私のつれづれ日記

日々のどーでもいいことを呟いていきます。

かまってちゃんは、愛じゃない

2020年10月20日 | 日々つつがなし
今日、レイキをかけていて、元夫の事を考えていて、
やはり、うつでテンション下がっている彼をサポートしてやらねばならないなぁ…。

どうしようか、週末みんなでご飯食べたりとかするか、とか、
何か旅行に誘ったり、サークルに誘ったりするか、とか…そんな事を考えていたのです。

やはり、ツインレイのあの人より、今目の前にいる人を助けなきゃ…とか。

すると、レイキをかけながら聴いていたYouTubeの動画から、

ツインレイは、この時期、試されて、気持ちがぶれやすくなるんです。

例えば、自分軸が揺らいで、他人軸になりやすいとか、そんな風になります、

と聞こえてくるではありませんか…。


そうなんですよね。

元夫の為に色々してあげようと言うのは、私の義務感からなんです。

または慣れ親しんだ昔の癖なのです。

元夫の為に色々してあげていた名残りなんです。

そんな事を思いました。

本当にそれがしたいのか?

だって本当は私、もう一人になりたいって思っているじゃない?

彼のお守りはこりごりだって。

そう思っている筈なのに、彼が寂しそうにしていたり、苦しそうにしていたら、なんとか助けてやりたい、元気付けてやりたいって、考えているんですもの…。

ほんと辛いわ…。

でも、この繰り返しでしたね、この一年。


やっと重荷を下ろしたと思ったのに、
また自ら背負おうとしているんですもの、
しょうがないですね…。


ちょっとしばらく考えてみます。

元夫はそんなに弱い人かと。
本当はもっと強く逞しい人ではなかったかと。

考えを切り替えていきます。


表題の、かまってちゃんの愛は愛ではない、
と言うのは、ふと出てきた言葉で。


かまってちゃんのは、もっとくれ、くれ、という奪う愛で、本当の愛ではないんですね。

本物の愛は、お互いに愛し愛されて、循環していく愛なのです。


元夫はかまってちゃんで、確かに私を愛してくれたかもしれないけれど、
奪う愛で、私の本質を愛してくれていたわけではなかった。

私の事は好きだけど、私の両親や兄弟は好きではなかった。私の田舎も好きではなかった。
私だけが必要で私に付随するものは要らなかった。私の夢さえもどうでも良かった。

もっと言うと、俺だけを愛してくれている私を愛していたのです。


彼が求めているのは、自分を、自分だけを愛して欲しいという、エゴの思いだけだったのです。

そう言う感じがしました。


まあ、ちょっと今、まだ混乱しているので、上手く言えませんが、少し気持ちの整理をしていきたいと思います。


とにかく、元夫を、うつ病の弱い人、悲しい人、誰かのサポートがないと生きていけない人、と言う風に決めつける事は、もうやめようと思いました。


自分がやれる事はやるけれど、それ以上の事はできないとハッキリと自分の中で線引きをしていかねばな…。



☆それでは今日も良い一日を。



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