
【1671年(寛文11年)】
甲州街道第6宿、日本橋から12里(約45km)の地に、甲州街道最大の宿場として栄えた八王子十五宿がある。その中心は「横山宿」と「八日市宿」の両宿で、街道沿いに本陣2軒と4軒の脇本陣が置かれていた。さらに、ここは幕府の西の守り、「八王子千人同心」の本拠地でもあり、横山宿は4の日、八日市宿は8の日に市が開かれるなど賑わいを見せていたという。この八日市宿に隣接する本宿に、応永7年(1400)の開創といわれる、禅東院がある。幕府編纂の地誌、新編武蔵国風土記稿によれば、「本宿は、元横山村の内なり。古く開けたる地なることは、横山村の條にも記せり。南は八日市なり、禅東院、宿の南にあり・・・」と。禅東院の「とうがらし地蔵」(八日市宿開運地蔵尊)が建立された当時、本宿は藪が多く作物が育ちにくかったが、周辺の農家で唐辛子が多く作られていたと言われる。住職によると唐辛子に関する伝承があり、江戸時代の飢饉の際に内藤新宿の「八つ房」という問屋に唐辛子を卸し、この地の人びとがたいへん救われたそうである。それにしても、「問屋の屋号と唐辛子の品種名が同じ八つ房」。江戸名産といわれた内藤トウガラシと同じ、八房(ヤツブサ)であろうか。その問屋のあった内藤新宿までは、片道10里である。この地の唐辛子が馬や大八車に乗せられ、内藤新宿と結ばれたわけで、甲州街道がドラマの舞台となったのである。その後、人びとは開運、子育て祈願、商売繁盛など、祈願のたびに地蔵に唐辛子を供え、やがて「とうがらし地蔵」と呼ばれるようになったと言われている。ところで、話題は現代に。明治30年の八王子大火による伽藍の消失、昭和20年の八王子大空襲を乗り越え、最近では数年前から復活した、10月24日の禅東院・「とうがらし地蔵祭り」や、8月24日の「地蔵盆」。江戸の昔の「とうがらし地蔵」に想いを寄せて、「八房(ヤツブサ)とうがらし」を供えてみたいものである。


◎このblogは、内藤トウガラシの歴史等の調査過程でまとめたものです。現在も調査継続中であり、内容の一部に不十分・不明確な表現等があります。あらかじめご承知おき願います。To Be Contenue ・・・・・。