リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

「義経」第三十七回

2005年09月20日 18時41分12秒 | 大河ドラマ
 暗雲立ち込める義経の運命。
徐々に彼が追い詰められてゆくのかと思えば、ちょっと切ない気もします。

そんな第三十七回のあらすじはコチラ


兄弟喧嘩というのはいつの時代にもありますが、ちょっとした綻びが徐々に広がって大きくなって、肥大化してしまい、気が付いたら取り返しのつかないところまできてしまった、というのが哀しいところ。

しかしこれは兄弟の怨恨を越えた話だから、尚更悲劇の度合いが違うというか。

兄にとっては、まったくの新しいシステムを作る上でどうしても邪魔な存在になってしまったのが義経なのだと思います。
自分に賛同して一緒になってくれる御家人たちへの見せしめという意味合いも、多分含まれているのではないかと思うのですが。


自分の作る新しい世界に賛同しない者は喩え身内といえども容赦はしないというヤツです。
非情なのは何もコイズミさんばかりではありません。(ぼそ)

義経は見事その人柱になってしまったものと思われ。

そしてまた、義経の最大の悲劇は頼朝の考えるところの、彼が新たに作ろうとしている社会をまったく理解出来ていなかったことだと推測します。

大きく言えば、頼朝の作ろうとしている社会は今までとは大きく違い、天皇や公家達とは一線を隔した、武士のみで構成するという、今までとはまったく違うシステムにて日本を統治する社会。
政治自体に朝廷の存在はありませんし、また、脅かすつもりもまったくない、というもの。


ところが、義経は幼少の頃に平家(特に清盛)にお世話になっていたため、従来のシステムしか頭にないものだから、兄の作らんとする社会のシステムがまったく見えてこないばかりか理解すら出来ない状態。

弾かれてしまうのは当然なのかもしれません。

宮尾さんの脚本で考えるに、義経には清盛公が作ろうとした、“新しい国造り”しか頭にないんだもん。当然といっちゃ当然。

もし仮に、義経に懇々と説明したとして、やはり彼は理解出来ないばかりか兄を批判する立場になってしまうから、結局のところは同じことになるのだと私は思います。

しかも今回、一の谷の功績にて、後白河法皇より勝手に官位を授かった者達への処分をいよいよ実行。
頼朝はワザとその書面には義経の名前は挙げませんでしたが、ここには頼朝の、義経に対する挑戦があったと思われ。

彼がどのような態度を示すかで、義経の運命は大きく変わったと思いますが、しかしそういうことに無頓着な義経。
兄が自分を身内だから許してくれたものと呑気に解釈

せめてここでお詫びの書状一つ送っていればよかったものを、みすみす自分を首を絞めることになっているのにまったく気付かない、哀れ義経

アホだよキミ。なんて本当にアホなんだキミは………!!
 と思っても、すでに800年前に起こってしまったことだから仕方が無いか。


しかもそれだけではなく、回収した三種の神器(しかし宝剣は海の底)を、頼朝に黙って後白河法皇に返還してしまったもんだから、頼朝唖然

折角、朝廷に揺さ振りを掛け、(頼朝が)取り引きの材料にする為に「三種の神器を取り戻せ」と命令したのにも係らず、義経はそれを「法王の下に戻せ」と解釈した模様。

政治的手法がまったく理解していない義経に頼朝、「何でまったく分からないんだ!!」と理解不能に陥った哀れ頼朝

………だってさ、もう、しょうがないよね。
せめて、義経が政治の勉強を習っていればよかったんだけど、しかし実直すぎる彼のこと。

また悩んで頭がパンクしちゃうに違いない。(断言)


そして更に、景時の書状が届き、これもまた、義経にまったく不利な話ばかり。

 これには頼朝もいかんし難い模様。

結局、「鎌倉……ではなく、美濃の国(今の愛知県)から先は入っちゃいカンザキ!」。 
とご命令。
 それにドビーンショックを受ける義経

当然ですが、何故兄が怒ったのか理解出来ていません。(泣)



そんな折、建礼門院徳子(けんれいもんいん とくこ)の元へと赴く義経。
それは壇ノ浦での疑問を投げかける為に直接会いに行ったのでした。

途中、庭にて能子が“親王”だと証言した少年を見かけ、やはり疑問は尽きない模様。


ところで関係ないですが、検非違使の格好は配色的にもかなり好みです。
やっぱお貴族様の格好は めっちゃカッコイイやん
白い狩衣に赤いワンポイントは、優男で凛々しい義経を更に引き立たせてくれちゃいます。
 武士の姿の義経よりもうっとり

ここに私の趣味がありありです


さて、義経は建礼門院と話をしているうちに、世の中の無常をお互いに悟り合う仲に。
更に会話の中で、建礼門院が隠そうとしていた秘密を確信。しかし、敢えてそれを暴こうとしないで胸の内に収める義経。
多分、もう自分には必要の無い秘密だと思ったのかも。

お供についてきた弁慶には「得心した」と告げるのみ。




ここで安徳天皇の秘密に触れますが、今でも四国のとある土地に、「安徳天皇の子孫が住んでいるらしいです。
(これは父から聞きました)

安徳天皇は壇ノ浦では死なずに逃げ落ち、そして四国に流れ着いてそこでひっそりと暮らした、という事らしいですが、これも“義経北行伝説”と同じく、伝説と言われてはいました。
でも、現にそう名乗る者が存在する、ということはあながちウソではなかったのかもしれません。

第一、あの当時に天皇様の顔を知っている者なんて一部の人間のみ。他の者が問いただしてもウソだといえばウソにもなります。

だから言ってしまえば誤魔化しはいくらでも利くし、もし仮に、安徳天皇本人が海の底に沈んでしまったとしても親王様は血族。安徳天皇の子孫としても間違いはありません。

しかも、もう他の天皇が即位してしまったとあっては安徳天皇にはもはや権限はなく、やはり生き延びてもひっそりと暮らすしかないのです。
(というか、もし生きているとなったら容赦なく刺客が放たれると思われますが)
↑混乱の元になる為。別に今回の選挙とは関係ありません。(爆) 時代が違うし。


ラストに、安徳天皇の秘密を守ってもらったことに、建礼門院様始め頭を下げる女官達。
そしてその中には妹の能子の姿が。


「その後、義経さまは彼女達とは二度と会わなかった」、とナレーターが入りましたが、それは“会わない”、じゃなくて“会えなく”なっちゃったんだよね。



いよいよ次回から本格的に追われてしまう義経。

嗚呼、イヤな意味でハラハラドキドキだわ。


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