Blog=「Sawacchi抄」

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只今沸騰中!比較「戦後論」

2005年08月17日 | 評論
あっという間にお盆が過ぎ、今日は秋祭りの打ち合わせだとか。
外はだいぶ涼しくなって来た。
「戦後」に対する考えも冷静に出来るかもしれない。
という訳で、8月15日の各紙を今日は比較してみたい。

まず大嫌いな「朝日新聞」は『(戦後60年)元気と思慮ある国に』である。キーワードは「功と罪」、「アジア村」だ。
そして「毎日新聞」は『終戦記念日 とんがらず靖国を語ろう 還暦機に幼稚さから脱して』。キーワードは「日中」、「分祀」でる。
いずれも戦前否定派だが、今回は朝日を評価したい。
理由は毎日が超おバカ!だからである。

タイトルとキーワードでは、「功と罪」など朝日のおバカを期待したが、今回は違う。
財政赤字や少子高齢化など現実の問題点を提示した上で、思慮深いアジア外交を促した点がいい。
さらに朝日の評価出来る部分として、アジア内でのエネルギー問題、環境問題など、アジア各国の不足部分における共同作業での解決の提案もある。

では先ほどの「功と罪」は何だったかといえば、小泉首相の「功と罪」なのだ。
むら社会=日本=自民党←ぶっ壊す=小泉=勇ましい=人気!
ここまで朝日に揶揄されては、自分も少しだけ小泉さんに同情してあげよう。

さて毎日は「~とんがらず靖国を語ろう~」と温和なタイトルに対し、中身は子供じみてるとしか自分には思えない。
その第一に書かれている「低レベルのナショナリズムをやめ、お互いの言い分を認め合おう・・・」とは、幼稚の極みだ。
タイトルの後半に「~還暦機に幼稚さから脱して~」とあるが、まさか還暦で早くもボケたのではないかと疑いたくなる。
そんなことが出来るなら、EUのようにとっくに共同体組織が出来あがっている。

また戦前の取扱いも当時の世界情勢や時代背景を全く無視したもの。
現代と同じモノサシで戦前戦中計り、今の時代感覚と比較する頭脳構造は理解に苦しむ。あの時代とは、比較出来ない時代だから評価が難しいではないか。

では次に、読売と産経を比較して見たい。
まず読売は『戦後60年『戦争責任』を再点検したい』、キーワードは「A級戦犯」、「一定距離」である。
産経の【主張】は『終戦記念日 分水嶺となる戦後60年 総選挙が絶妙に用意さた』、キーワードは、「慰霊」、「展望」である。

このなかで最近の読売の戦争評価の変化が気に掛る。
今回の社説では、戦勝国や靖国神社と一定距離をおいて「戦争責任」を見直そうというものだ。
確かに一理ある。その通りだ。
しかし、過去の読売から「靖国神社と一定距離」は考えられない。
この変化はなんなのだろう。

さて産経はといえば、これまた選挙を持ちだし「国はどうあるべきなのか。還暦の寓意にこれほどふさわしい状況もない。」と小泉全く指示なのだ。
この機会に万一自民敗北なら憲法改正などにも影響があるため、戦後60年とうまくダブらせているが、終戦と選挙を同列に扱うのも如何なものかと思う。
今回の解散は「むら社会」への挑戦なのだ。
毎日の表現を使いたくはないが、小泉批判では不思議と合致する。

最後に日本経済新聞と岩手日報。
最初に日経は「謙虚にしたたかに国際社会を生き抜く」として、中国経済への影響を考えたキーワードの「けじめ」が気に食わない。
10年前の村山談話はけじめにならないのだろうか。
もし意味が違っていたら「検証」という言葉を使って欲しいものだ。
その分、バブル経済と大戦を比較して「行財政改革」を訴えるあたりは賛成できた。

最後の岩手日報は「いつまでも平和が続け」とタイトルには魅力はない。
キーワードは「あなたの町・・・」と「継承」。
「あなたの町・・・」では戦争を身近に感じる事が出来た。さすがは地方新聞。
しかし、「継承」で進行する世代交代の備えとして“反戦平和”を訴えるあたりは左翼新聞のおバカと一緒である。
「平和憲法のたまものだと思う」とか、「「防衛力の整備」を求める白書の言葉に心が痛む」といった点は、共産主義に突き進む共同通信社の地方組織ならではである。

『結論!!』
地方新聞しか読まない市町村議会の議員や教育委員、ほか指導者たちよ。「おバカにならないうちに全国紙も読め!」


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