ドタバタ主婦の北京駐在妻日記。

オリンピック目前にして北京を離れてしまいました。。。

旅券遺失の顛末記

2008年05月19日 | 家族・家庭
さて第二部。

【4月17日(木)】ついに北京を離れる日。

列車は夜7時出発ですが、日中にはまだ大切な用事が残ってます。
まず日本大使館領事部へ行ってパスポートを受領。髪を切ったことは全然問題ありませんでした。

新しくもらったパスポートはなんか硬い。見ると真ん中のページが分厚いプラスチックカードになってて折り曲げることができません。
ゴツくなっちゃって、ページめくりにくくて嫌だなぁ。
真新しいページが並んでて、2年前から今まで結構たまっていたビザやら出入国スタンプの記録も一切なくなっちゃった。寂しい。。。

なんて感慨に浸ってる間もなく、いつも世話になっててこの日も朝から付き合ってくれてるA社のBさんにそのままパスポートを渡します。

続いてビザの申請。
これは毎年行なってることで、いつもこのA社にお任せです。
本人が出頭しなくていい手続きなので、ここまですればもう私はハンジョウに行ったあとまたわざわざ北京に戻ってこなくてすみます。
あとで夫の北京出張の際にでも渡してもらえばいいのです。

ま、それでも私はまだ「身分証明書なし」で中国内をウロウロするのですからかなりの不安はあります。
列車で何事もないことを祈りながら子供たちと4人で夜行列車に乗り込み、「さよーならー」と飛び立つのではなく、指定された座席(ベッド)からは窓が見えないので通路の窓に皆で額をくっつけて「まだ北京かな?もう北京を出たかな?」と夜の街に懸命に目を凝らしながらよくわからないうちに北京を後にしたのでした。。。

駅に入るにも行列に並ぶほど人でごった返してた北京駅から乗り込んだ列車は前回よりもワンランク上の二段ベッド車両。
下段は既に予約がいっぱいで、上段だけ4人分、二部屋に分かれました。ベッド上で起き上がると天井に頭がつかえた前回の最上段と違い、2段の上段はゆったり座れたので車内で買ったお弁当をベッド上で食べました。
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車内にはお弁当やカップ麺、スナック、飲料、果物などの販売が頻繁に回ってきます。各コンパートメント(部屋)ごとには中国人必須のお湯のポットが置いてあり、自分のお茶の水筒にいくらでもお湯を足せます。
2歳の女の子を連れたパパさんと一緒の部屋になり、人懐っこいその女の子が上段に上がりたがったので来てもらって絵本を読んであげたり、うちの子がそのパパさんからひまわりの種をもらって食べ方を教わったり、なんて交流もありました。
images ←2歳の女の子の右脚がしっかりパパに。きゅ~と♪

息子たちは「寝るしかないじゃん!つまんない!」と不満がってましたが(当たり前だ。寝台車なんだから。)今回もとても快適な旅でした。


【4月18日(金)】朝、無事ハンジョウ駅到着。パスポートチェックはありませんでした。
まもなく引越し荷物が届く予定だったのですぐにマンションへ。
夫の飛行機は霧のため遅延。
北京の3分の2の広さしかないマンションはあっという間にダンボールで埋め尽くされました。


【4月19日(土)】学校バス試乗会及び面接。

【4月21日(月)】始業式・入学式。
午後から夫、北京出張。

【4月22日(火)】北京Aさんから連絡。
Aさん:「オリンピックのせいでビザ審査が厳しくなってる。今年は本人が来ないとだめだって!」と。。。。


ガガーーン!どどーーーん!!(←また奈落の底に落ちる音。)




【4月23日(水)】北京Aさんから再び連絡。
Aさん:「知り合いに頼んでオッケーもらったから来なくても大丈夫!」

ほーーーーーーっ!!(←また這い上がる気力が出た音。)

さっすがAさん。持つべきものはチャイナコネクションです。いつでも頼もしいAさんに感謝感謝。


【4月25日(金)】北京出張中の夫から電話。
夫:「今日中にはパスポート受け取れない。」
ぶぶぶ、それじゃパスポート受け取りは次回の出張時になっちゃう。
ってことは翌日のインターネット開通工事もキャンセル。。。
(↑パスポートを見せないと開通できないと言われていた。)


【4月26日(土)】夫、北京出張から戻る。
夫:「はい、パスポート。」
私:「え、今回は無理って言ってたじゃん!」
夫:「Tさん(=いつも世話になってた運転手さん)が受け取って今朝届けてくれた。」。。。
やっと自分のパスポートが手元に来たのは嬉しいけど、朝すぐに連絡くれたら今日ネット開通できたのに。
で、再申し込み。


【4月28日(月)】夜、ネット会社のお兄さんが来て、ようやくネット開通。
あれだけ絶対ダメと言われたパスポートの確認は結局ありませんでした。。。


第二部 完。

これでドタバタパスポート騒動 は 終わりました。めでたしめでたし。
お疲れ様でした。
(本当に疲れた。。。)


引越し

2008年05月07日 | 家族・家庭
4月13日(日)朝9:00、引越し業者がやってきました。
日本の引越し業者の「お任せパック」を頼んであります。

ストッキング履いてスカートという、およそ「現場」らしくないいでたちの日本人お姉さん二人は営業の方々で、この日は書類作成担当。
そして荷造りの作業員さんたちが・・・・いーっぱい!外で荷物をトラックに積み込む係の人も含めたら男女15人くらいでしょうか。ゾロゾロいてあちこち動いてるので正確には数えられませんでした。。。
そういえば日本から船便を出すときは作業員さん3人で、二日がかりだったっけな。
物が多すぎるんです、我が家・・・。

事前にもダンボールをもらって少しだけ荷造りしました。
届けてもらったダンボールには中国の引越し業者の名前が印刷されてました。下請けなのでしょう。
それはいいのですが、ギリギリまで続けていた中国語の家庭教師の先生がそれを見たとき、
「別の引越し業者(日本人経営)に依頼した家にもこれと同じダンボールが届いてた。依頼した業者は違っても実際には同じ業者が請け負ってるんだねぇ」と言いました。

ん?ならば北京では誰でも営業窓口としての引越し会社を開業できる??と一瞬思いましたが、いえいえ、実は今回依頼した会社の社長さんの著書を読んだことがあり(→過去記事「起業するなら中国・・・」)そこに開業時の大変な苦労話が載っていたので、サービスを競う日本とは「引越し」の概念すらまったく違うこの中国で、日本人の要求水準に応え得る引越しサービスを提供することがどれだけ容易でないかわかります。
あ、だからこそ同じ下請け??
うーむ、業界内の仕組みはよくわかりません。

梱包、積み込みの作業はこちらがあれこれ指示する暇もなくどんどん進んでいき、途中昼食を挟んで午後3:30頃に終了。
最後の荷物番号が175。業者さんが用意した番号シールが足りなくなって手書きで補いました!
そういえば日本ではダンボールが足りなくなったんだっけ。。。忘れてました。
これは今度こそ「喉もと過ぎ」ないうちに本気で物を減らさねば!

この日出荷(って言うかな?)した荷物は翌日北京の倉庫でもう一段階の梱包加工(割れ物の入った箱は一つにまとめて木枠を作り、他はパレットに乗る大きさに積み重ねて「ラップでグルグル巻きにする」)して北京発。3日かけで陸路で一旦上海の倉庫に運び入れて「木枠」と「ラップ」の荷解き。そして北京のマンションを出てから5日経った18日にハンジョウのマンションに運び入れ、という段取りになるそうです。


手荷物で持って行く最低限の必要品以外空っぽになったマンション、それでも備え付けの家具や冷蔵庫、コンロ、洗濯機もあるのでなんとか滞在できます。むしろ余計なもののないモデルルームに寝泊りしてるみたいですっきりいい感じ♪(あの大量の荷物の意味は何だったんだ?)

主婦業にとって本当に休業状態のつかの間の夢の中3日間が始まりました。。。


そしてビヨウイン

2008年05月06日 | 家族・家庭
どうも既に記憶が混乱してました。
美容院にも早く行きたかったのだけど実際行ったのは日曜日の引越しの荷出しの翌日、4月12日(月)でした。。。。


思いおこせば3月末に駆け足で一時帰国したときからどうも運の悪いことが続いていたのです。

帰国した当日が雨で北京よりも肌寒く、すぐに風邪をひきました。
帰国の目的であった身内の結婚式のおめでたい席ではあろうことかネックレスを「切って」しまいました。それも、会場に到着して親族一同が集まったところでお辞儀をした途端に「パラパラパラパラ・・・」と音をたてて・・・・。
それも借りたネックレスだったのに。
子ども達を実家に残して北京に戻るときには子ども達のパスポートと航空券を持って来てしまうし、そのあとすぐ杭州に行ったときには逆に自分のパスポートがなくなってしまうし。
体調が思わしくなく体重が減ったせいか、ずっとしていた指輪までいつの間にか消えていました。。。
そうそう、あと三日で引越しというときにトースターが壊れ、新しく買ったトースターはすぐに中でパンが燃えて黒コゲなんてこともありました。

こう重なると、なにかに憑かれてるせいかと疑って厄払いをしたくなります。

そこで、、、月並みですが、、、髪をばーっさりと切ったわけです。

実は空っぽになった家にいても暇だったし、「北京記念」に料金の高い日本人美容師さんに切ってもらってもいいっかと思って・・・。

でも美容師さんには思い切りショートにする理由を「厄払い」と言って事情を話したら、なんだか過剰に心配してくれちゃいました。
髪を短くするにも「いいんですか?」と慎重で、なかなか言った短さにしてくれなかったし、途中で何度も何度も「慰めの言葉」をかけてくれるのです。

美容師さん:「・・・・・・あのぉ、きっとこの先いいこともありますよ。。。」


美容師さん:「・・・・・・きっとハンジョウもいいところですよ。。。」


美容師さん:「・・・・・・うん、きっといいことあります!」

実は本人はもう立ち直っていてどんな風に変身できるか楽しみにもしてたのに、なーんか辛気臭くなってきちゃいました。

もしも「失恋です」とか言ったら何て言ってくれるんだろ。。。


というわけで、パスポートの本人確認もまだだというのに、髪型変わっちゃいました。

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その直後にまた書類をもらいに学校に行ったのですが、その際にお会いしたIセンセ、髪切ったこと気づいたかなぁ?


ついに病院。。。

2008年05月05日 | 家族・家庭
パスポートの手続きがようやくひと段落したところで、

病院

に行ってきました。
悪いことは重なるもので、3月末の一時帰国時に風邪もひいてそれもずっと治らなかったのですが、そのほかに「これは変だぞ」という鈍痛が続いてて、毎日バファリンの解熱、鎮痛作用のお世話になり続けてたのです。
痛みは日替わりで、背中とか、お腹とか、横腹とか。。。
果たして検査にひっかかりました。
幸い抗生薬ですぐ完治。

去年唯一の日本人医師が緊急帰国してしまった病院(→過去記事「日本人医師が・・・」)でしたが、ほかに日本語ペラペラのシンガポール女医さんがいて、かの日本人医師の書いた私のカルテが不備だとぶつぶつ文句いいながらしっかり診てくれました。

この日はビョウイン。翌日はビヨウインに行きました。
そう、これが言いたいがためだけの病院話でした。。。
お粗末。

間に合った申請

2008年05月04日 | 家族・家庭
4月9日(水)朝8:30
戸籍を送ったと妹からメールが入りました。
本籍地が結婚した当時の川崎市のままで、横浜市に移してなかったために家族を手こずらせてしまいました。
渋谷の郵便局窓口で聞いたらEMSで北京到着まで3、4日、妹がネットで調べたら2日、とのこと。
到着は早くて11日(金)になるかな。
そうするとパスポートの受け取りは18日(金)。

逆算していくと
ハンジョウの学校が始まるのが21日(月)。
19日(土)校長先生との面接。
18日(金)ハンジョウのマンションに荷物到着。
17日(木)列車で北京駅発。

無理だ。。。

パスポートは代理人受理は無理で、必ず本人が受け取りに行かないといけません。
こわいけどしばらくの期間パスポート無しで過ごして機会を見計らって北京に戻って続きの手続きをするしかないか。。。。。。。
移動は、また列車だ。。。。。。。。。。。。。。。。

腹をくくりました。こうなっては無理を望むよりもできることをやっていくしかありません。
それにしても余計な大出費。どう埋め合わせしようか。。。

そんなことを考えてました。


 * * * * * *

4月10日(木)朝
電話がかかってきました。EMSから!
まもなく玄関の呼び鈴が鳴って、届きました!
待望の戸籍!
発送の翌日ではさすがに無理と思ったのに。
EMS、ばんざーい!

それで→過去記事「一日違いで。。。」となったわけです。

すぐ日本大使館領事部へ行ってミミを揃えて申請書類を提出しました。
提出したあとに、再発行の理由を問う用紙を渡され、パスポートをなくした日付や理由を記入せねばなりませんでした。
思わず渡してしまった紛失届けを見せてもらおうとしたらだめと言われてしまいました。やばっ!

実際の日付、理由じゃありません、派出所でAさんが書いた内容を書かないといけません。あのときAさんは勝手にどんどん記入していって相談したわけでも説明されたわけでもなかったですが、のぞきこんでおいてよかったです。
なんとか「派出所に行った前日」に「近所の商店で」なくしたと書きました。
私:「できましたぁ。。。」
担当者:「『近所の商店でなくした』んですか・・・・」
私:「(ドキーーーン!)」
担当者:「はい、結構です。7日後の17日以降にこの引き換え用紙と代金をお持ちになってお越しください。」
私:「(ホーーーーーーーーーッ!!!)」

これでやっと一段落。
あとは7日後のパスポートの受け取りだけ。夜行列車に乗る日の朝来ればいいのです。ハンジョウに行く前に♪
そのあとのビザ、居留許可申請は例年の更新時にもAさんにお任せしてるので今回もお願いすれば大丈夫。


折りしもこの日は北京日本人学校で午前中に始業式、午後に入学式がある日でした。
そして長女は友達から放課後に遊ぶお誘いを受けており、下校バスに一緒に乗せてもらうためにやむなく長女を学校まで送りに行きました。
あんなにお別れをしたのに、入学式用に着飾った友達や先生と普段着で顔を合わせる決まり悪さ。。。

あのときご挨拶した○○さん!あの日の私はこんな事情を抱えていたんです!

でもパスポートが間に合うことがわかって足取り軽い私でした♪







後々再び突き落とされることになるなんて夢にも思わず。。。。


第一部 完。


いいの?加工写真

2008年05月03日 | 家族・家庭
すぐにでもパスポートを申請したい気分でしたが、その前にもう二つ、揃えないといけないものがあります。
2ヶ月以内に取った戸籍抄本(or謄本)と写真です。

戸籍は早速日本の家族に依頼。到着を待つだけ。

そして写真。大切な身分証明の、しかも長期間使うものなので下手な写真は使いたくありません。でも時間かけてる暇もありません。
近所のホテル内の写真屋さんですぐできる証明写真を頼みました。

椅子に座ってカメラで数枚撮って「そこで待ってて。」と言うので待ってたら、何やらパソコン画面で色々いじっててなかなかプリントアウトしてくれません。
私にはよくわからない色々な調整をして、ようやくプリントアウトして渡された写真を見てびっくり。
そこにはお肌にシワもクスミもなく若々しい、女優さんか何かと見紛うばかりの(言いすぎ。)まばゆい女性が!(粗を隠すために明度を上げたか?)
誰?私です~~♪♪

・・・・・って、証明写真でこんな加工しちゃっていいんでしょーか?
パスポートチェックでひっかかったら、あるいは笑われたら、どーしてくれるんでしょ。。。

私の写真が終わると、どうやらほかの注文写真もいっぱいあるらしくて次々にパソコン画面上に人の顔を出しては歯が虫歯で黒いのを白くしたり唇の色を明るくして健康そうにしたり肌をつやつやにしたり・・・。

北京では写真屋さんはよく選んだほうがいいです。
腕のいい写真屋さんだと見違えるような自分に出会えます!
下手な写真屋さんだと、跳ねた髪を削除してるうちに髪が薄くなってまるでベ○ナ○難民のような顔にされたりします。(←これも私。。。)

遺失証明の申請

2008年05月02日 | 家族・家庭

4月5日(土)午後に北京着。
ようやく我が家に戻り、週末でまだ行政機関も開いてないし、さすがに疲れて寝てました。熱38度。。。

4月7日(月)諸手続き開始。
北京では日本人の生活の面倒は不動産屋さんがみてくれるのですが、我が家の不動産屋Aさんもこういうときは頼りになります!

朝8時半からでかけてまず近所の派出所。
本当は「失くした場所の最寄の派出所」じゃないといけないのですが、その派出所の方が「知り合いがいて手続きを早くしてくれるから。」と。
どーせどこで無くなったのかわからないのだし、いいっか。

中国人庶民住宅街の中にある本当にローカルな派出所なのだけど、行ってみてびっくり、もう一人日本人男性がいて同じくパスポート紛失届けをしてるではないですか!北京で社長さんをしてる方だそうで、どうしてもすぐ日本での用事があるからとりあえず日本に帰る渡航券の発行(旅行者用の措置。)をしてもらうとのことでした。
「20年パスポートを持ってて、なくなるなんて初めてだ・・・」とぼやいてらっしゃいました。
それを言ったら私は3歳のときからパスポート持ってて、初めてです。。。
でも私なんかよりも深刻な状況だろうその社長さんが名刺なんかくれたりしてなんだかやたら明るく話すので、それまでゾンビのように暗ーく沈んでた私も浮かび上がっちゃいました。(単純!)

Aさんは用紙にどんどん記入していきます。
失くした状況は、「近くの商店で買い物をしていてなくした。」となってました。そんなぁ。。。。。

次は出入管理局。Aさんはここにもバッチリ「知り合い」を作ってあります。
窓口へ行くと誰もいない。隣の窓口の係に聞くと「食事だろう」と。まだ昼じゃないし、Aさんがさんざん抗議してようやく携帯で「客が来てるよ」と一言連絡を入れてくれました。それでも待たされて、係が来てもいろいろ言われて時間かかりました。Aさんがいなかったらお手上げです。

次は空港へ行って日本から来る子供たちのお迎え。
ほかの用があるAさんと別れてAさんの会社の別のスタッフBさんと運転手さんと共に空港に向かいました。
この日初めての運転手さんもBさんも、高速に乗ってから空港の新ターミナルを知らないというので、ハンジョウに行くときにすでに一回だけ行ったことのある私が道案内。

初めての子ども達だけでの移動でしたがANAの「空港サービス」を利用して成田空港、機中、北京空港でもVIP待遇でスタッフに付き添われて無事出てきました。
一時はAさんの世話になるしかないかと思った子どもたち、無事迎えられてやれやれ。

公安と出入管理局で必要書類をもらって、次はパスポート申請です。。。

まだ続く。


ないっ!!(蒼白

2008年04月30日 | 家族・家庭

4月4日「ハンジョウ 下見3日目」のことを書きます。

3月末の一時帰国以来子ども達を横浜の実家に預けたままで私と夫だけ北京に戻り、そこから杭州へ飛び立って駆け足でマンション回りをし、学校見学にも行きました。

北京に戻る日、朝一番にホテルに迎えの車が来て空港へ。空港で必要なものを用意しておこうとバッグの中をあらためていて気づいたんです、「あれ?ない。。。」

そんなはずは絶対ないから車の後ろのトランクに積んだ旅行バッグの中にあるだろうと思ってました。
なのに空港に着いて旅行バッグをくまなく探してもありません。

「本当にない。。。」

血の気が引きました。
なかったのは航空券ではなく、、、、パスポート。。。。

中国内の飛行機では国内線でもパスポートチェックが必須です。

空港にいるのに、航空券はあるのに、子供たちを迎えに北京に絶対戻らなければならないのに、飛行機に乗れない・・・・・・・・・・・!!

ああ、このときの気持ち、どうか想像してみてください!

動揺する気持ちを抑え、上海領事館に電話し、手続きについては聞くことができました。それが、、、

 ①失くした場所の最寄の派出所で紛失届を出し、証明書をもらう。

 ②出入境管理局でパスポート遺失届を発行してもらう。→1~3日かかる

 ③日本大使館(北京)か領事館(上海)でパスポート申請。→1週間かかる

 ④出入境管理局でビザ再取得。→2週間前後

しかも!
折りしもこの日は中国で今年から新たに制定された「清明節」の連休の真っ最中
公共機関が全部休みで3日待たないと開きません。(領事館だって「緊急用」の窓口でした。)

一項目聞くごとに金槌でガンガンと頭を叩かれ地面に埋め込まれていくような気分。。。

ハンジョウに足止め!?
ま、いずれ引っ越してくるのだからいいっか。
いやいや、引越しの荷物出しをしなければ!
それよか、日本から北京に戻ってくる子供たちを北京空港まで迎えに行かねば!!

恥を忍んで夫の会社(ハンジョウ)の方に相談。
北京へ直通の列車があることを教えてくれました。
それだ!ハンジョウでの手続きをすっ飛ばして北京に戻っちゃえ!
で、切符の手配を依頼。待つ時間が長かったです。
数本「満席」の連絡のあと、ようやく夜遅い列車の切符が取れたとの報告。
やった~!今日中にハンジョウを発てる!子供たちの迎えに間に合う!

車内の検札でパスポートチェックがあるかもしれないとのことで会社で「身元証明書」みたいなものも作ってくれました。

夜 22:55杭州駅発、翌日14:00北京駅着。15時間。

こういうわけで列車での帰京となったのでした。
(→過去記事「夢の?悪夢の?寝台列車」)


北京に戻れてひとまずは「ほっ」。
でもまだパスポートの手続きがあります。引越しが1週間後に迫ってます。
冷や汗は続きます。。。。


それでは、しばらく。

2008年04月12日 | 家族・家庭
ハンジョウ3日目事件の影響を引きずったまま、いよいよ引越しの荷物出しの日が明日に迫ってきてしまいました。
ハンジョウの家への荷物の到着は18日になります。

学校も21日には始まるし、とりあえずハンジョウへ行きます。
飛行機乗れません。列車で。
17日夕発
18日朝到着予定。
車内検札でひっかかるかも、と言われてます。

ほんと、ギリギリの冷や汗の綱渡り引越しになってしまいました。

杭州生活は始まる前からドタバタ続きの大騒ぎ。
一体どうなることやら。。。。


それではみなさま、次回はハンジョウからの書き込みになります。

・・・・・のはずです。。。

昨日は買ったばかりのトースターで焼いてたパンが燃え上がって炎と煙が上がってトースターごと黒コゲになったり、ほんと最近ついてないのです。

無事を祈ってくださいませ。


それではしばしの間、みなさまごきげんよう。







見なおした!

2008年03月29日 | 家族・家庭
長男が筋肉痛を訴えました。
いつもいつも猿みたいに動き回ってる長男にしてはとても珍しいことです。
なぜ筋肉痛になったか聞いてみたら、前日に遊んだ昔の友だちと走り回ったせいとのこと。

数人集まってくれた友だちが長男の一時帰国を歓迎して、近所のかつて遊んだ児童公園を片っ端から回り、途中から雨が降り出したにも関わらずひたすら皆で走り回ってたそうなのです。
自転車に乗ってる子もいたということなので自転車を追って全力疾走した模様。

それにしても今どきの小学生の男の子、みんなで町内中を駆け回って遊ぶなんて、ちょっと「ゲームづけ」の偏見が崩れました。

あの我が長男を筋肉痛にさせる日本の男子、やるなぁ!
やっぱり自由に外出できない北京では運動不足になっちゃうんだね。。。


風邪ひきました。。。

2008年03月25日 | 家族・家庭

引越を控えた身ですが、親戚の結婚式など所用で駆け足一時帰国してます。

昨日昼過ぎに成田に降り立ちましたが、天気は雨、気温9℃!
寒いっ!
我々の一時帰国の日は必ず雨というのもなぜなのでしょう?

桜がまだ咲いてないことにちょっとびっくり。
おととし北京に移る直前の3月には桜が満開だった覚えがあるし、今年の北京ではもう散り始めてたし。
(日本人学校前の満開の桜の写真を撮ったのですけど、実家のパソコンでは写真のアップができません。泣)
実家のある横浜ではちょうど昨日開花宣言が出されたようです。確かにちらりほらりとは咲き始めていました。

今日の横浜はあたたかくなるようでほっとしてますが、ここのgooトップの「世界の天気」で北京を調べてびっくり仰天!

天気: 晴れ ←いつもどおり。

気温: 最高 11℃ ←あれ、昨日の横浜の記録と同じ!さむっ。

     

     最低 -1℃ ←あん?ま、まいなすぅ~!?

 

北京のみなさ~ん、ほんとにそんなに寒いんですか~?
私がいないせいで?? (違


札束どん!

2008年03月03日 | 家族・家庭
えげつない写真ですいません。
初めて見たもんで、つい・・・・・。

実はうっかり銀行口座の中国元をきらしてしまって、しばらく一切の現金支払いが滞る!という事態を起こしてしまいました。
子どもたちに渡したお小遣いまでかき集めて食いつなぐ深刻な事態・・・。

で、夫に給料振込口座からの「全額両替&振り替え」をお願いしてあったのですが、私ったらうっかり「全額両替&引き出し」と伝えてしまったらしい。
夫は帰宅するや「はい。」と言ってどんっ!とこれ+端数分をテーブルに置きました。この塊、高さ10cm。

お口あんぐり。。。

夫にも銀行にもかなりの時間と手間をかけさせて(窓口の人の一存では渡せず、上役の人を経由して引き出す額らしい。)せっかく持ち帰ってもらいましたが・・・・・・・・・。

端数分だけで滞納分+当面の生活費は足りました。この塊はこのまま再び預け入れです。
でもこの大きさじゃ窓口の小さな受け渡し口を通りません。
どーなることでしょ。。。。

残念ですが。。。

2008年02月29日 | 家族・家庭
異動です。

この4月に北京を離れることになりました。

北京、とても気に入ってたのに、残念です。
 
オリンピックで変りゆく街、楽しみだったのに。(古い住居地や自由市場が次々消えていくのはちょっと残念だったけど。)

警備員さんいっぱいで治安良かったのに。(警備員さんがレンガブロックで人を殴るのも見ちゃったけど。)

子どもたちの学校、有名人がいっぱい来てとても良かったのに。(オリンピック選手の練習の場にもなるらしいとも・・・)

周りにいた誰もかれもがみんないい人たちばかりで異国にいても嫌な思いを一つもせずに居れたのに。(不愉快な単語が聞き取れなかっただけとの話も・・・。)

乾燥気候で気持ちよく過ごせたのに。
①長年付き合ってきた一切の湿疹がきれいに消え去った。
②5人分の大量洗濯するのにとてもありがたかった。
③食材の封をきっちり締めなくてもあまりしっけないし、生ものだってカビたり腐ったりしにくくて良かった。(大量にいただいたブドウが、どんどん乾燥していって干しブドウになっていき、いつまでも食べられた!)

( ↑ ↑ 異論も多いと思うけど!)


あ~~ 北京!

今日は学校の最後の保護者会でした。
体育館での全体会で帰国される先生方の挨拶のところから各クラスでの懇談会でもずーーーーっと涙涙でまともに挨拶もできませんでした。反省。
うちの3人の子の担任の先生方は3人ともご帰国。
お別れの多い学校です。
今日はハンカチがびしょびしょになってしまいました。
卒業式はタオルを首に巻いていこうっかなぁ。。。

年末・年始のこと

2008年01月03日 | 家族・家庭
【12月30日】
この日は国内向けオリンピック入場券の二次申し込みの締め切り日でした。
せっかく5人家族だから5人で申し込もうと思ってたのに申込者それぞれ別の口座が必要ということで大人二人、計4種目しか申し込めませんでした。
日程指定で申し込むので必ずしも日本選手を応援できるかどうかわかりません。
それでも、老後の話題のネタのためにも、どうか当たりますように!

【12月31日】
のんびり過ごしていた年末でしたが、ふと日本のお正月食材が売ってないものだろうか?と思い立って日本食材が豊富な太平洋百貨へ自転車で行ってしまいました。
行きは30分、帰りは向かい風で1時間以上かかりました。
自転車なんか捨ててくればよかったー!(涙

夜は「ワルツの父-シュトラウス2008年ニューイヤーコンサート」に家族で行きました。
日本語のネットで申し込み、そのときにあった写真から勝手に西欧人の楽団を想定してたのに行ってみたら「中国人民解放軍総政歌舞団管弦楽団」の演奏でした。。。
観客も中国人ばかり。大した正装でも、いえ、全然正装ではなくて、まったく気楽に鑑賞してます。ヨーロッパや日本のクラシックコンサートのようにマナーやら何やらでピーンと張り詰めた雰囲気などどこにもありません。子供連れのこちらの身としてはありがたかったです。
そして、楽しかったです!
だって中国人て感情をストレートに表現して、最後には席を立って踊りだしたりするんですもん!

紅白はあとから録画で見ました。
ナツメロ特集だったのでしょうか、歌謡曲に疎い私でもわかる曲がいっぱい!
だーい好きな曲「浪漫飛行」が聞けたのはハッピ~でした♪

【1月1日】
いまどきの北京では日本のおせちを作ってもらえるところもいくつか選べるのですが、子どもたちはおせちのメニューには嫌いなものが多く、市販のおせちでは大量に残ってしまいます。
我が家でお雑煮だけ作ってささやかにお祝いしました。

【1月2日】
中国ではこの日から仕事初めです。
夫は日系企業なので今日はまだ休み。でも早速電話がかかってきて仕事させられてました。
「え、今日から組み立て始まってるの?話が違う!部品が合わない?日本の工場は正月休みだから7日にならないと出荷できないよ!」
正月早々クレーム対応に追われてました。。。。

【1月3日】
夫は出社。
子どもたちは学校の宿題の書初めをしました。
書初め用の長い半紙をなくしてしまった長男・・・。
でもこちらではその辺の文具店で半紙も筆も墨汁も揃います。
墨汁ももうなくなってしまった長男ですが、半紙と一緒に買って来なさいと言うと「あの臭い墨汁はもう嫌だ!」とのこと。
(→過去記事「ふくらむ墨汁」)
新年だし、きちんと墨をすることの心得から説いて、なんとかかんとか書き上げました。。。


去年の正月はどうしてたかなーなんて過去記事をさかのぼって読んでたら、そういえば台湾地震でネットがつながらず不便してたなーなんて思い出しました。

さて、のんびりはおしまいにして明日からはまた活動再開します!(何の?)


あの首相の「彼女」?

2007年12月27日 | 家族・家庭
今日の午後、福田首相が訪中するそうですね。
今日は雪の予報で、すでにすごーい濃霧ですが、無事来られるのでしょうか?

日本人学校の中からも数人の子が首相と面会するそうです。

「うちは誰も首相に会わないの?」と子どもたちに聞いてみたら、


次男: 「あーー!ぼく!授業を見に来るんだって!」

私:  「え!福田首相が来るの?」

次男: 「ちがう、福田首相の、えっと首相のぉ。。。。カノジョ?」


えええええーーーーー! 『彼女』???????


長女: 「『奥さん』さんでしょ?」ボソッ


お、奥さんかぁ。。。。。。ヒクヒク