Cafeの皆さん、お久し振りです。
とりあえず、元気にしています。
体も、下半身も……*(ニヤ)*ね(笑)
あ*(汗)*いえいえここからマジです。
でも……どうもここのところ、実はちょっと気持ちの方の調子がよろしくない。
色々あってちょっと気力がダウンしてるみたいだ。
調子が悪いのは、僕自身が暑さに弱く、涼しい日々が続いたあとに気温が上がって少々バテ気味ということで、精神的な面のダメージも……大きいのだが。
もうひとつ、僕には大きな弱点がある。
よく色んな人から「優しい人だね」って言われるのは……褒めてもらえるのはありがたいんだけど……実はその裏返しで、どうしても他人のことを必要以上に気にし過ぎるふしがある。
心配性……な俺。
よく親から、あるいは人からも、「ひとの心配ばっかりしないで自分の心配したら?」って言われて育ってきたけど、確かに僕は自分のことは放ったらかしで人の心配をするたちだ。
だから、人が困っているのを見ると、不思議かも知れないけど、我が身が痛い。
人が悲しんでいるのを知ると、自分も悲しくなる。
人が喜んでいるのを見ると、自分も嬉しくなる。
人の心配をするのはある程度まではよしとしよう。
飽くまでも「ある程度」だ。
……というのは、どうも自分の「ゼロ百」思考は……こんなところにも出てきていて、感情移入が激しいというのか……完全に人の世界に没入してしまうことがしばしばあるからだ。
じゃあ、人の心配をしないようにすれば、とも思うんだけども、俺にはそれができない。
そうしようとすると、一切他人に関心を払わない、冷徹な人間になりそうで怖い。
調整能力のない俺。
ある意味で、自我が弱いのかも知れない。
気分が落ち込みそうになったり、あるいはハイになりそうになったとき、それを無理やり落ち着かせようと……試みるのは、結構エネルギーが要る。
……というか、消耗する。
そんなときにふと気が付いた。自分なりの省エネ?対処法(仮説)に。
但し過去何度も自殺願望に苦しめられた人はあまり参考にしない方がいいだろう。
それは……悲しかったらとことんまで悲しんだらいい。泣きたきゃ泣く。笑いたきゃ笑う。
落ち込むところまで落ち込む、あるいは盛り上がったらとことん盛り上がる……。
自分の気持ちに正面から向き合って、素直に自分の感情を認めてやることだ。
勿論一般社会で迷惑をかけない、というのが大前提なのは言うまでもないが。
ぶっちゃけ、こっちの方が楽といえば楽だ。
どんなに気分が上々でも、あるいはどん底まで落ちても、誰でも一定のキャパというか……限界点って、あると思うんだよな。
僕の場合、自殺願望はないし、どれだけ気分がハイになっても、躁状態になりそうならブレーキをかけることができる。
折角だからそのブレーキを使わせてもらって、つまり気分や感情の波に任せるということや、ときには溺れてもいいということも……これもありかも知れない。
心理学や精神医学の専門家からすれば必ずしも王道ではないかも知れないが、手っ取り早く見つかったのはこれだった。だから飽くまでも自分の中での仮説に過ぎないと括弧入りさせているのだが……。
それだけじゃない。
自分の中に、ブレーキ役としての、つまり「疑問を投げかける役目」としての「もう1人の自分」を造るほうが、「心配性な自分」をどうにかするよりも簡単にできそうだ。
神経質で心配性な自分、それは裏を返せば「人に優しくなれる自分」と肯定的にとらえて、こことも上手に付き合いながら、過度に心配性にならないようにブレーキをかける自分、これも少しづつ育てていけたらいいな、って思っている。
そうやって……少しづつ、自分なりの、確りした「ぶれない主軸」が大きく太くなっていけばいいな、って……思っている。
振り回されすぎない俺……に、一歩一歩、着実に近づいている感じがしてきてはいる。
でも自分というものに振り回されそうに……なりそうな気もしないわけではない。
そこんところの……どストライクなところに投げ切れていない感触もなきにしもあらずなんだが……。強いて言えばストライクゾーンぎりぎりな感じも……ほんのちょっと……してる。
でも今は気分はかなりすっきりしているから、これで良いのかもね。
自戒の念を込めて、ちょっと綴ってみた。