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pcfx復活ブログ

森薫の本とか

2011年07月07日 | マンガとかアニメとかほんとか
「エマ」の頃に「森薫(もりかおる)」というマンガ家を知った。pcfxは特にメイド好きでは
ないが、歴史に埋もれた地味な物が好きな性質から、「西洋女中であるメイド」の生活などに
興味はあった。しかし世の中がメイドブームだったので「エマ」を買うのが気恥ずかしくも
あった。本屋のレジのねーちゃんに「ああ、メイド萌えなのね」といった侮蔑を受けている
ような被害妄想に苦しみながら日本銀行券とエマを交換したものだった。

pcfxは「メイドさん好き」というよりも、「エプロンドレス好き」だ。古くは小学生時代に
キャンディキャンディを見ながら、「ああ~この服かわええなあ~」と憧憬を抱き、アルバート
さんなどに殺意を抱いたものだったが、その後アメリカンオールディーズが流行った時にも、
水玉模様のエプロンドレスを着たポニーテールのウェイトレスに懸想していた。「エマ」は
ビクトリアンメイドなので趣向は少し違ったが、「地味な女中」という、メイドの根本にある
バックボーンをキチンと描いているので気に入っていた。

読んでるうちに、その服装とか調度品とかの描き込みに並々ならぬ執念を感じ、「もしかしたら
この人、変態なのでは?」という尊敬が募っていった。断っておくが、pcfxの言う「変態」は
最大限の敬称であり、「スゴイ人は大抵どこかオカしいものだ」という表現だ。人は若い頃に
「厨二病」や「若気の至り」や「やんちゃ」などの病気にかかるものだが、それが大人になるに
つれて常識に妥協してしまった人は「スゴくない、つまらないひと」だ。歳を重ねても妥協する
どころかますます病状が進行してしまう人は、必ず社会との軋轢を経験するものだが、それに
負けないで中年期を迎えるというのは精神に大きな痛手を与える。満身創痍の状態でも自分を
偽らず、青タンと傷だらけの精神でなお突き進もうとする人は迫力ある「スゴイ人」なのだ。

森薫氏はデビュー当初からかなり変態だったが、作品が売れて資料を山ほど買えるようになって
から、つまり最近の「乙嫁語り」を読むと、ますます変態になっている事がわかる。もう逮捕
されるレベルまで変態だ。もう描くのが好きで好きで、あまりに好きなものだから、それを
通り越したニルヴァーナの境地まで到達したかのような印象だ。涅槃のマンガ家は数少ない。



この人はどんなふうにマンガを描いてるのだろうか、きっと「あとがき」にあるように昆虫の
ように描いているのだろうか、などと思っていたところに、森薫氏が実際にイラストを描いて
いる動画がアップされていたのを見た。

その美麗な描き姿。動画を最後まで見た者は、もれなく森薫氏に求婚したくなるほどだ。


pcfxは以前、中央アジア諸国を旅していた頃や、中国雲南省の少数民族自治区を回っていた時
を思い出す。まさに作中のイギリス人青年・スミスのような扱われ方をしていたが、とある
山岳民族の習慣を知らずに、うっかり女性の肩布や髪房に触ってしまい、相手の女の子と結婚
しなければならない状況に追い込まれた事もあった。

婚約していた男には殴られるわ、民族の会議で「こういう場合はどうしたらいいのか」と議論
している間動物小屋に軟禁されるわで、一時はどうなる事かと思ったが、会議の結論は
「外国人の場合は別にしよう」と決まったので釈放された。そしてケジメをつけるために何か
差し出せと言われた。その時pcfxが所持していた物品で最も高かった物が、そこへ来る途中に
訪れたタイの山岳民族から買った宝飾品の小刀だったので、それを差し出した。

すると悪いことに、そういう場合に剣を差し出す行為は「うるせえ何もやるもんか決闘だ」
という意味だったので、婚約者の男が怒り狂って襲いかかってきた。少し手傷を負ったが、
大事になる前に「外国人は別」ルールが適用されて死なずに済んだ。まあその後すぐにその
村落を追い出される事になったのだが、それだと気まずいままなので、街に戻った折に旅行
代理店の女の子に事情を話すと、一緒に謝罪に行ってくれるという事になった。鶏が何羽か
入ったカゴをいくつか買って馬車に積んで、遠路謝りにいった。やたら金がかかったが、
旅行代理店の女の子が習慣の違いを説明してくれたので一応許してもらえて、日本人の評判を
落とさずに済んだと思っている。あの時のカップルは元気にしているだろうか。


そんな思い出を、森薫の「乙嫁語り」を読んで思い出す。習慣の違いとは恐ろしいものだ。
森薫は民族衣装を「これでもか」とばかりに描き込む。確かに山岳の少数民族の多くは独特の
飾りや模様の民族衣装でゴテゴテとしているが、そこを訪れる外国人はシンプルなものだ。
ドイツ人のオッサンと同行した際、ドイツ人のノースリーブ&ハーフパンツ姿と、pcfxの
全身黒づくめ&ハイテク装備品だらけの姿を見て笑われたものだった。彼らからすると奇異
この上ない姿に見えるのだろう。ドイツ人はまるで裸であり、pcfxは宇宙人だ。そのコンビが
慣れない馬に乗って、高山病で青い顔をして村落に現れるのだから、笑われて当然である。

大抵は「珍客」として珍しがられ、まるでパンダのように見られまくる。村じゅうの子供が
からかいにくる。数日滞在すると飽きられるが、子供たちは「遊べ遊べ」と早朝から叩き起し
にくる。運動不足で昆虫などに弱い我々は、最初こそ子供たちにそれをからかわれまくるが、
物理や化学を応用した遊びを教えてやると、やがてそれは尊敬に変わっていく。いつの間にか
学校の先生のようなポジションに置かれ、村の女が食べ物などを授業料代わりに置いていく
ようになる。そして別れの日がくると、本気で泣き叫んで「行くな、ずっとここにいろ」と
手を離してくれない。こちらもつい涙腺が緩み、見送りの人々が涙で見えないまま山を降りる
事になるのだ。毎回こんな感じだ。「生きている」という実感がわく数少ない瞬間だ。


また話がバミューダ海域で遭難して幽霊船になっているが、森薫の話だった。


森薫氏のマンガで目立つのは、気が強い女の子の自己主張が筋道立って行われる描写だ。
これを単なる「ツンデレ」とくくるには、あまりにもったいない。少女の自己主張には、
それに至る独特の論理がある筈だが、大抵マンガではそれを「気まぐれ」とか「わがまま」
など単純化して表現される。ひどい場合には「『べ、別に』言わせておけばツンデレだろう」
という思考停止なものもある。

森薫氏のマンガでは、自己主張の強い女の子の主張には必ず前段があり、本人の価値観や
希望が語られている。それが「大人の都合」や「男のエゴ」などで反故にされた場合に、実に
正当に苦情が述べられるが、その表現方法が少女の型にはまっている為に「ワガママ」と
認識される。気が強い少女の主張は、例えそれが正当で論理的なものであっても、その少女の
将来を考慮すると否定し黙殺される。うるさい女は貰い手がつかないのだ。それが正当な
主張でうるさいのなら尚更だ。だから少女は世の中の正当性という価値観を信用しない人間に
育っていく。

「乙嫁語り」では「パリヤ」がその性格を与えられている。パリヤの言っている事は正しいし
間違っていない。でも抑圧される。その様が気の毒でもあり、可愛くもある。本人は真剣に
悩んでいるのだが、その様子を見る我々は残酷な第三者だ。

pcfxのように、「少々おかしい女性」を好む者にとっては、論理的に正当でありながら、
それを狡猾に表現できないので迷走する「おかしさ」がメガヒットするので、「乙嫁語り」
では当然パリヤに激萌えする事になる。


pcfxが選ぶ将来の「人間国宝候補」として、森薫氏を押したい。性的な意味で。


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