私感・雑感

平和、平穏。

安全、安心。

でもそれらを脅かすものは許さない。

見るということ……

2009年05月15日 | 日記

私の好きなものは……微妙にキラキラしたもの。子ども向けおもちゃの眼にはめられているようなダイヤのような細工。磨かれた貝細工(象眼細工みたいなもの、あるいはインレイ)。星や月の光。金属光沢。電球色。ブラウン管の画素。印刷物の点(ドット)、艶のあるもの(リンゴの表面に白い粉があるけど、ついつい磨きたくなってしまう)。
。シャボン玉の表面の虹のような色変化。タマムシなどのような、見る角度によって色が変わるもの。万華鏡。磨かれた鏡やガラス……。
初代の眼鏡はガラスレンズだったが、私がいつも拭いていたためか、微細なキズが多々入ってしまい、それがために表面の加工が剥離したかのように見えた。

嫌いなものは……太陽光線の眩しさ、反射光、蛍光灯でも青味のある光、対向車のライト…たとえダウンビームであっても。強烈な閃光。

上に書いた得手不得手に関連があるかどうかは定かではないが、私の色の見え方は他の多くの人とは少し異なる。
小3か小4の頃に初めて知った。

どうやら、他の人よりも若干青系統や緑系統のような、寒色系の色を感じやすいようだ。そのかわり、暖色系つまり赤やピンク、橙……などには少し鈍い様子。

でも信号の色もちゃんと分かるし、日常生活で不便を感じたことは殆どない。

少しだけ感じたことで覚えているのは……社会科の副教材(歴史地図や歴史年表)なんかに、例えばゲルマン民族の大移動時の各国の領土が色分けされているとしようか、その色合いがパステルカラーでしかも微妙な中間色のときに、少し判別にまごついた。
あるいは例えば折れ線グラフが何本もあって、それらが薄い色でしかも中間色を多用していると……見分けがつきにくかったな。

今、新緑の時期が、つまり山々が新しい芽吹きを迎えて色が変わるころが一番好きなのはおそらくそのせいかも知れない。
昔競馬場によく行ったけど、芝の緑の鮮やかさに驚いていたが、おそらく他の多くの人よりも敏感だったんだろう。

10年ほど前かな、たまたま出張先で滞在していた宿の近くに「色覚補正眼鏡」の無料体験コーナーなるものがあり、夕食前にフラッと立寄ってみた。
数十分かけて微妙な調整を行なって、それで実際の、他の多くの人と同じ色合いの世界を……まだ明るい時間帯、日没前、初体験してみた。

「え~??何これ!!」

それまで私が感じていた世界が一瞬にして……そう、赤とかピンクが強くなって……気分が高揚、というか、興奮……いやいや、官能的に感じた。はっきり言って……Hな気分になってしまうんだよな……。
興奮と戸惑いと、そしてまごつきと……それらが混ざり合ったような、不思議な感覚に襲われた。

結局その眼鏡は私に使用されることはなかった。当時かなり高価なものだったというのもあるが、それよりもむしろ、それまで生きてきた色味の世界を捨て去って、超官能的な世界に引っ越すということが、逆の意味での勃起障害を、つまり「常にビンビン」状態を招くことになりはしないかという心配が大きかったためでもある。
それでなくても短気でイラチでせっかちな面もある私が、常に性的昂奮状態に置かれることが心身の健康上良くないと判断して、従来通りの色味の世界で生きていくことを選択した。

最近は色々な印刷物でもあるいはウェブサイトでも、ユニバーサルデザインというか、ユニバーサルカラーということで、私のような見え方でも分かりやすい色のものが増えてきたように思う。喜ばしいことだ。

ここで私は、他の多くの人と色の感じ方が違う、と書いた。しかし、よく考えてみると、本当は人の数だけ色の見え方ってあるようにも思う。ある友だちと話していてそういう流れになったというのもあるけれども、……「同じ見え方」と「違う見え方」の間の境界だってはっきりしないし、スペクトラム(連続体)あるいは程度の問題、PC用語で言えばグラデーションみたいなものなんじゃないか、って思う。他の人に乗り移ることなんてできっこないんで、確めようがないけど。

色の感覚で思い出した。視たものを表現すること。
なんで思い出したかというと、色を見る→色の豊かなものを見る→絵画を見る→絵を描くのが好きだったこと、というリンクで飛んできた次第だ。

色味においては他の多くの人とは違う世界に住んでいるのだが、描写においても若干クセがあって、かなり細部にまでこだわってしまう質だった。

視た感覚と表現は別物かもしれない。
絵画表現において、色合いに対する関心は形の正確さに対する関心より低かったのかもしれない。

子どものとき、小1のときに、アサガオを学校で育てていたんだが、夏休み期間中には各々持ち帰り、その観察絵日記を描く(書く)のが宿題の1つになった。
ツルの巻き方や葉の形、つぼみの巻き方や開花した様子、これらはまあよしとしよう。
さすがに植木鉢内の土の砂や泥、礫(れき)、そういった粒子の一つひとつまでは描くことができなかったが、観察対象であるアサガオのつぼみが何重巻きか、あるいは葉の葉脈の分岐の様子、開花した花の雄しべの花粉が雌しべに乗っかっている様子、花弁の根元、がくの部分から花弁の先端に向けて放射状に伸びる筋(呼び方は分からない)まで描こうとしていた。
しかしその一方で、結構面倒くさがりなのも事実で、翌年はヒマワリだったが、単一の花ではなく、多くの花が集まっていて、一つひとつをリアルに描こうとすると……とてつもない労力を要することに気付いて、やんぴ。この頃には性格の白黒がはっきりしていたんだな、きっと。

細かいところに眼が行くと、えてして大きなところを見落としやすいもので、私の描く絵はいつも不恰好だった。そう、ちょっとアンバランス。全体像になると形が少し崩れてしまうのだ。

よく、「木を見て森を見ず」って言うよね。まさにそれ……って言うか、むしろ「葉っぱを見て森を見ず」みたいな面もあったように思う。自分が木を見て森を見ないものだから、近年は「木も見て森も見て」にしようと心がけてはいるんだけど、なかなかそう簡単なことではないな。

話を戻すと、実物にどこまで近づけることができるか、それが私にとって「絵を描く」ことの目標だったし、鉛筆デッサンでも細部の陰影なんかの質感をかなり近づける技法の初歩に気付いたときには嬉しかった。

全体のバランス、恰好良さまで注意して描くテクニックの初歩は……小学校高学年か中学生の頃にようやくできたような気がする。おそらくその頃、日本の地理や地域の産業を学ぶなかで、白地図に様々な……山地や山脈、平野、河川、あるいは分布(人口や産業、高速道路、鉄道路線など)を自らの手で記入するときに、都道府県の形や位置関係、あるいは大きさや長さ、といった、飽くまでも私にとってだが、どちらかといえば巨視的に視ないといけない箇所が多く出てきて、それで位置関係に少しは気をつけるようになったのかもしれない。
まあ、これは私が方向感覚が薄いのと関係しているな。図形的認識が弱いんだよね。だから今でも大まかな図とか絵、イラスト、略画っていうのは……そんなに得意ではない。サラッと描けと言われたら描けるけど、細密描写の方が得意だし好きだ(文が長いのもそのあたりと関係しているのかもね)。
おそらく当時の社会科のその訓練のためか、南西諸島と伊豆・小笠原諸島を除けば日本列島と47都道府県の形は今でも伊能図と同じくらい……かな、何も見ないでスラスラッと線描できる。でも実はこれ、みんなできると思っていたんだよね、10年位前まで。その頃勤めていた塾でサササっとホワイトボードにそれを書いたらみんなビックリしていたから、「え??なんで??」と思っていた。ちょっとした自慢の1つにしたろ、思ったのはその頃かな。

小さい部分に注意を払いがちだったからか、結構いい加減な姿勢で……寝そべって、本、漫画本、雑誌や新聞を読むことも多かったかな。宿題は机を使っていたけど。
そのせいなのか、視力が良かったのは小2くらいまでで、その後は近視がどんどん進んで行き、高学年時には仮性近視が本当の近視になってしまい、中学校入学と同時に眼鏡をかけ始めた。斜視だから片一方の眼が極端に悪く、もう片一方はさほどでもないんだが、空間認識が少し苦手なのは、あまり両眼視して来なかったせいかもしれない。
その後も近視は一層進行し、高校卒業の頃にはコンタクトレンズの世話になった。
大学卒業時に1度レンズの度を強くし、さらに数年後にももっと強くしたが……近視の度が強すぎて、コンタクトレンズですらモノが小さく見えてしまうようになり……一瞬老眼の始まりかと思ったけど……コンタクトは使われなくなった。電話帳とか郵便番号簿とかを見るのに著しく不便だったから、今では専ら眼鏡をかけ、小さな活字などを読むときには必要に応じて外し、版画家の棟方志功みたいな至近距離で見ている。ちなみにPCで色んなページを見るときの文字の大きさは最大。

しかし初めて眼鏡をかけたときは……レンズの辺縁部では微妙にモノの形が歪むんだよな、それに戸惑っていて、モノの輪郭がシャープに見えるのはいいんだけど、なんかこう……足もとがおぼつかないような……ふわふわしたような感じだった。モノが小さく見えることで距離感を把握するのに若干困っていたのかもしれないけれど。

大学卒業時のコンタクトレンズの調整では……長年放置していたからか、随分と視界がクリアになったのに驚いていた。その直後の桜の季節に、10m以上遠くからでもその花弁の一片ひとひらまでがくっきりと見えて、大変嬉しかった。足もとのふわふわ感はなかった。

眼が良いとは決して言えない、またかつては今で言うところの「花粉症」で眼のことではいつも苦しんでいた私でも、不思議なことに記憶を再生するときは大抵が画面で出てくるように思う。頭の中にパッ!パッ!と、そのシーンが浮かび、後に会話や音、匂いなどが引き出される、という感じのことが多いような気がする。美味しかったり不味かったりして思い出したり、良い香りや芳ばしい香り、あるいは素晴らしいメロディ、不快音や悪臭……よりも、見たシーンがファイル名になっている割合が少し高いのかも知れない。

視力が悪いから夜寝るときには豆球を点けないと落ち着かない。だからグループ旅行や合宿などで相部屋すると、はっきり言って室内を歩くのが恐い。誰かを踏んだり蹴飛ばしたりしそうだから。

小さいものに対する興味は、小学校高学年だったか、顕微鏡を親に買ってもらったことで、ますます高まった。最初に私のプレパラートに乗ったのは……多分何かの植物の花粉だったと思う。いや、ジャガイモのデンプンだったかも知れない。それとも玉葱の薄皮か……これははっきりとは覚えてはいない。それ以外では……身近なもの、例えばティッシュペーパー、チューインガムの包装紙、毛髪、木屑、ホコリ、食塩水の乾いた跡、……。
肉眼でどこまで小さなものが見えるのだろうか、ということに関心を持ち、かなりの至近距離でモノを見つめるクセがついていたのも近眼と無関係ではあるまい。いっとき、学校に拡大鏡を持参して良い期間があったんだけども、その時期以外でも持って行っていた時期があって、色んなものを拡大して見た記憶もある。壁のヒビ、セーターの編目、硯(すずり)の上で摺られた墨液、黒板消しの表面、チョークの粉、栽培している植物(確かジャガイモかサツマイモだったと思うが)の芽、ヒマワリの葉の裏、ブロンズ粘土の磨かれた表面、牛乳パックの端の紙の圧着部、教科書に載っている写真やグラフの色版の重なり具合……。

小さいものへの関心は今でも続いている。昔ほど強くはないように思うが。
大きくものを捉えるのがあまり得意ではないのも今も続いている。

これらの私の特性は、他の色んなところと関連しているのもまた事実だろう。
詳細はまた後日に……。


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