葬式に準備なんかできるわけがない。
でも、あと少しで命が消えるのではないかと思った時、息子1に葬儀社を探すようにLINEをした。
遺体をそのまま病院へ置いておくわけにはいかないからだ。
私の希望は「きれいなところ。」のみ。
きれいな場所へ連れて行きたかったし、過ごさせたかった。
だって、相方はきれい好きだったから。
息子1が選んだのは2年くらい前にできた「典礼会館」。
一番最初に対応した係りは頼りなく何を言っているのかよくわからなかった。
こちらでいろいろと聞くと、打ち合わせの者が午後からくるのでその者に聞いてくれの1点張り。
「なんだ、こいつ」と思いながら、泊まる準備のため一旦家に戻った。
そして1時半過ぎに対応した担当の人は責任者できちんと説明をしてくれる人だった。
無宗教だと最初に告げたら、無宗教だと白装束もいらず旅立つ服装は自由だと。
ビックリしたけれど、それが無宗教かと改めて思った。
相方にはお気に入りのTシャツを着せた。
実は救急搬送される時、ももひき姿だった。
苦しくて着替える余裕はなかったのだ。
息を引き取ってから、病院で体を拭き、シャンプーをして着替えをするときに、新しいTシャツは持っていたけれど、下のズボンはなかった。
取りに帰るにも時間が押していたので、仕方なくももひき姿で葬儀社へ行くことになり、先生が
「光春さーん、ホントにももひきでいいの~!」とみんなを笑わせた。
だって、死ぬとは思っていなかったので、退院する時に着替えを持っていけばいいと思っていたのよね。
お坊さんが来ないので、本当に自由にしてよかった。
線香はあげるけれど、それ以外は何もない。
だからみんなで好きなだけ思い出を語ることができた。
私は相方を偲んでくれる人だけでいいし、香典も必要ないと言ったので香典箱も用意しなかった。
それでもやはりほとんどの人が香典を持ってきた。
会館に一泊したのだけれど、ベッドルームが二部屋。
一部屋ずつ息子たちが使い、私は相方と一緒に座敷に寝た。
線香を絶やさないというのは仏教だと思うけれど、無宗教でも線香は絶やさず線香番をした。
というか、一緒にいたかった。
だって、相方と過ごす最後の夜だもん。
すべてが終わった時、息子1が
「この形式いいよね。俺の時もこれでいいな。」と。
会長や社長はビックリしたかもしれないが、私も自分たちのスタイルを通してよかったと思った
何よりも、みんなが涙をして思い出を語って過ごしたことが一番うれしかった。
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