斗南藩ゆかりの地を訪ねて

2014年01月23日 | 日記
注)犬ブログだけど、今回は私の日記でカノン達は出てきません


先日、息子君のインターハイ応援に青森県まで行ってきました

朝早い試合だったので前日入りし
1日暇なので観光をすることに



さてさて青森と言えば、リンゴ?
違います「斗南藩」でしょう
(かなり偏った人間ですみませんσ(^_^;)
何を隠そう隠してないけど
私、筋金入りの会津藩ヲタです
なので、今回青森へ行くついでに斗南藩のあった下北半島へ行ってきました


斗南藩を知らない方のために、簡単に説明

昨年の大河ドラマ「八重の桜」を見ていた方はご存知ですよね
戊辰戦争で敗北をきした会津藩が、下北半島の地で「斗南藩」とし復興を許され
新天地求めて移住して行きました

しかし、本州最北端の不毛不作の地
武士だった人間が農業なんぞしたことも無く
種を蒔いてはみたもののほとんど育つ事なく、着る物も食べる物も無い
想像を絶する生活に身を置く事になったのです

地元の農民には「鳩侍」と言われていました
落ちている物を拾って食べてるところからそう言われていたんですが
23万石の高級武士だった会津藩士、生きて行く為だとはいえ
情けなくて辛かったことでしょう

夏は海で昆布を採り山で山菜を取りギリギリ生活できていたそうですが
冬は凍死や餓死する人も多くいたと言います
復興を許されたとな名ばかりで、流罪同然の生活でした

会津藩士 荒川勝茂の日記には
3年目の冬、猛吹雪で外の囲いが折れ障子が飛ばされ
屋根の板が外れ、乗せてあった石が飛び
寝ている所に屋根に積もっていた雪が落ちてきて
家族全員脱出し隣に助けを求めた
そして翌朝、周りの長屋の多くは倒壊し多くの老人や子供が雪により圧死していた

と、斗南でのすさまじい生活を日記に残しています


これが斗南藩です

今回、その斗南(現在のむつ市)へ行ってきました





では、名古屋を出発の所から


朝1の飛行機に乗るため、近所の名古屋小牧空港へ

朝食は名古屋名物「小倉トースト」を空港の喫茶店で食べました







飛行機は名古屋、静岡を中心に発着する飛行機会社FDA





日の出がキレイだ~


ここの飛行機、カラフルでして











他にもいろんな色があります


では、離陸~





朝早い便には





簡単な朝食、ってさっきボリュームありすぎの小倉トースト平らげたばかりなんだけど



そして1時間半のフライトで青森空港へ

空港から青森駅行きのバスに乗って、青森駅到着





宿泊は駅前の





「ルートイン青森」なぜここにしたかと言うと
大浴場があるから
冷え切ったからだに旅の疲れを癒すなら、まさにこれ

これ大正解でした


さて話は戻ります

チェックイン前だけど、ホテルに荷物を預け

青森駅→野辺地駅→下北駅

と簡単に書いてあるけど、なんせ電車の本数が少くないの少くないの
1本乗り遅れたら1時間待ち?と大変な事になるので

適当人間の自分、ありえないくらい綿密に





予定表作ったよ!

すごいね自分、これなら完璧
いつものチン道中を期待のみなさま、残念 ( ̄ー+ ̄)キラーン


この予定通り行ってきました


まずは青森駅から「青い森鉄道」




車内はこんな感じ





ここで1つ問題が発生


よくあるのか、ないのか
この電車、自分でボタンを押してドアを開け閉めするんです
カノン地方の電車は勝手に開閉するけど、この電車
扉の開閉を自分でやらないといけないらしく
しかも、駅によって1番前の車両の、1番前の扉しか開かない
とか何ともよくわからん決まり事もあって

もちろん、目が点・・・(○_○)

後でわかったけど、乗ってすぐはチンプンカンプン
はたして私が降りる駅は扉開くの?開かないの?と不安になり

そう言った時は地元民に聞けば良いんだよ

って事で、隣に座ってたおばあちゃんに聞きました

「すみません、野辺地の駅ではここの扉開きますか?」

すると、帰って来た答えは


「@☆△♯=↓○~」

はぁ?(゜_゜i)

聞き取れない・・・

方言きつ過ぎなんですけど

何となく、聞き返しても聞き取れないだろうなと悟ったので
反対隣の人を見ると、若いお姉さんが

が、イヤホン付けて寝てるときた

ま、いいや・・・何とかなる
と、やっぱり出た適当人間

結局、野辺地では全部の扉が開いてくれてセーフ

こう言ったアクシデントと言うか、ここでしか味わえない体験って

おもしろ~~~い━━━(゜∀゜)━━━!!!


そしてここが野辺地駅





この後15分ほど待って、JR大湊線に乗って下北へ

んが~何かと言うと

車内から見える景色を楽しみながら行く予定が

車内と外気の温度差で窓が曇って外が見えない・・・(T▽T;)
2人席の通路側に座ったから窓を拭く事もできず
何でも陸奥湾が見えるらしいけど、約1時間乗客人間ウォッチングで過ごしました


そして、名古屋を出て6時間
やっと、やっと着きました







「よぐ来たにし」これって会津弁に似てる?


むつ市はこんな感じに雪が積もってました




わかってはいるけど、雪すごい・・・ね


そしてこの地で残された時間は3時間
この時間内での観光、かなりハード

タクシーなんて使ったら破算するので、レンタカーを借りる事にしました






最初に向かったのが、ってここに着くまでどれだけ探したか





看板これだけだもん(T_T)


「斗南藩士上陸の地」

この奥に碑があり
会津藩の人達が、新潟港からこの場所まで船でやって来て
ここから上陸したそうです


が・・・





写真じゃわからないけど、膝上まで積もってて
とてもじゃない近づけないしぃ~(/TДT)/

ここって観光名所じゃないの?
何で除雪してないの?
って人っ子一人いないし、真冬の豪雪地帯にわざわざ行く観光客なんていないってか?


しかし、6時間かけて幾ら使ってここまで来たと思っとる
行く、絶対行く、絶対進んでやる


はい、無謀にも入って行きました

つーか途中足抜けなくなるし、ひっくり返りそうになるし
あわや遭難の一歩手前までいきましたよ

でも根性だけで前進、そして





何とか到着

これは説明の書いてある看板、でも途中読めね~し


でもって記念碑はこちら・・・





正面の木の向こう側








近付いたはいいけど写真撮れない
かろうじて木の下は雪が少なく立っていられるけど
これより先に進むのは危険と判断し断念



雪のない時の写真がこちら





ちなみに、この石は鶴ヶ城の石を使っているそうです

そして、この石碑は会津の方角を向いて建ててあるとか




この先に会津があるんだね
斗南藩の人達は、どんな思いでこの方角を眺めていたのかな・・・
きっと皆「帰りたい」と思ってただろうね

と、この場所を後にしたんだけど
すごい、何がって
あれだけ雪の中を膝上までズボズボ入って行ったのに、ズボンもコートもほとんど濡れてませんでした
(コートのすそは巻くって行ったけど)
雪質が違うからなのかな?
ずぶ濡れ覚悟で入って行ったのに、これならもっと動き回ればよかった



次に向かったのは、斗南藩士達が住んでいた場所
もちろん家は無いただの空き地、と言うか林というか公園の脇

が~~~~~


道に迷った・・・




ここは





どこだ?


どんどん山に入ってる事はわかるんだけど
交差点もないし、Uターンする道もない
このまま進んだら大変な事になると思い
よそ様の家の敷地でUターンさせてもらいました
きっと「誰が来たぞ~」と思ってましたよね、ごめんなさい


結局目的地は、雪で道が塞がれていて近付く事は出来なかったんだけど
上の写真の迷った道の辺りや





この辺りに存在していたらしいです
それにしても、こんな雪の中、あばら小屋で生活していたなんて・・・
寒さに震え、藁をまとっていたとあったけど
涙が出てくるよ
会津藩、幕府側ってだけで何か悪い事した?
何通も降伏文書出していたのに受け入れられず攻められて
どうしてここまでされなきゃいけなかったのか
憎っき新政府軍




そして次の目的地探しは続くんだけど





除雪で作られた雪の塀が出来てて路駐できる場所がないんだよね
停めれるのは、人の家の敷地の前だったりで
車を停めて探す事ができないわけで、結局場所が特定出来ず断念


そして、もう一つの目的地「斗南藩士墓地」
この墓地で、会津の會の旗を掲げようと頑張って来たんです

が、またもや




「かんじき」あれば何とか行けそうだけど
そんな物もってないし
てか車停めれないし~


わかった!真冬に来る場所じゃないって事ね(_ _。)
めったに来れる場所じゃないし、行きたかったよ・・・
車だけでも停めれる場所欲しかった


次に向かったのは、斗南藩庁が置かれていた場所「円通寺」
ここは普通のお寺なので雪かきもされていて大丈夫でした
ここで山川大蔵ら会津藩士が会議をし決め事をしたりしていたんですね、
























良かった、最後の最後に目的を果たせて

おっと、じつは今回もう1つやりたい事が
それは

私のコレクションの1つに



この絵葉書があります

裏を見ると



使用済み


最初何も考えず買ったんだけど
いったい何処の誰が書いたものかな、と調べたんです
そしてら、あくまで予想ですが
元会津藩士の家族が差し出し人でした
「二瓶」の性は会津藩士に沢山いた名前
しかも田名部と言う地にも会津藩士が沢山住んでいました
そして、葉書の写真は会津の飯盛山の弁天洞窟
白虎隊が戸の口から逃げてきたときに通った洞窟です
この洞窟を抜け飯盛山に辿り着き、この写真よりもう少し離れた場所で自刃したのです

この葉書で手紙を出している事を思うと
恐らく会津にゆかりのある人が会津にゆかりのある人へ出した物ではないか
と考えたんです
この葉書は消印から大正2年時のもと推測されるので、差出人も受取人ももうこの世にはいないかもしれません
出来たらこの差出人を調べたかったんですが、今回は時間切れで出来ませんでした・・・

そしてやりたかった事もう1つ

この写真と同じ場所の葉書で手紙を出す事





これが今の姿

これを、むつ市から我が家にだしました







到着!

それで何?どうしたの?どうしたいの?
だけど
時代を越えて同じ事をした、それで満足なんです


そして、やり残した事は多いけど
青森へ帰っていきました





むつ市、さようなら~





下北駅さらば~





これは野辺地の駅前
乗り継ぎの電車が遅れてたので、外に出てみました
ここ野辺地も斗南藩が存在していたんですが、機会があったらここも散策してみたいです





青森旅行、もう1回続きます
カノン達を楽しみに着てくださった方、これに懲りずまた遊びに来てね





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