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〓〓〓  内藤トウガラ史  〓〓〓

ドラマもあれば、謎もある。トウガラシ・歴史年表。
by 赤井唐辛子(内藤新宿・八房とうがらし倶楽部)

唐辛子の日本伝来、これが、思ったよりも早かった?

2010年03月05日 | 1500年~
          

  【1542年(天文11年)】
  唐辛子の日本への伝来時期については、3つの説があり、そのうち最も早いのが、この天文11年の到来説である。ポルトガルの宣教師バルタザール・ガコが、のちにキリシタン大名として名をはせた大友義鎮(宗麟)に豊後で謁見した時に、唐辛子の種を献上したのが始まりとされる。江戸後期の農政学者である佐藤信淵の著書、「草木六部耕種法」での説であるが、宗麟の年令やバルタザール・ガコ一行の豊後への到来記録から、天文21年(1552年)の誤記との説が主流になっている。とくに、伝来が10年後の天文21年とすると、父親義鑑から家督を受け継いだ宗麟は、満22才の若き当主となっているのである。またポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着、鉄砲が伝来した天文12年以降、実質的な南蛮貿易が始まり、ポルトガル船が九州各地にひんぱんに来航するようになったようである。宣教師のバルタザール・ガコが、天文21年の春に豊後へ派遣された記録が残されているので、この時に種を献上した可能性が高いと思われる。「日本食物文化の起源」(安達巌著 株式会社 自由国民社 1981年)等でも、天文21年の伝来とされている。また当時は、他の伝来野菜と同様に毒の有無が論議になり、食用というよりも、もっぱら観賞用として栽培されていたとされている。それにしても、この伝来説の場合、コロンブスが発見した唐辛子をスペインに持ち帰ってから、僅か50年という猛スピードで日本に伝来したことになる。世界的な大航海時代のなせる業であろうか。唐辛子のもつ、伝播力の強さであろうか。500年以上遡るが、唐辛子ドラマは、心に熱いのである! 



       

       ≪江戸・東京からはじまる「内藤トウガラ史・スパイスアート展」≫

       ・日時:2010年3月5日(金)~3月8日(月)

        10:30~17:30(5日は13:00から・8日は17:00まで)

       ・場所:駒沢住宅・ギャラリー櫟
           (伊佐ホームズ株式会社http://www.isahomes.co.jp)

       ・Tel. 03-5712-5513 東京都目黒区東が丘2-13-25


唐辛子の原種、発見! アメリカ大陸発見に続く、コロンブスの奇跡?

2010年03月04日 | 1400年~
        

  【1492年(名応元年)】
  スパイスの国、インディアの地へ向けて。さらには黄金の国、ジパングへ向けて、西へ西へ帆を進めた、
クリストファー・コロンブス。25歳以降の人生で、ドン・クリストーバル・コロン提督と名乗った彼は、出帆以来、克明に航海日誌をつけていた。航海に出て約2ケ月後、ついに陸地を発見。その最初の島であるグアナハニ島に上陸、領有宣言の後にサン・サルバド-ル島と命名。そして、その後はインディアの地であり、ジパングも近いと信じ込んでいた未踏の地、実は西インド諸島の島々を帆船で探検することになる。その目的は、2つ。当時から、希少価値の高かった、黄金と香辛料を手に入れるためと思われる。このコロン提督の膨大な日誌を、後にバルトロメー・デ・ラス・カサス神父が要録、それがコロンブスの航海日誌として広く知られるようになったが、その中に次のような1493年1月15日の記録がある。「アヒー(Aji)は、大量にある。アヒーは、彼らの香辛料であり、コショウよりも値打ちがある。食事の際にアヒーを食べない人間は、誰もいない。アヒーは、健康によいということである、云々」 (青木康征 編訳 「完訳 コロンブス航海誌」 株式会社 平凡社)。西欧諸国で珍重されていたコショウ(ペッパー)ではないが、先住民の香辛料を手に入れた感激が読み取れる。それから500年以上経過した今では、世界各国に2000種類とも5000種類とも存在すると言われる唐辛子が、国際社会への登場を果たした瞬間だったのである。また、アヒー(Aji)は、アラウカノ族(南米、先住民)の言語で野生の唐辛子、原種を意味しており、現在でもペルーやエクアドルには、アヒー(Aji)と呼ばれる、唐辛子ソースや調味料が料理に使われているのである。この2ケ月後、航海日誌の3月15日、提督はパロスに帰港。カステリア(スペイン)国王に、唐辛子の原種を持ち帰った。唐辛子も、歴史はコロンブスから始まったことになる。  

   ◎ このblogは、内藤トウガラシの歴史等の調査過程でまとめたものです。現在も調査継続中であり、内容の一部に不十分・不明確な表現等があります。あらかじめご承知おき願います。To Be Contenue ・・・・・。




歴史年表

2010年02月24日 | 資料編  
   内藤とうがらし年表
   

                  

それは、新宿・花園神社の立て札、たった一行が始まりだった。

2010年02月24日 | 予告編  
        
 なぜ、「内藤トウガラシ」? なぜ「内藤トウガラ史」? 
3年ほど前の、ある日のこと。スローフードの有志と新宿在住の農園仲間たちは、花園神社
の立て札(銘版)にある江戸伝統野菜「内藤トウガラシ」の記述に惹かれた。「新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであった」云々。江戸の昔にタイムスリップしてイマジネーションを働かせてみると、トウガラシが真っ赤に燃える空の下、その地に立っていたことになる。「明治に入ってから急速に衰退してしまった江戸の光景を、現代に復活できないものか?」メンバー誰もが抱いた、それぞれの夢と想い。トウガラシへのロマンは、新宿・新田裏の一角で内藤トウガラシの栽培を始めるキッカケとなり、歴史やトウガラシ文化に思いを馳せる引き金ともなった。新宿名産の内藤トウガラシ復活と、トウガラシ文化の復興。その願いを込めたトウガラシ・歴史年表 blog「内藤トウガラ史」、次回から。