〓〓〓  内藤トウガラ史  〓〓〓

ドラマもあれば、謎もある。トウガラシ・歴史年表。
by 赤井唐辛子(内藤新宿・八房とうがらし倶楽部)

「このたねと おもひこなさじ とうがらし」。芭蕉の名句が物語る? 江戸とうがらし文化の歴史(2)

2010年06月21日 | 1600年~
        
                    内藤とうがらし(八房系)の種
 【1690年(元禄 3年)】
 旅に生きた漂泊の詩人、芭蕉。元禄2年の夏、美濃大垣で「おくのほそ道」の旅を終え、その後の2年間の殆どを近畿圏の伊賀、京都、膳所を行き来しながら門人との交流を通じ、俳諧の新たな方向である「不易流行」の浸透を図ったと言われている(校註:今栄蔵 芭蕉句集 株式会社 新潮社)。記録によれば、この時期に芭蕉が頻繁に訪れていたのが生まれ故郷の伊賀であり、2ケ月、3ヶ月と逗留することも珍しくなかったようである。それ以前にも、両親の供養ではあったが、亡父与左衛門の法要への列席を伴った元禄元年の江戸~東海~近畿行脚(笈の小文)や、母の墓参を兼ねた帰郷の旅(野ざらし紀行)など、生涯を旅に明け暮れ創作活動を続けていた芭蕉が再三足を伸ばしていた生まれ故郷の伊賀上野は、とくに重要な存在だったのかも知れない。先の元禄2年の夏の場合も、美濃大垣から伊勢山田を経て伊賀上野に帰郷、2ケ月間にわたって逗留。膳所で年を越した後に、再び元禄3年の正月3日に伊賀上野へ帰郷して、そのまま3月下旬まで実家で過ごしたのである。少し謎めいているようでもある、その理由は分からないが、発句の草稿や推敲のため実家で過ごしていたと思われる。この時期(元禄3年2月~4月頃)に詠まれた、「種」をテーマとした3つの句の存在が、それを裏付ける? 茄子、芋、唐辛子の3句(生家、自宅の畠、故郷の風情)で、唐辛子の句は、「このたねと おもひこなさじ とうがらし」。意味は、こんな小さな種と侮ってはいけない。唐辛子の種は、秋にはピリッと辛い真っ赤な実をつけるのだから(加藤楸邨著 芭蕉全句 株式会社筑摩書房)。含蓄に富んだ句でもあるが、唐辛子の種を覗き込んでいる風情に、自然の摂理を感じ取っていたわけである。ところで、この唐辛子の句、茄子の種が読まれた「春雨や 二葉に萌ゆる 茄子種(なすびだね)」の句のように、故郷での情景? それとも、それとは違ったロケーション? 旅に生きた漂泊の詩人と呼ばれた芭蕉だから、彼が尋ねた地でこういった場面に触れる機会があったと考えられるのである。この句が読まれた元禄3年というと、江戸の3大農学者のひとりである宮崎安貞が、日本初の本格的農業書「農業全書」(唐辛子について、栽培時期、植え方などの詳しい記述が見られる)の上梓を目指して、畿内諸国の視察や老農への聞き取りによる情報交換に励んでいた時期。それから推察すると、伊賀、京都、膳所といった畿内をはじめ日本各地で唐辛子の存在は、かなり周知され始めていたとも思われる。また、同じ頃に活躍した儒学者、貝原益軒がいうように、唐辛子は伝来の新野菜だけに発句の素材として新しかったので、推敲を重ねて句にしたためたとも想定されるわけである。

         
                 真っ赤な内藤とうがらし(八房系)と、白い花。 

 ◎このblogは、内藤トウガラシの歴史等の調査過程でまとめたものです。現在も調査継続中であり、内容の一部に不十分・不明確な表現等があります。あらかじめご承知おき願います。To Be Contenue ・・・・・。




 



 

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