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尾幌原野開拓の顕彰 「村林君紀功碑」170518

2021年09月05日 10時38分58秒 | 記録
 尾幌原野開拓の顕彰 「村林君紀功碑」170518。厚岸町尾幌322番地 大厚食堂隣接地。

(碑文)
(篆額)村林君紀功碑
君名謙吉、安政五年生於、江戸幕府麾下之士也.弱冠受業於岡鹿門・草場舩山等諸儒者.又修法律學、資性温恭而俊敏、其接人也.如春風、其臨事似電霆.少荘、歴遊四方.致力于政界盡瘁.多年具嘗酸辛.明治三十二年至北海道、蹶然挺身.欲開發尾幌原野、濺心血.而當難局、推至誠而統人心拮据經營二十餘年、終完成一大農場、士民皆頼其惠.其間又選厚岸町長、治績學矣.大正六年十一月得病不起.
享年六十、遠近痛悼、村葬具禮送其棺.今次、欲立石録君行事傳于後世.余之叙、其梗概繋、以銘銘曰.
  真摯奉公 精誠致躬 成務開物 財足歳豊
  一片桓碑 高摩雲天 洋洋厥徳 千古可傳
    昭和三年六月                元衆議院議員  平島 松尾 撰
                          文学博士    小西 重直 篆額
                                  加藤 旭嶺 書(裏面)
                             尾幌畜産改良會          
                             沖万別畜産奨励會 建之
                             彫刻士  石工 小山藤治郎
(註1)平島松尾 ひらしま-まつお 1855*-1939 
幕末-大正時代の武士,政治家。嘉永(かえい)7年11月17日生まれ。陸奥(むつ)二本松藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後は自由民権運動で活躍し,県令三島通庸の弾圧による福島事件で河野広中らとともに入獄。明治27年衆議院議員(当選7回,憲政会)。昭和14年8月13日死去。86歳。名は正瞭。号は柳渓。
(註2)加藤 旭嶺 かとう きょくれい 1870-1960年
山形の人。名は登太郎、字は升卿、号を旭嶺・坦齋・翠竹などと称した。漢学を後藤種親、漢詩を柴田節堂に学び、中林梧竹の門弟を名乗った。各地の学校に奉職して書道教育に従事し、昭和三年には朝鮮総督府より第七回朝鮮美術展審査員を委嘱され、また平安書道会の創立に参加して、その幹事や理事を歴任した。また、戦前、古梅園の京都支店が出版した『和漢朗詠集抄』(昭和9年)、『集字李靖碑(王知敬書)』(昭和13年)の両書の編輯を担当した。
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