「北京と東京 自転車で走り比べると・・・」
日本(横浜)では全く自転車に乗らなかった私も北京ではヘビー愛用者だったのでこの記事に共感。
メモとしてコピーしときます。
(以下コピー)
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2008年05月10日
都市にはさまざまな顔がある。徒歩、電車、自動車と、利用する足が違えば、旅行者に見えてくる町の横顔も変わってくる。筆者は北京に行くと、なるべく自転車に乗ることにしている。
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とにかく快適なのだ。北京は自転車にやさしい町である。どこまで走っても坂がない。都心の幹線道路にも、車道と歩道のあいだに、ちゃんと自転車専用レーンが用意されている。天安門前広場の周囲も、西単のような盛り場も、前門の東西に広がる昔ながらの狭い横丁も、自転車で風を切りながら、スイスイと気持ちよく走れる。
北京の大気汚染は深刻だ、というイメージがあるが、自転車で走ると、不思議に空気の悪さも感じない。
築百年くらいの民家の古びた屋根瓦をつきぬけて、雑草が青空にむかって生えている(北京では雑草までもがたくましい!)。その雑草のむこうに、巨大な銀色のUFOが着陸している。よく見ると、人民大会堂の近くにできあがった国家大劇院だった──自転車で北京の路地をめぐると、そんなシュールな「借景」も、どんどん発見できる。
なぜ北京がこんなに自転車にやさしい町かというと、貧しい時代が長く続いたからだ。
筆者は、十八年前、北京大学に留学していた。当時、自家用車をもつ中国人は、ほとんどいなかった。庶民の通勤の足は、バスか自転車だった。雨の日もカッパを着て、片道十キロ以上を自転車通勤する人も、珍しくなかった。
いまでは北京も豊かになり、道路には自動車があふれている。しかし自転車も健在だ。駐輪場や自転車専用レーンなどのインフラも整っている。
これと対照的に、東京は自転車にやさしくない。 筆者は都内の移動も、なるべく自転車を使うようにしている。しかし皇居の周囲を例外として、東京は自転車では走りにくい。駐車場はどこにでもあるが、駐輪場はあまりない。道路には、自転車専用レーンもない。車道を自転車で走ると、わざと幅寄せして意地悪するドライバーもいる。仕方なく、自転車で歩道を走ることになる。来日した外国人は、それを見てびっくりする。自転車の歩道走行という危険行為を法律で認める国は、世界でも珍しいからだ。
こうした異常事態の発端は、1964年の東京オリンピックだった。この年、日本では初めて「軽快車」というタイプの自転車(いわゆる「ママチャリ」)の生産台数が、旧来の実用自転車を上まわった。軽快車は、日本独自のタイプの自転車である。中国や欧米には存在しない。軽快車は、実は「軽快」ではない。子供を乗せて買い物に行くには便利だが、スピードが遅く、車道を走ると危ない。
そこで日本の道路交通法では、1970年から自転車の歩道通行を条件付きで認めるようになった。もともとは道路を整備するまでの変則的措置だったはずなのに、今も続いている。日本の道路関係では、よくある話だ。
日本も中国も、第二次大戦の直後は、同じように貧しかった。しかし東京は早く復興し、20年もたたぬうちにオリンピックが開催された。東京は早く復興しすぎたのかもしれない。
北京は、貧しい時代が長く続いた。市民が長らく質素な生活を続けてきたおかげで、庶民に暮らしやすい町になった。表通りにこそデパートが建ち並んでいるが、ちょっと裏手に入れば、どの横丁にも雑貨屋や八百屋が健在である。足腰が弱くなった老人にも、暮らしやすい。自転車も走りやすい。平成の東京と、「三丁目の夕日」の東京が混在している町。それが北京である。
外国人は、北京の表通りのきらびやかさと、裏通りの質朴さのギャップを「格差」だと捉えがちだ。しかし北京の都心は、高級自動車でも、自転車でも走れる。住民の目線で見れば、「格差」は中国社会の弱みではなく、強みであるのかもしれない。
自転車で北京を走ると、そんなことも考えさせられる。
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ところでこのページ、筆者の紹介が載ってるのに肝心な名前がない!
(別のページでみつけた。⇒「加藤徹」)