると名前を確認し、会場まで案内されました。ロビーを抜け、プールの脇を進み、体育館に入ってバドミントンコート、 テニスコートのそのまた奥のバスケットボールコートにテーブルと椅子が置かれており、最近人気のキャラクターらしい「スポンジ・ボブ」のエアクッション(「セレ ブ・・・①」の写真参照)が設置されていてそこがメイン会場になってました。やはりあくまで子ども主体のパーティーです。

まずは主役のS君一家に挨拶し、一緒に写真撮影。
そしてプレゼントを渡しました。たちまち包装紙はビリビリに破かれ(うっ、昨日必死に包んだのに・・・)、中味丸見えの状態にしてプレゼントのテーブルに展示(?)されました。すでにほかの人たちの持ってきたプレゼントが山積みになっています。

息子たち:「うっわーすげー!!!開けて見てみたーい!!!だめ?」
私:「だめですっ!(ほっ、みんな大きなオモチャをあげてるけどうちのも2、3番目くらいに大きいわ。見劣りしなくてとりあえずよかったー!)」

うちは英語で説明がついてるものを選びましたが、説明が全部日本語のトミカの消防船をあげた子がいました。あとで聞いたら主役S君はその消防船が一番気に入ったとのこと。あれま。。。。
  
次にウェルカムドリンク(ジュースばっかり。子ども用のパーティーですから!)を勧められました。私にしては珍しく喉がカラカラにかわいてるのに気づき、グレープフルーツジュースをもらって一気に飲み干しました。きっとあのタクシーでの緊張のせいでしょう。

まだ到着してない数人を待ちながらしばらく遊び、やがてランチ。
洋、中、そして和(太巻き)も摂り入れたバイキングでした。
目で見て食べたいものを選べるのは非常に嬉しいです。食堂のメニューでは決まったものしか注文できないので。バイキングでは遠慮できない私、何度も往復しては目いっぱいバイキングを楽しんでしまいました♪♪おなかきつい~。
スクリーンには「スポンジ・ボブ」のアニメが映し出されていました。子ども達はそちらに夢中。かえっておとなしくてよかったかも。

たっぷりの食事時間のあとは庭に出ていくつかのゲーム。植え込みのあちらこちらに隠されたピンポンゲームを探したり、水風船を割って回ったり、木から吊るされた「スポンジ・ボブ」を叩き割って(←これ、ちょっと残酷でした。。。)キャンディーをとりっこしたり・・・。
ゲームごとに場所も移動し、それでもまだまだ余りある広いお庭でした。

それからおやつ。ここでもまた「スポンジ・ボブ」のケーキ!
ケーキを食べてパーティーの予定時間は終わりですが、そのあとは各自好きなようにホテル内で遊びました。

我々が挑戦したのは、氷上の「カーリング」と同じようなルールで卓上でパイを滑らすゲーム。わかりやすくて手軽で子どもから年寄りまでできるゲームで楽しかったです。初めて見ましたが、アメリカ南部で見たことがあるという人がいました。

誘われてプールにも行きました。浅くて噴水つきでローマ風呂のようなプールでした。水着、タオルはすべて貸してくれます。ちゃんとライフセーバーもいました。ここではほかの客はいず、子ども達は大はしゃぎ。

このあと、S君ファミリーに挨拶してタクシーを呼んでもらって帰りました。

さてまたタクシー。
タクシーに乗るとき、S君パパとホテルスタッフが運転手に何か言い含め、私には「この機械を使わないで行くから料金は150元でいいか?」と聞いてきまし た。「この機械」と指さされた黒い箱が何かわかりませんでしたがS君パパの言うことなら間違いないだろうと了承して発車。すぐにそれが「空車表示板」と気 づき(車内から見ると全くただの箱)、タクシーメーターを作動させずに行くことだとわかりました。きっとS君パパさんは150元が特別安い値段と思って運 転手に交渉してくれたのでしょう。行きにタクシーを使った話をほかの人としたらびっくりしていて「えー!200元かかった?300元??」などと言ってま したから。でもこれじゃメーター料金で来た行きよりも高い・・・。

この運転手さんは高速道路も慣れてるようでしたが一本目の高速道路を降りて次の高速は使わず、一般道を選んだようです。道の名を見ると我が家のそばまで来る大通りなので今度こそ大丈夫かと思ったら、だーいぶ走ってからから運転手さん、
「で、どこに向かうんだっけ?」と。。。。。。。。コケッ
目印になる近くのホテル名を言うと「ああそうだそうだ」と言って携帯で会社に電話をかけ、道を聞いていました。最後マンションまでは私がいつもの道案内をして、無事帰宅!

はぁー、パーティーも素晴らしかったけど、やっぱ私には往復のタクシーがハラハラドキドキの強烈な体験だったな。

何にしろ、とても忘れがたい一日となりました。

ここまでずっと読んでくださった皆様、長い記事になってすいませんでしたー。


セレブな誕生日パーティー♪②

2006年08月27日 | 中国のコト
プリントアウトした招待状と地図も持って準備万端、意気揚々、いざ出発!

一見すぐ近そうにも見えたその地図はかなりの略図で、よく見たら目的地はどうやら相当な郊外。我が家の壁にデカデカと貼ってある北京城区(「東京23区」のようなもの。市街地。)の地図よりも外側のようです。
空港だって載ってる地図なのに、それよりも遠いなんて、未知の世界!タクシー代も一体いくらになるのか急に不安に。。。

外に出てタクシーをつかまえて「ここに行ってください」と地図を見せると、運転手はそれをじーっと見て、「すまないけどわからない。」
運転手のレベルはまちまちだから、田舎から出てきたばかりの人だったのだろうと思ってまた次のタクシーをつかまえて聞いたらまたわからないと言います。携帯で会社に問い合わせる運転手もいましたがそれでも次々断られました。

焦燥感。。。。

なぜっ?どぉーして!?略図とは言え高速道路名も交差点名も目印も書いてあるから行けるでしょうに。こんな長距離の客、歓迎こそすれ断るなんて!

しょうがないのでこちらも強引に頼み込むことに。
手持ちの市街詳細図も取り出し(目的地はその本よりも外側だけど)、
「ワタシ、コレ行きたい!これ、この道路、この道路、これ、ここ行ってこう!」
(↑なんのこっちゃ。まだこんな程度の会話力です。。。ガックシ)

するとようやく乗れと言ってくれる運転手がいました。それでもその地図だけが頼りらしく、しばらく車を停めてじっと見つめたあと発車しました。道中もチラチラと助手席の私が持ってる地図に視線をやってます。大丈夫かなぁ~。

まず一つ目の高速に無事乗れました。ほっ。
・・・としたのもつかの間、この運転手、ノロい!高速道路なのに60キロそこそこで走り、しかも他車に抜かれるとき減速します!
時間には余裕を持って家を出たのにタクシーを拾うのにあれだけ手間取ってすでに遅れ気味。でもそんな腕の運転手に「速度をあげてくれ」と言うのも怖いし・・・。もう、時間に間に合うことはあきらめてひたすら無事到着を祈ることにしました。

地図によると途中から次の高速道路になり、料金所のあと、町に入るゲートの手前で曲がれば良いようになってたのですが、最初の高速の料金所を出て次の高速までの道が、ないっ!!!
まだ作りかけの工事中でした。で、車は高架からおりて工事中の敷地内を進むのです!もうもうと砂埃の立つ道なき道・・・。頭上ではコンクリート板をひもで持ち上げて隙間ふさぎをしてます。対向車側では大型車が段差を前に立ち往生してます。こわっ!
資材が置かれてる場所では車の流れが割れます。「どっちに行くか?」と聞かれ、思わず「知るかーっ!」と叫びたくなりましたがぐっとこらえて「ぶーちーたお(=知りません)。」と静かに一言。

周りの車の流れのままに進んだらちゃんと次の高速道路の入り口にたどり着きました。
嬉しそうな運転手さん♪
いや、まだこの高速の終点まで行くんだから。。。!

相変わらず高速道路の最低限速度を守りながら、今度は出口の表示のたびに「ここを出るのか?」と聞いてきます。
私に道を聞くぅ!?これがどんなに無謀なことか、私の身内なら実体験済みなはず。で、でも今はこの運転手さんとどっこいどっこいかも。。。

覚悟を決めてナビ役に。
「まっすぐ!」「まっすぐ!」「次の料金所まで。」
そんな調子で辞書と地図と通り名、看板を凝視しながら進み、ついに
「ああ!ここー!」
こんな目立つゲートも見落とした運転手、少し進みすぎていたのでバックしてからゲートをくぐり、目の前の車寄せへの入り方まで私に聞いてきて、ついに到着。時間もランチ前には間に合った!

気がかりだった料金は高速代含めて122元(約1830円)。やっすい!!!
いきなり心も軽くなって、また大きな期待感がわいてきて子どもらとともにいそいそと会場に向かったのでした。



はぁーーー(←安堵のため息)。思い出しても緊張の車中だったわ。
続きはまた次回。