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minority resistance

pcfx復活ブログ

尾張弁と三河弁

2011年03月07日 | そのた
pcfxは博多出身であり、少年期は博多で過ごした。わけあって名古屋に引越しして来た
のだが、家系の絡みで名古屋にも親戚が大勢いるので、幼少から「名古屋弁」には慣れて
いたのだった。

ところが実際に名古屋に来てみると、「名古屋弁」は「尾張弁」であることに気がつく。
愛知県全体が「名古屋弁」ではないのだ。愛知県東部は「三河弁」という、尾張弁とは
また違う方言で話す。pcfxは名古屋弁には慣れていたが、この三河弁は初めて聞いて
非常にショックを受けた。

他地域の方にとって「名古屋弁」はたぶん、「みゃーみゃー言う」くらいの薄いイメージ
しかないと思われる。だから尾張とか三河とか言われても違いなどわからないかも知れ
ない。pcfxも元は同じ立場だったからわかる。

が、三河弁はそれでもショッキングだったのだ。三河弁は語尾に「じゃん・だら・りん」
をつける特徴がある。「じゃん」は神奈川でも使われるのでお馴染みかもしれない。
「こないだ言ったじゃん」などと使う。「りん」は「たべてみりん」「やってみりん」
のように、「~してみて下さい」という使い方をする。問題は「だら」だ。

愛知県の東部と西部の境目あたりに引っ越してきて学校に初登校し、同じクラスにすごく
カワイイ女の子がいるのを発見した。色白で顔立ちが整っており、笑顔だけで周りを幸せ
にするタイプの顔をしていた。一発で惚れてしまったpcfxはラッキーな事にその子のすぐ
後ろの席に座ることになった。最初の授業が終わってその子が振り向き様にこう言った。

「博多って九州ダラ~~~~?」

天使のように可愛らしい顔なのに、その愛らしい口元から出た声は場末スナックの酒焼け
したホステス声で、おまけに語尾は「ダラ~~~」である。そのダブルショックは楳図
かずおの恐怖マンガ以来の規模で純情少年pcfxを襲った。一瞬耳を疑い、脳の補正回路が
今の記憶を必死で改竄しようとしていたが、ダメージが深刻過ぎて不可能だった。
そしてpcfxの一生のトラウマとなり、今でも三河弁女が多少怖い。

「だら」は「だよね?」の方言に過ぎないのだが、その響きは下品で粗野な印象を受ける
場合がある。さらに「ダラ~~?」と伸ばして使う事があり、粗野さが増す。

その女の子の声が低くてガラガラのハスキー声なのは体質でしょうがないし、尾張と三河
の中間地点の学校で三河弁を話すのも自然な事だ。そしてその天使の様な外観も本人の
責任ではない。しかしそれが渾然一体となって転校生を襲った場合、核兵器のような威力
をもつのだった。


親戚の名古屋弁に慣れていたつもりだったが、「机をつる」「なんだ~!」「ケッタ」
など、実際に生活してみないと聞こえてこなかった言葉に翻弄された。「机つって」と
言われても何のことかわからない。ロープで吊り上げる事かと思ったが、学校でそんな
事をするわけがない。掃除の時間に机に関して能動的なアクションがあるとすれば、
それは「机を持ち上げて移動する事」だけなので割とすぐ慣れたが、いきなり級友に
「なんだ~~!」と大声で言われたとき、質問されたのか確認されたのかまったく
わからなかった。この言葉は名古屋の子供が腹がたった時に発する虚詞のようなもので、
中学生くらいまで常用する。高校生くらいになると「っだ~~!」と略すようになる。
しかし他地域の者にとってはそれが何の表現なのかわからず面食らう。

そして「ケッタ」である。


「ケッタどこ?」

「・・・ケッタって何?」

「ケッタマシンの事だがや!なにいっとんターケか!」


さっぱりわからない。「ケッタ」は「ケッタマシン」らしい。マシンだから機械だ。
何かの機械の所在を聞いているらしい事はわかるが、「ケッタ」が何かわからない。
そして所在がわからないと「ターケ」という存在に変化するらしい。「ターケ」は
恐らく「田分け」の事であり、「バカ」を意味する農村古語だ。

まあ結局「ケッタ」とは「自転車」の事なんだが、なんでケッタと呼ぶのかは誰に
聞いても知らなかったし、共通語だと思っているようだ。しかし一方で「自転車」や
「チャリ」も通じる。pcfxはこの「ケッタ」という言葉には強い抵抗があり、未だに
一回も自転車の事を自ら「ケッタ」と呼んだことはない。「チャリ」なら抵抗ないのに
「ケッタ」は物凄い抵抗がある。なんか絶対に呼びたくない。



愛知県に住んで30年も経っているのに、全然愛着もわかないし、方言も好きになれない
でいる。まあ言葉は多少影響されて訛っているのだろうが、愛知の方言が好きになれない
ので標準語で喋るようになってしまった。かといって嫌いでもなく、他所に行きたいと
いう強い衝動は湧いてこない。30年仮住まいしているような感覚だ。博多には郷愁を
感じないでもないが帰りたいという感情もない。行き場所も帰る場所もないような
宙ぶらりんの人生だから海外やマンガやゲームに逃げたかったのかもしれない。

そう思うと地元意識の強い人が羨ましくもあるが、その地元意識などのしがらみから
自由なのだと考えると、これでいいような気がしなくもない。どの道浮き草のような
人生で、親の都合で子供の頃から転校が多く、旅人のような生活だった。


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