
【1625年(寛永 2年)】
江戸時代初期、両国橋の近くに漢方医や薬種問屋が集まった薬研堀(やげんぼり)と呼ばれる問屋街があった。そこの薬種問屋、「やげん堀」初代当主の「からしや徳右衛門」は、漢方薬のひとつであった唐辛子を中心に体に良いとされる7種類の薬味を調合。「焼き唐辛子」と「生唐辛子」2種類の唐辛子に、「粉山椒」、「黒胡麻」、「芥子の実」、「麻の実」、そして「陳皮」をブレンドした、七味唐辛子の開発に初めて成功。その後、江戸庶民に人気の食べ物となった蕎麦の薬味としての相性の良さが評判となり、やがて日本全国に広まったとされている(「やげん堀」H.P.)。熱い蕎麦と、風邪によく効く漢方の薬味、風邪の予防を兼ねた江戸っ子の食文化となったわけである。
ところで、この「焼き唐辛子」に使われたのが、内藤家の下屋敷(現在の新宿御苑)とその周辺で栽培されていた内藤トウガラシだった という伝承が、唐辛子売りの口上として残されている。それは、歴史を寛永3年に遡る。七味唐辛子の開発に成功した翌年、「からしや徳右衛門」は、観菊の宴席で将軍家光に七味唐辛子を献上、褒賞として屋号を賜った。「今を去ること三百有余年前、徳川将軍家光公の御時代、世はあたかも寛永3年菊の御園の・・・・・」という、その当時を語った口上は、「入れますのは、内藤新宿、八つ房の焼き唐辛子」という口上とともに、現在も「やげん堀」の唐辛子売りに伝承されているのである。また、江戸の「やげん堀」をはじめ、京都の「七味や」、そして長野・善光寺の「八幡屋磯五郎」が、日本の3大七味といわれている。江戸、京都、長野、それぞれの七味唐辛子の薬味に、地域特性が見られるのも特徴である。「七味や」は青海苔、青紫蘇。「八幡屋磯五郎」は、生姜。「やげん堀」は、江戸名産の「内藤新宿、八つ房唐辛子」(内藤トウガラシ)。それと、上方方面からの下り物や、日本各地の6つの薬味? 薬味にも、ドラマと謎が潜んでいる。
◎このblogは、内藤トウガラシの歴史等の調査過程でまとめたものです。現在も調査継続中であり、内容の一部に不十分・不明確な表現等があります。あらかじめご承知おき願います。To Be Contenue ・・・・・。
◎「唐辛子売り口上」 浅草雑芸団 上島敏昭氏

