5月1日に夫が日本出張から戻ってきて、5月2日には「川底下村」という小さな村へ日帰りで行ってきました。
夫の会社の車と運転手さんに家から車で往復してもらいました。
GWで車が多かった(結婚式の車列がやたら多かった!)のと、安全運転の運転手さんなので家から片道3時間ほどかかりました。
←結婚式の車列の先頭車。
この村は山あいにあるとても小さな村です。
ぎっちりと家が密集していて、村内をくまなく歩いて回っても2時間もあれば十分です。
でも村の中はまるで迷路のように細い道が伝っていて、探検心をくすぐられます。各家の門かざりとか大きな古い碾き臼とかちょっとした装飾が目を引きます。まるで「江戸村」とかのようなテーマパークのようでもありますが、まだ実際に住んでる人もいて、その生活ぶりも開放されています。
←ロバに引かせる石臼。
焼きとうもろこしの香りにフラフラと引き寄せられることもあれば突然の生活臭(←つまり、アレね。。排泄物。。。)が鼻を突いてくることもあります。
←「毛沢東の思想で頭脳を武装しよう」
村内を歩き終わったら向かいの山の登山道を上がって行くと村が一望のもとに見下ろせます。(※トップの写真)
ここの村は500年以上の歴史があり、明・清時代の姿がほぼ完全に残された集落です。
中庭を囲んで東西南北に部屋のある四合院造りの家々。
明時代の初期、北方民族の侵入から都を守るために北京にモンゴル人が近づいて来れそうな山中の川底、谷間には必ず防衛のための屯田兵の村がつくられ、ここもその目的のために移住されられた人々が住み着いたのが最初でした。一時は交通の要所として栄えた時期もあったのですが、その後別の街道やら鉄道ができてからはすっかり忘れられて時代から取り残され、不便な地形ゆえ果樹を植えたり養蜂でひっそりと生き延びてきました。
←山東方面に続く昔の道。
それを1995年、当時の村長さんがこの村の古い故の価値に気づき、内外に働きかけて観光地として宣伝し始めました。
この村長さんの偉大なところは、村の古さ、素朴さの価値を十分認識し、観光客は招いても、村に下手に手を加えて(中国によくあるような)派手な観光地化はしないという方針を打ち立てたことです。
こうして2003年には中国歴史文化名村に指定されました。
(以上、ネットで拾った情報や村で買ったガイドブックなどを参考にしました。歴史が面白いでしょ?)
「
当時のままの姿」!
私はこれ↑に惹かれるのです~♪崩れていようが薄汚れていようが辛気臭かろうが、ありのままの姿の方がその歴史に思いをはせる余地があっていいと思うのです。
ところが、どうやら人気が出すぎたようです。。。
北京在住の日本人にも定番の旅行先の一つになっていますし、旅行好きの中国人が押し寄せるようになって(欧米人も来てました。)、この村へ行くためだけの道路が整備されました。
黄金週間の只中という、中国人が観光で大移動する時期に行ったせいもあるのでしょう、村に入るにも長い車の列に並ばねばなりませんでした。
村も、村名を示すのぼりが無数にはためいていたり人工もみじが山肌一面に差してあったり土産物屋にオリジナル商品がいっぱい並んでいたり。。。
くだんの村長さんがまだご存命か知りませんが、思いっきり観光地化された印象を受けました。
観光客の「昔の素朴なままであってほしい」「でも観光に便利であってほしい(トイレとか食事とか。)」という自分勝手な要望と、村人の「売り込みたい」「気持ちよくすごしてもらいたい(=新しくしたい)」との気持ちと、、、
観光で見事村おこしに成功した村のジレンマを垣間見た気がしました。。。