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〓〓〓  内藤トウガラ史  〓〓〓

ドラマもあれば、謎もある。トウガラシ・歴史年表。
by 赤井唐辛子(内藤新宿・八房とうがらし倶楽部)

唐辛子伝来、第2の説は? 文禄・慶長の役で、秀吉軍が朝鮮から持ってきた?

2010年03月08日 | 1500年~
     

  【1598年(慶長 3年)】
  唐辛子の日本伝来時期として、天文年間説に続いて文禄・慶長の役時代説がある(文禄元年~慶長3年/1592~1598年)。この説は養生訓や、花譜・菜譜の作者としても名高い、貝原益軒が執筆した日本初の本格的本草書、「大和本草」の中で詳しく述べられているのである。曰く、「昔は日本に無く、秀吉公の朝鮮伐の時、彼の国より種子を取り来る。故に高麗胡椒と云う」。文禄・慶長の役時の伝来の由来とともに、高麗胡椒とも呼ばれる理由に触れており、これが、朝鮮からの伝来説の大きな根拠とされている。また、益軒は「西国にて南蛮胡椒と称す」とも述べており、唐辛子の南蛮伝来説も推測させられる。さらに、この頃は、帆船による世界的な大航海時代の始まりでもあった。その結果として、鉄砲伝来やキリスト教伝来を契機とした西欧諸国との交易や、旧来の明とか朝鮮との交流などを通じて、唐辛子の伝来時期・伝来ルートはいくつかあったといわれる所以でもある。また、文禄・慶長の役時の朝鮮から日本への伝来に先立って日本から朝鮮への伝来があったというのも、唐辛子伝来のミステリアスな点である。これは、文禄の役での出兵の時に、唐辛子の特徴を生かしての目潰しや毒薬といった武器としての活用や、防寒・凍傷予防に携帯したという逸話が残されているのである。文禄の役で、日本から朝鮮に渡り、慶長の役の後で、朝鮮から日本に。唐辛子は、日本海の荒波を2度渡ってきたというわけである。学ぶほどに、奥が深く、謎も深い、唐辛子の世界である。
  
  ◎このblogは、内藤トウガラシの歴史等の調査過程でまとめたものです。現在も調査継続中であり、内容の一部に不十分・不明確な表現等があります。あらかじめご承知おき願います。To Be Contenue ・・・・・。


                 

          ≪江戸・東京からはじまる「内藤トウガラ史・スパイスアート展」≫

           ・日時:2010年3月5日(金)~3月8日(月)

            10:30~17:30(5日は13:00から・8日は17:00まで)

           ・場所:駒沢住宅・ギャラリー櫟
               (伊佐ホームズ株式会社http://www.isahomes.co.jp)

           ・Tel. 03-5712-5513 東京都目黒区東が丘2-13-25


 







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