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タイに暮らす:ウチのハーフキッズの日本語&タイ語

2005年生まれのお兄ちゃんK 妹のMちゃん。
好きなものを見つけた2人は今自分で日本、日本語の世界を切り拓いている

12歳Mちゃんの日本語の世界

2020年03月22日 | ファミリーメンバー記録
なんせ 3年ぶりの投稿なので
まずは 子供たちの日本語の今について覚書。。。

常々 子供たちには 深みのある日本、日本語の世界
を広げていって欲しいと願っている私です。

Mちゃんが小学校5年生の時だったか、
ママあそぼ―とやってきました。
いつも出してない玩具を!! と
おもちゃ箱をひっくり返し、見つけた 犬棒カルタ
なかなかキュートなの持ってました。


あっという間に 諺を覚えてしまいました。

ある日、こんなことを言ったのを覚えています。

Mちゃん「昨日も今日も Mのクラスは自習があってね。
静かにしてたら、 隣の教室から
ปากเป็นเอก เลขเป็นโท(長い詩)がずっと聞こえてきたの。
暗記テストがあるから 助かっちゃった。
M、覚えたよ。  これって
”門前の小僧習わぬ経を読むじゃない?」

えーえー、
ふだん見聞きしていると、いつのまにかそれを学び知ってしまう。

その通りよ Mちゃん! ちゃんと 物にしてるじゃない! 


他にも 諺を教えると タイ語にもあるよと、私に教えてくれるのでした。

例えば:
壁に耳あり 障子に目あり。=กำแพงมีหู ประตูมีตา

ちりも積もれば山となる。=เก็บเบี้ยใต้ถุงร้าน

ニ兎追うものは一兎をも得ず。=จับปลาสองมือ

豚に真珠。=ไก่ได้พลอย

Mちゃん、諺が好きなんだとか。

私なんて、タイ語から説明されても すっと日本語の諺が出ないのに。

正座してカルタ取りに熱中するMちゃん見てたら
 これ も紹介したくなりまして。

じゃんっ!


小倉百人一首


全部覚えているかって?
いやぁ、、、(;^ω^) えへへ。くらいでして。

Mちゃんに 紹介するからには、勉強せねば。
ざざっとググって ささっとおさらい。

ま、ま、やってみよ。
とYoutubeを付け 読手さんの音声でやってみました。

いやぁ、つまらない。
なぜって、お互い覚えていないから。
ひらがななのに 意味わからん と。

そこで、Mちゃんに アニメ”ちはやふる”を紹介しました。
ハマったー!
そして どんどん理解度を増していきましたね。

百人一首(競技カルタ)に青春をかける子たちの物語をアニメで見たり、漫画を読む事で
その魅力、和歌とは、一首一首の歌の意味、平安時代などに詳しくなっていくMちゃん。

あれから数年経ちますが その熱 いまだ健在。
せっかくだから バンコクかるた会へ行ってみる?と誘うと
乗り気でない様子。
よくよく話をしていると Mちゃんは 歌そのもの好きなんだとか。
歌と向き合い、意味をわかって ふむふむ、なるほど、、、
タイ語に訳してみようかな、という感じ。

百人一首好きにも色々あるんですねぇ。

以前 お誕生日のお友達(同じハーフちゃん)にあげるカードに
こんな歌のプレゼントしたことがありました。

”は”から 始まる名前だったお友達へ。
花の色は、、、


タイ語訳もしかして っぽくなってたりするの?と聞くと
むりむりぃー!ということなので、
韻を踏んだり、風情までは出せなかったようです。

この長い休み中、
ちょこちょこと百人一首をタイ語に訳しているようです。

お兄ちゃんKは江戸末期、
Mちゃんは平安時代、
とそれぞれ興味のある日本の世界が広がってきたので
決行した旅、、、それは

京都です。

京都へ行かずして どこへ行く。。。


明日はそのこと思い出しながら 書きます!



3年ぶりの投稿!子供の日本語力

2020年03月22日 | ファミリーメンバー記録
大変ご無沙汰してしまいました。
気づけば3年もアップしておらず。
書き方すらおぼつかない状態です。

子供たちもぐんぐん大きくなっております。

COVID19、、、タイも日に日に感染者が増え外出が制限され
家での時間が増えております。
久しぶりの更新に至った訳が☝ですね。

タイの南部スラタニー県5年半の生活を終え、バンコク郊外へ落ち着いて
3年が過ぎました。

子供たちの近況からです。

お兄ちゃんKは今年5月からタイ現地校の中学3年生。
妹のMちゃんもお兄ちゃんと同じ学校が良い! と
受験を終えたばかりです。結果 合格
暗いニュースが続いてるので 合格ニュースは嬉しかったです。

2人の日本語力ですが、家では私や夫と日本語を話すことにより
会話能力は落ちはせず。
以前は欲張って読みも書きも!と漢字を中心に家で教えていましたが
あるときを境にストップしました。

タイをベースにこの先育っていくであろう我が子に
そこまで文字学習は必要ないのでは、
自分の言いたいこと 伝えたいことがきちんと伝えられる
コミュニケーション能力を育てた方がよい、
と 思うように。
いやぁ、、、☝ここに至るまで 息子とぶつかったり、色々ありました。 
で 私、今 ここに落ち着きました。

私が子供たちに求めていたのは、
海外に住みながら生涯私の言葉である日本語で
子供たちと語り合う事なんです。
ほんと、これに尽きるんです。
自己中心と言われても、
っぱり子供たちとは日本語で話したい。。。ダメですかね。

子供たちが小さいときは 何をどうしたらよいか分からず、
とりあえず日本語=文字学習だと
がむしゃらに こくご教育をしてました。
でもやっぱり、お互いに限界がありました。
思春期になると、なぜ日常で使わないのに漢字覚えるの?覚えにくいよ。

学習を止めたら語学力が落ちるのではという恐怖も拭えませんでした。
でも 子どもから 日本語が嫌いと宣言される方がもっと怖かったです。

楽しいと思える日本語ツールは何か、、、。

以前 「漫画から日本語」というタイトルでブログをアップしたことがあります。
全て 知人から譲って頂いたのですが、それを読機に我が家は漫画喫茶に。
子供たちは習うでもなく、どんどん読める漢字を増やしていったんです。
お兄ちゃんKは、坂本龍馬の一生を描いた ”おーい竜馬” にドはまり。
江戸末期の歴史にも詳しくなり 書けはしないけど 
脱藩、土佐藩、長州藩、薩摩藩、大政奉還
なんて漢字が読めちゃうようになりました。

お兄ちゃんKとは ドラマ”仁”や”龍馬伝”、一緒に観ました!
どんどん詳しくなっていくお兄ちゃんKに追いつくべく私も調べたり。
司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」 面白かったです。

で、いつの間にか 龍馬ファンになってましたー!

一時帰国でたまたま行けた 坂本龍馬没後150年記念
印象的でしたねぇ。 他にも暗殺時に血しぶきの飛んだ掛け軸や、龍馬の愛刀、直筆の手紙、有名な立ち姿の写真もありました。
百聞は一見に如かず(←好きです、この言葉)
実物を見るのは やっぱりいいですね。

お兄ちゃんKは バンコクの本屋さんや日本の本屋さんへ行くと決まって歴史コーナーへ
行くようになり、これを読みたい、と 自ら選ぶようにまで成長。

自分が楽しいと思える日本語から学び、日本、日本語の世界が広がるっている今現在です。

今日はこれくらいにして、明日はMちゃんの事(好きな日本語の世界)書きます。

サヨナラ Aちゃん

2012年02月27日 | ファミリーメンバー記録


お家の事情で義妹の親友の長女Aちゃん(タイ人)が

この家に引っ越してきた去年10月が懐かしい。

もう半年経つのかぁ 早いなぁ。


ここのウチに、Aちゃんはいつも遊びに来たり、お泊まりもしていたし、

ウチの子らと同じ幼稚園なので、一緒に住み始めると分かった時も さほど驚きはなかったようです。

ええ、ええ 私は大いに驚きましたよ

チャイヤプーム県からタイ南部への引っ越しを目前に、

Aちゃんと過ごした日々を振り返ると 大変だった思い出より、お腹を抱えて笑ったり

一緒にご飯を作ったり、公園を走り回ったり、の方が圧倒的に多く思いだされます。


息子のKや娘Mにとっても ネイティブのタイ人のAちゃんが一緒にいることで

ぐんとタイ語力が上がりましたし。

6,5,4歳の真ん中のAちゃんは いつも末っ子Mのお姉さん役。

は とかく日本語の文法語順でタイ語の単語を並べ話すことが多いのですが、

Aちゃんは茶化すことなくそのミスを直してくれてました。

そして 説明の大好きなお兄ちゃんKのまどろっこしいタイ語や、ほぼオタク化している恐竜ネタ

うんうん、と流さずに聞いてくれてました。

そんなAちゃんだって このウチへ来てから日本語をちょこちょこ覚え始めました。

「~ください」は 名詞を入れ替えて自由に使いこなせるようになり、

私の話す日本語も 日常的な事(歯みがきして、お手洗いは?靴はいて、カバン持って、早く などは、完全に耳慣れ&マスター

最近では、KとMの会話や 私たち3人日本語オンリーの会話を聞きながら

タイ語で受け答えをするという ものすごいスキルまで身につけました。

ホント これにはびっくりです。

どうしてタイ語に訳してないのにわかるの?!には、


「分かる単語が1つ2つあったから たぶん こうだろうな~と思って」
ですって。


賢い子です ウチの長女Aちゃんは。



そして 自然と同じお菓子、文具、オモチャが増える我が家。

基本ルールは それぞれ名前を明記すること。(名無しさんのものは誰が使っても文句は言えない)

これはたまらんっと 子供たちは 家に着くと 我先にとマジックで名前を書くようになりました。

これは 末っ子Mにとって、名前を覚えるのに効果的でした。

自分の名前をタイ語、日本語で書いておかなければ、お菓子を奪われてしまうわけですから。

そして、Aちゃんから KやMが自分のタイ語名を読めないかもしれないからと

カタカナを教えてほしいと頼まれました。

必要に迫られると 子供でもあっという間に覚えてしまうんですね。

10回ほどカタカナ3文字の自分の名前を練習したAちゃん

以来 忘れることなくカタカナで自分の名前を書いてます。



ついこの前のエピソード:

とお兄ちゃんKは家の中にいたとき、AちゃんとMの何やら

言い合う声が聞こえてきました。


「สวย(スワイ)」(かわいい)

Aちゃん「 ไม่สวย(マイスワイ)」(かわいくない)

「สวย !」 (かわいいー!)

Aちゃん「ไม่สวย!」 (かわいくなーい!)

「สวย !!」 (かわいいってばー!!!)

Aちゃん「ไม่สวย!!」(かわいくないってばー!!!)



と、どんどん語気が荒くなってくるのが聞こえました。

口喧嘩もいつものことなので放っておきました。

Aちゃんは、Mと逆の事をいって言葉遊びを楽しんでいたようですが

は自分の物を貶されたと感じたのか 声がマックスになったとき

Aちゃんの“うぎゃっ~~~~~~ん”という雄叫びが・・・。


はあ~、Mめぇ~ やっちゃったな・・・。


同時に滅多に仲裁に入らないおじいちゃんがMを諭す声も聞こえ

私は外へMをとっちめに行きました。

かっとなったMは 思わず Aちゃんのホッぺを ぐきゅ~っと思い切り

つねったようです。


「喧嘩の後のごめんなさい」が 大の苦手なMは、誤る本人に会う前に 対私、対物、小声から普通のトーン

練習してからでないと 面と向かって謝れないタイプ。

結局 あれやこれやと30分くらいかけた私ですが、いじけたAちゃんを探し

「ごめんね」で喧嘩終了。

す、すごい、ホッぺ 真っ赤よAちゃん。痛かったよねとなでなで)

その後は またきゃっきゃと楽しく遊んでおりました。

そして ふと見つけたコレ

と30分くらい謝る練習をしていた間 Aちゃんが描いたと思われるホワイトボードを発見。





Aちゃんもちょっと言い過ぎたと、思ったのかな仲直りの品のつもりで描いたみたいです。

3人とも大好きな小さい絵本「おばけのバーバパパ」

Aちゃんは、その表紙の日本語を一生懸命真似して書いてくれてました。

習ったこともない文字を相手のために書いていた姿を想うと・・・

最高に胸キュンです。

とっておきの「おば(け:抜けちゃってる)のバーバパパ」でした。

隣には、Mが覚えるように部屋中に貼り付けたMのタイ語名の紙を見て写したみたいです。

優しいAちゃん


とにもかくにも、上手く 3人が影響し合って伸びた半年でした。

底抜けに明るく、起きた瞬間からおしゃべりをしているAちゃん

これからも、おじいちゃんおばあちゃんに笑顔を振りまき続けてね。

今週末には、南部スラタニー県へ引っ越しがあり、最後の日には

涙のお別れになるなぁと思っていたら、Aちゃんママとパパ、

義妹も休みを取り、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に、

南部まで旅をしながら同行してくれるというではありませんか。


総勢11人っ
 陸路1000キロの楽しい旅になりそうです。






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もう一人の子供

2011年10月18日 | ファミリーメンバー記録

子供は2人でした。

息子と娘。KとM



しかし・・・

つい先日のこと


義妹の大親友であるKちゃん、どうやらご主人の家族と

揉めたらしく、今までお義母さんに預けていた

娘のAちゃん4歳を連れ、ここへ引っ越して来た。


ウチ(←タイ東北部にあるオットの実家)で小学校6年生まで

引き取ることになったのだ。



他人と身内の線引きのゆる~いタイは

こういったことがよくあるようで・・・でもあまりの

突然のことにビックリはした。

子供が一人増えるわけですからねぇ。


Kちゃんと私も長い付き合いだ。

このウチに我々が来てからも 家族で遊びにくることも遊びに行くことも多い。

とMにとっての幼馴染=Aちゃんになる。

歳もちょうど息子と娘の間にすっぽりと入る


年少、年中、年長と キレ~に歳子。


3人兄妹ができあがった。

とAとM



学校はもともと一緒だけど、これからはもっと一緒だ。


我々家族は 来年4月にこのウチを去り

オットのいるスラタニー県へ引っ越してしまうから

義父母にとってはAちゃんは 養子同様の存在。




そして KとAちゃんとMの遊びを観察していると。


とM二人で遊ぶ時は日本語だったが、

Aちゃんが遊びに混じることにより

スイッチが入ったようにタイ語に切り替わっていた


学校でお友達と遊ぶときと同じ状態なのかぁ。




良い方に考えれば タイ語上達だが、


しかし・・・

今までより日本語が減る

のではないかぃ。





今まで通り には毎日

30分程度 ”日本語の読み書き時間”をとるつもりでいる。



さてAちゃんのメニューは何をしようか?・・・。

とMだけがして 

自分が何もしないというのは イヤだろうから 聞いてみた。





すると 答えは意外や意外



おばさんが教えてくれるなら 日本語


だそうな。


よっしゃっ

決定です

幼稚園の宿題をみるついでに ちょこちょこ日本語を教えちゃおぅ。


今までも動物の名前や、ありがと、ごめんね、やだ、ください なんかは理解していた耳のいい


やMがしゃべる日本語で気になると


「OOって どういう意味?」とか


「OOは 日本語でなんていうの?」と聞くAちゃんだった。



そうか、別に日本語が減ると思わずとも、

Aちゃん丸ごと 日本語日常会話でもいいじゃないか。


そうだ そうだ、私とて タイ語はそんなに得意でない。


疲れて Aちゃんとの簡単なタイ語のやり取りを

日本語で返す時だってある。


でも そんな時 Aちゃんは聞き返すことなく 作業が進む。


子供って柔軟



あまり気にせず 今まで通り 日本語を使うことにした。


取りあえず 3人の成長を取りあえず 見守りたい。




他人の子が突然一緒に暮らすことになるなんて 

日本だと稀なことだけど

ここはタイ。

これもタイ式。

助け合い。

そして お互い何かしら得るものがあるだろう。



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ファミリー紹介

2011年09月26日 | ファミリーメンバー記録

タイ人夫

タイ人夫は日本留学経験が6年半ということもあり、

私との会話は出会った時から日本語。

(今では読みはあやしいものだが、日常会話は取りあえず問題ない?と思う。)


だからといって、通じると思って言うギャグは通じないことが多く、

ギャグの説明をしなくてはいけない時は哀しい。

言いたいことをオブラートに包んだまどろっこしい言い方や、以心伝心などは一切期待できない。

育児方針としては、母親の私とは完全日本語、父親とはタイ語を使用するように決定。

でも 日本語で会話する私と夫の姿を見ている子供達は時々 夫にも日本語を使用する。

そんなときは タイ語で返したり色々。あまり力まず 自然がモットー。


子供らが タイの現地校へ通いだした時点で、

一歩外へ出ればタイ語になるわけだからあまり厳しくここではタイ語を!と強要はしないようにした。

私としては、今後 タイ語環境に浸かりながら、

いかにして子供達の中に、“日本語”を残せるかがこれからの課題。


長男”お兄ちゃん”K。

2005年6月生まれのお兄ちゃん。

生まれた時から、あまり手のかからない(泣くこともしない)子で、一人の世界の好きな不思議クンだった。

2歳を過ぎたあたりから、それは彼の個性になり、彼独特のモードで自分の世界を広げながら現在成長中。

当時 タイの田舎で子育てをしていたため、積極的に生の日本語を聞く機会に恵まれず、Kの言葉は遅かった。

2歳3カ月のとき、妹Mが生まれ忙しかった私は Kをタイ現地校のナーサリーに通わせた。

が、結果 いきなりの妹出現と、タイ語環境に戸惑い、言いたいことがスムーズに言えず、

初めの言葉を何度もいってしまう吃音がでてしまった。

せっかく半年通ったナーサリーで定着したタイ語も、

その後2歳9カ月から年少を終える日本生活2年間で完全にゼロになる。

そして、日本へ行ったばかりの時や、日本の幼稚園へ通いだしたとき、

2010年4月にタイへ戻った時と、

環境、言葉の変化にぶつかる度 彼の吃音は2~3カ月ほど続いた。


幸い 現在タイの幼稚園年長さんを半分終えたところだが、吃音の悩みは一切ない。


妹と違い新しい“言葉”の意味1つ1つに慎重な彼は、

タイに戻ってきてからタイ語習得にかなり時間がかかる。

彼なりの方法で覚え、今はタイの田舎で元気に園ライフを送っている。



長女M。

2007年9月生まれの食いしん坊で活発な女の子。

生後6か月まではタイで育ち、それから2歳9カ月まで日本で過ごしたので、

彼女にとっての初めての言葉は日本語だった。

同じ家に 甥っ子や姪っ子もいたので 

毎日シャワーのごとく日本語を浴び、メキメキと言葉を覚えていった。

「さ行」が「た行」になってしまったりしたが、コミュニケーションには問題なかった。

耳から入った言葉を 意味はさて置きすぐに使うこともKとの違い。



今年2011年6月から、お兄ちゃんと同じ幼稚園(年少さん)に通いだした。

担任の先生には Mとのタイ語はゆっくりめにとお願いしていたが、

まったく問題がなかったようで、今ではお友達との会話、

先生との会話はネイティブと同じ理解力があるようだ。



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うちの事情&ファミリーメンバー

お兄ちゃんKは2014年小学3年生、Mちゃんは新一年生になりました。 2008-2010年を日本で過ごし、その後タイの 東北チャイヤプーム県のパパの実家で、じいじ&ばあばに甘えっぱなしの2年間暮らしU+27A12012年3月から南部スラタニー県(パパの勤務先)で家族4人暮らしがスタート。 K&Mのタイ語力は目覚しいほどにアップ。現在 兄妹間は どちらかが日本語で話せば日本語に、タイ語で話せばタイ語に という言語スタイル。