先日、割烹のような小料理屋のような、そんな場所で呑む機会があった。まずはビールを、ということで注文すると、グラスではなく焼き物の酒器を供された。こういう場所ではよくあることだ。釉薬のかかっていない、ザラリとした肌触りのやつ。素焼きと言えばいいのかな(陶磁器に詳しくないのでよくわからん)。
「焼き締めのビアマグは、表面に気孔があってビールの泡がこわれません。なので、クリーミーな泡が生じてとてもおいしくなります」
同行者が「なんでこういう湯呑みたいなやつで?」と聞いたので、おかみさんが丁寧に説明をしてくれている。僕はこういう話はよく聞くので耳タコなのだが、知ったかぶりをせず横でハイハイと聞いていた。その理屈はわかりますよ。ただ、マグというのは取っ手がついている円筒形のやつのことじゃないのかな、といつも疑問に思ってしまう。これは形状的には取っ手もなく、尻すぼみの形でマグと言うべきではない、といつも思うのだが。
それはともかく、僕はこの焼き物のビールコップが残念ながら好きではないのだ。
味というものは、視覚というものが大きく関わるものだということをこの件ではいつも思う。普段ガラスの透明なコップないしはジョッキでビールを飲み慣れている僕などは、やはりビールの状況が側面から見えていないとどうも落ち着かない。素焼きの器は当然透明ではないので、ビールは上からしか見えない。さすれば、見えるのは泡だけだ。
目を瞑って、コップに注いだものと素焼きのやつと飲み比べたならば、おそらく焼き物に注いだやつの方が美味いのだろう。しかしそんな利き酒のようなことをしてビールを飲むことなどしない。
もちろんビールの本場西欧では、陶器のビアジョッキがあることも知っているし、蓋付きのものも見たことがある。しかし、我々は歴史浅き日本人であり、ビールは透明のコップで飲むことが刷り込まれている。習慣というものは恐ろしくまた力強い。上から見て泡だけが見えている状態はなんとも頼りなく、別の液体のようにさえ思えてしまう。どうしても検尿を思い出すし(笑)。
さらに、これが生ビールでサーバーから注がれて供せられるのであればまだ良しとしよう(本当は良くはないのだが)。この器を出されて、ビール大瓶一本をドンと置かれた場合、どうしたって日本人の因習としては「注ぎ合い」をせねばならない。そうすれば、先方のグラスが空いているのかが分かりにくく、そしてうまく注ぎにくい。透明であれば、7:3の割合で泡を押さえつつ美味そうに注ぐことも出来るのだが。
ビールをグラスに注ぐ場合、やはり「注ぎ方」というものは重要であると思う。些細な事を言うようだが、巷間言われているように、最初はグラスに一気に注ぎ、泡が盛大に立った時点で少し待ち、その泡が少しおさまって細かな泡ばかりが残ったところを見計らい、今度はその泡の層を持ち上げるようにゆっくり注ぐ。細かな泡の層がグラスの縁から盛り上がりなおかつ泡が消えていかず、ちょうど泡とビールの割合が7:3になるくらい。これを一気にぐいっとやってプハー、が僕の思うビールの正しい飲み方であり、現に美味い。
この作業は実に簡単なことなのだが、それはビールグラスが透明であってこそである。一目瞭然、見ているから誰にだって出来るのだ。これを透明でない器で勘に頼って注ぐとなれば急に難しくなる。いくら素焼きで泡がクリーミーになる、としてもである。
そのうえ視覚の問題である。ビールを飲む時にグラスを持ち上げる、その時に視界に入る黄金色の艶と白い泡とのコントラストが、さあビールを飲んでプハーとやるぞ、の気持ちを一瞬でも盛り上げるのではないか。
焼き物のビールグラスなど「こけおどし」であるなどとは言うまい。店側も、美味いビールを飲んで欲しいという気持ちから供しているのだろう(と、一応好意的解釈をする)。しかし視覚を封じられては、ビールを飲む醍醐味が半減してしまうように思ってしまうのだ。闇鍋と同じ、とまでは言わないが。
僕の見方が必ずしも正しいというわけではないことは重々承知している。現に同行者は「やはり器にはこだわらないといけないな。今日はビールが美味い」とのたもうている。人によりけりだ。でも僕は透き通ったグラスが嬉しい。せめて選ばせてくれれば、とも思うが、「こちらの備前焼は泡がクリーミーになります。こちらはただのコップです。どちらがお好みで?」と言われて、一人呑みの場合を除いて、ただのコップの方を下さい、とはなかなか言いにくい。願わくば、こういう「こだわりを持つ」呑み屋が増殖しないことを望むだけである。
ビールは、缶ビールであっても僕は大抵はコップに注いで飲むようにしている。外食時は当然だが(缶ビールをそのまま出したり瓶をラッパ飲みせよ、などという店は一部立呑み処などを除けば珍しい)、自宅、ないし旅行先でも一応注ぐ。例外は暑い日にコンビニやキオスクで衝動買いしてしまったときくらいである。
それは、無論その方が美味い、ということがあるが、それほど7:3に注げとか細かな泡だけを残せとかうるさいことを考えてのことではない。僕は、こんなことを書いていて何だが、実は炭酸飲料がそれほど得意ではないのだ。ノドがシュワシュワするあの感じが苦手。よく瓶のコーラのイッキ飲みなどを立て続けにやる人がいるが(渡辺正行さんはスゴいね)、僕は絶対に出来ないな。
ビールは注ぐことによって、適度に炭酸が抜け、ノドに強烈にくるシュワシュワ感を軽減する効果がある。だから僕のように軟弱な徒でもグイっと飲めるのだ。缶ビールを直接口にすれば、どうしても僕などはグビグビ飲むことが出来ない。それは誠に残念なことなので、一度注いでから飲むことにしているのである。
困るのは、旅先でのことである。ビジネスホテルに泊まって、とりあえず部屋で飲みたいときがある。外へ飲みに行けばいいのだが、疲れてちょっと部屋で思わず寝転んでしまうと一瞬寛いでしまう。街に繰り出すより先に一杯くいっとやりたい。今すぐ。そんなとき、缶ビールの自動販売機なんかは廊下などにたいてい備え付けてあったりするが、安いホテルだとグラスが無い。
どんな安宿でもお茶などの設備はまずあって、湯呑は確実にそなえつけてあるのでそれに注いだりする。ちとわびしい。また、洗面所にプラスチックのコップがあって、それで飲んだりする。さらにわびしい。これらは前述したように視覚的効果が妨げられ、しかも別に泡がクリーミーになったりはしないのだ。でも注がずにはいられない。もう少し上等のホテルにすれば良かったかなと思ったりする(と言ってルームサービスのあるようなホテルに泊まれるほどの身分ではない)。
さらに困るのは、僕はプライベートだとキャンプをしたりPキャンをしたりする。その時もビールの器で苦労する。
昔、自転車旅行をしていたときには、所持している食器はシェラカップのみだった。熱伝導に優れていて、保温性が高いのに飲み口はさほど熱くならない。そのままバーナーの火にさえかけられるシロモノだったが、これにビールを注いだらもうそれはビールでは無くなってしまうようだった。泡も立たない。飲み口が広い器はダメだ。飯茶碗にビールを注ぐ阿呆はいないだろう。この時はさすがに直飲みをせざるを得なかった。
移動手段を自転車から自動車に変えてからは、車にホーロー引きのマグを必ず積んでいるが、これは透明ではない。グラスくらいは積めるはずだが、妻が「割れたら困るわよ」と賛成しない。しかし透明の器が欲しいので、僕は事あるごとにプラスチック製のコップを物色していた。しかしなかなか大きさ的にいいのが無い。
あるとき椎名誠氏のエッセイを読んでいたら(雑誌で読んだと思うので出典を明記出来ない。ごめんなさい)、ペットボトルを半分切ってそれをグラス代わりにして飲む話が出てきた。なるほどそれだ。僕は空のボトルのラベルを剥がし、カッターナイフでちょうどいいところで切った。うむうむ。ところが大きさはいいのだが、不器用なせいか切り口がザクザクになってしまった。怪我をしても困るので、僕はヤスリをかけた。このグラスの良さは使い捨てという点だと思うのだが、ヤスリまでかけて作ったので惜しくなり、洗って今でも再利用している。我ながら阿呆だなとは思うが、当人は野趣に富んだつもりで悦に入っている。
ビアグラスには様々な種類がある。むろん生ビールにはジョッキだろうし、瓶ビールにはタンブラーが普通に供される。
ところで、上品な店に行くとグラスが小さくなる傾向がある。一口サイズと言ってもいいかも。接待用で何回も注ぐことが出来るから割烹などでは採用されているのかもしれない。でも、小さいと実際は注ぎにくいのだ。前述した二段階注ぎもしにくい。すぐに泡が立って溢れそうになり「おっとっと」となる。やはりある程度の大きさが欲しい。またグラスの背丈もある程度は欲しいので、オールドファッションドグラスなどはやはり向かない。
また、底が丸みを帯びていると泡がうまく立ちやすいのは確かで、気の利いた店ではゴブレットを出してくる。確かにビールには最適かもしれないが、ちょっと上品過ぎる気もしてしまう。そんなおしゃれな店にはあまり僕も行かないし。居酒屋専門の僕にはほぼ縁がない。
しかし、勘違いをしている店もある。チューリップ型のグラスを供されればどうも「しゃらくさい」と僕なんかは思ってしまう。泡を楽しみたい場合、やはり側面はまっすぐ垂直なのが望ましい。ピルスナーグラスというものがあって、日本のビールはチェコのピルゼン地方を発祥とするビールを範としており、その地方のスタイルであるピルスナーの名を冠したグラスで飲むのが「通」であるという説もあるが、どうもあまり僕には望ましくない。一概にピルスナーグラスと言っても種類があり定義はよく知らないが、上部と下部で太さが違うくらいなら良しとする。しかし、よく細めのメガホンをひっくり返したような形状のものがあるが、これはどうも好きではない。逆円錐形で口が広がっていると気が抜けやすい、ということもあるが、何より僕にとっては飲みにくい。あんなのはフルーツパフェに使用すればいいのではないか。もちろん好みなので僕にとっては、だが。
様々な器を供する店もある。ブランデーグラスのようなやつが出てきたことがあったが、こっちはラガービールを飲もうとしているのだ。そんなのはベルギー産の、度数も高く香りを楽しみチビチビと飲むタイプの場合に使用すればいいのであって、グイッといきたい日本のビールには不自由でしょうがない。
長靴型のなど論外である。学生の頃あれで飲んで一気に洪水の如くビールが押し寄せ、むせかえりビシャビシャに溢し往生したことがある。今でもトラウマだ。
そんなことは大した問題ではないのかもしれない。もっと大きなことは、グラスの状態だ。よく、細かな汚れが残っていたり拭きあとがあったりするとビールの泡がうまく立たない、しっかりと洗って自然乾燥させたものを使え、とは言われることだが、不自由な屋台でもなければ、今どきそんな困ったグラスを出してくることは珍しい。汚れていれば客にクレームを付けられてしまうし。
グラスやジョッキを冷やしている店はある。凍っているかのように真っ白になったグラスを供する店があるが、店側は親切でやってくれているとは思うものの、あれは必要ないな。そういう店はビールもチンチンに冷えている。ビールはノドで飲むもので「歯に沁みるからヤメロ」とは言わないが、一気に飲むとアタマがキンキンしてしまったことがある(本当に経験した)。触ると指がくっつきそうだった。結露も酷い。グラスなど普通の状態でいい。火の側に置いておいて熱くなっている、なんてのは絶対に困るが、グラスなど常温であればいいのではないか。何も冷凍庫にまで入れなくとも。
もっと困るのは、ビショビショのグラス。まあね、今どきそんなグラスをポンと置く店など珍しいとは思いますがね。かつて「餃子の○将」では、水を入れて待機させていたグラスの水をジャッと空け、ポンと置かれることがよくあった。今はもうそんなことはさすがにしていないだろうな。最近あまり行くチャンスがないので(行ってもビールを飲まないので)確認していない。念のために、僕は京都生まれで「餃子の王○」は大好きな店である。
本当は酒器全般について書こうと思っていたのだが、ビールグラスだけで話が終わってしまった。また他のものについては後日。
「焼き締めのビアマグは、表面に気孔があってビールの泡がこわれません。なので、クリーミーな泡が生じてとてもおいしくなります」
同行者が「なんでこういう湯呑みたいなやつで?」と聞いたので、おかみさんが丁寧に説明をしてくれている。僕はこういう話はよく聞くので耳タコなのだが、知ったかぶりをせず横でハイハイと聞いていた。その理屈はわかりますよ。ただ、マグというのは取っ手がついている円筒形のやつのことじゃないのかな、といつも疑問に思ってしまう。これは形状的には取っ手もなく、尻すぼみの形でマグと言うべきではない、といつも思うのだが。
それはともかく、僕はこの焼き物のビールコップが残念ながら好きではないのだ。
味というものは、視覚というものが大きく関わるものだということをこの件ではいつも思う。普段ガラスの透明なコップないしはジョッキでビールを飲み慣れている僕などは、やはりビールの状況が側面から見えていないとどうも落ち着かない。素焼きの器は当然透明ではないので、ビールは上からしか見えない。さすれば、見えるのは泡だけだ。
目を瞑って、コップに注いだものと素焼きのやつと飲み比べたならば、おそらく焼き物に注いだやつの方が美味いのだろう。しかしそんな利き酒のようなことをしてビールを飲むことなどしない。
もちろんビールの本場西欧では、陶器のビアジョッキがあることも知っているし、蓋付きのものも見たことがある。しかし、我々は歴史浅き日本人であり、ビールは透明のコップで飲むことが刷り込まれている。習慣というものは恐ろしくまた力強い。上から見て泡だけが見えている状態はなんとも頼りなく、別の液体のようにさえ思えてしまう。どうしても検尿を思い出すし(笑)。
さらに、これが生ビールでサーバーから注がれて供せられるのであればまだ良しとしよう(本当は良くはないのだが)。この器を出されて、ビール大瓶一本をドンと置かれた場合、どうしたって日本人の因習としては「注ぎ合い」をせねばならない。そうすれば、先方のグラスが空いているのかが分かりにくく、そしてうまく注ぎにくい。透明であれば、7:3の割合で泡を押さえつつ美味そうに注ぐことも出来るのだが。
ビールをグラスに注ぐ場合、やはり「注ぎ方」というものは重要であると思う。些細な事を言うようだが、巷間言われているように、最初はグラスに一気に注ぎ、泡が盛大に立った時点で少し待ち、その泡が少しおさまって細かな泡ばかりが残ったところを見計らい、今度はその泡の層を持ち上げるようにゆっくり注ぐ。細かな泡の層がグラスの縁から盛り上がりなおかつ泡が消えていかず、ちょうど泡とビールの割合が7:3になるくらい。これを一気にぐいっとやってプハー、が僕の思うビールの正しい飲み方であり、現に美味い。
この作業は実に簡単なことなのだが、それはビールグラスが透明であってこそである。一目瞭然、見ているから誰にだって出来るのだ。これを透明でない器で勘に頼って注ぐとなれば急に難しくなる。いくら素焼きで泡がクリーミーになる、としてもである。
そのうえ視覚の問題である。ビールを飲む時にグラスを持ち上げる、その時に視界に入る黄金色の艶と白い泡とのコントラストが、さあビールを飲んでプハーとやるぞ、の気持ちを一瞬でも盛り上げるのではないか。
焼き物のビールグラスなど「こけおどし」であるなどとは言うまい。店側も、美味いビールを飲んで欲しいという気持ちから供しているのだろう(と、一応好意的解釈をする)。しかし視覚を封じられては、ビールを飲む醍醐味が半減してしまうように思ってしまうのだ。闇鍋と同じ、とまでは言わないが。
僕の見方が必ずしも正しいというわけではないことは重々承知している。現に同行者は「やはり器にはこだわらないといけないな。今日はビールが美味い」とのたもうている。人によりけりだ。でも僕は透き通ったグラスが嬉しい。せめて選ばせてくれれば、とも思うが、「こちらの備前焼は泡がクリーミーになります。こちらはただのコップです。どちらがお好みで?」と言われて、一人呑みの場合を除いて、ただのコップの方を下さい、とはなかなか言いにくい。願わくば、こういう「こだわりを持つ」呑み屋が増殖しないことを望むだけである。
ビールは、缶ビールであっても僕は大抵はコップに注いで飲むようにしている。外食時は当然だが(缶ビールをそのまま出したり瓶をラッパ飲みせよ、などという店は一部立呑み処などを除けば珍しい)、自宅、ないし旅行先でも一応注ぐ。例外は暑い日にコンビニやキオスクで衝動買いしてしまったときくらいである。
それは、無論その方が美味い、ということがあるが、それほど7:3に注げとか細かな泡だけを残せとかうるさいことを考えてのことではない。僕は、こんなことを書いていて何だが、実は炭酸飲料がそれほど得意ではないのだ。ノドがシュワシュワするあの感じが苦手。よく瓶のコーラのイッキ飲みなどを立て続けにやる人がいるが(渡辺正行さんはスゴいね)、僕は絶対に出来ないな。
ビールは注ぐことによって、適度に炭酸が抜け、ノドに強烈にくるシュワシュワ感を軽減する効果がある。だから僕のように軟弱な徒でもグイっと飲めるのだ。缶ビールを直接口にすれば、どうしても僕などはグビグビ飲むことが出来ない。それは誠に残念なことなので、一度注いでから飲むことにしているのである。
困るのは、旅先でのことである。ビジネスホテルに泊まって、とりあえず部屋で飲みたいときがある。外へ飲みに行けばいいのだが、疲れてちょっと部屋で思わず寝転んでしまうと一瞬寛いでしまう。街に繰り出すより先に一杯くいっとやりたい。今すぐ。そんなとき、缶ビールの自動販売機なんかは廊下などにたいてい備え付けてあったりするが、安いホテルだとグラスが無い。
どんな安宿でもお茶などの設備はまずあって、湯呑は確実にそなえつけてあるのでそれに注いだりする。ちとわびしい。また、洗面所にプラスチックのコップがあって、それで飲んだりする。さらにわびしい。これらは前述したように視覚的効果が妨げられ、しかも別に泡がクリーミーになったりはしないのだ。でも注がずにはいられない。もう少し上等のホテルにすれば良かったかなと思ったりする(と言ってルームサービスのあるようなホテルに泊まれるほどの身分ではない)。
さらに困るのは、僕はプライベートだとキャンプをしたりPキャンをしたりする。その時もビールの器で苦労する。
昔、自転車旅行をしていたときには、所持している食器はシェラカップのみだった。熱伝導に優れていて、保温性が高いのに飲み口はさほど熱くならない。そのままバーナーの火にさえかけられるシロモノだったが、これにビールを注いだらもうそれはビールでは無くなってしまうようだった。泡も立たない。飲み口が広い器はダメだ。飯茶碗にビールを注ぐ阿呆はいないだろう。この時はさすがに直飲みをせざるを得なかった。
移動手段を自転車から自動車に変えてからは、車にホーロー引きのマグを必ず積んでいるが、これは透明ではない。グラスくらいは積めるはずだが、妻が「割れたら困るわよ」と賛成しない。しかし透明の器が欲しいので、僕は事あるごとにプラスチック製のコップを物色していた。しかしなかなか大きさ的にいいのが無い。
あるとき椎名誠氏のエッセイを読んでいたら(雑誌で読んだと思うので出典を明記出来ない。ごめんなさい)、ペットボトルを半分切ってそれをグラス代わりにして飲む話が出てきた。なるほどそれだ。僕は空のボトルのラベルを剥がし、カッターナイフでちょうどいいところで切った。うむうむ。ところが大きさはいいのだが、不器用なせいか切り口がザクザクになってしまった。怪我をしても困るので、僕はヤスリをかけた。このグラスの良さは使い捨てという点だと思うのだが、ヤスリまでかけて作ったので惜しくなり、洗って今でも再利用している。我ながら阿呆だなとは思うが、当人は野趣に富んだつもりで悦に入っている。
ビアグラスには様々な種類がある。むろん生ビールにはジョッキだろうし、瓶ビールにはタンブラーが普通に供される。
ところで、上品な店に行くとグラスが小さくなる傾向がある。一口サイズと言ってもいいかも。接待用で何回も注ぐことが出来るから割烹などでは採用されているのかもしれない。でも、小さいと実際は注ぎにくいのだ。前述した二段階注ぎもしにくい。すぐに泡が立って溢れそうになり「おっとっと」となる。やはりある程度の大きさが欲しい。またグラスの背丈もある程度は欲しいので、オールドファッションドグラスなどはやはり向かない。
また、底が丸みを帯びていると泡がうまく立ちやすいのは確かで、気の利いた店ではゴブレットを出してくる。確かにビールには最適かもしれないが、ちょっと上品過ぎる気もしてしまう。そんなおしゃれな店にはあまり僕も行かないし。居酒屋専門の僕にはほぼ縁がない。
しかし、勘違いをしている店もある。チューリップ型のグラスを供されればどうも「しゃらくさい」と僕なんかは思ってしまう。泡を楽しみたい場合、やはり側面はまっすぐ垂直なのが望ましい。ピルスナーグラスというものがあって、日本のビールはチェコのピルゼン地方を発祥とするビールを範としており、その地方のスタイルであるピルスナーの名を冠したグラスで飲むのが「通」であるという説もあるが、どうもあまり僕には望ましくない。一概にピルスナーグラスと言っても種類があり定義はよく知らないが、上部と下部で太さが違うくらいなら良しとする。しかし、よく細めのメガホンをひっくり返したような形状のものがあるが、これはどうも好きではない。逆円錐形で口が広がっていると気が抜けやすい、ということもあるが、何より僕にとっては飲みにくい。あんなのはフルーツパフェに使用すればいいのではないか。もちろん好みなので僕にとっては、だが。
様々な器を供する店もある。ブランデーグラスのようなやつが出てきたことがあったが、こっちはラガービールを飲もうとしているのだ。そんなのはベルギー産の、度数も高く香りを楽しみチビチビと飲むタイプの場合に使用すればいいのであって、グイッといきたい日本のビールには不自由でしょうがない。
長靴型のなど論外である。学生の頃あれで飲んで一気に洪水の如くビールが押し寄せ、むせかえりビシャビシャに溢し往生したことがある。今でもトラウマだ。
そんなことは大した問題ではないのかもしれない。もっと大きなことは、グラスの状態だ。よく、細かな汚れが残っていたり拭きあとがあったりするとビールの泡がうまく立たない、しっかりと洗って自然乾燥させたものを使え、とは言われることだが、不自由な屋台でもなければ、今どきそんな困ったグラスを出してくることは珍しい。汚れていれば客にクレームを付けられてしまうし。
グラスやジョッキを冷やしている店はある。凍っているかのように真っ白になったグラスを供する店があるが、店側は親切でやってくれているとは思うものの、あれは必要ないな。そういう店はビールもチンチンに冷えている。ビールはノドで飲むもので「歯に沁みるからヤメロ」とは言わないが、一気に飲むとアタマがキンキンしてしまったことがある(本当に経験した)。触ると指がくっつきそうだった。結露も酷い。グラスなど普通の状態でいい。火の側に置いておいて熱くなっている、なんてのは絶対に困るが、グラスなど常温であればいいのではないか。何も冷凍庫にまで入れなくとも。
もっと困るのは、ビショビショのグラス。まあね、今どきそんなグラスをポンと置く店など珍しいとは思いますがね。かつて「餃子の○将」では、水を入れて待機させていたグラスの水をジャッと空け、ポンと置かれることがよくあった。今はもうそんなことはさすがにしていないだろうな。最近あまり行くチャンスがないので(行ってもビールを飲まないので)確認していない。念のために、僕は京都生まれで「餃子の王○」は大好きな店である。
本当は酒器全般について書こうと思っていたのだが、ビールグラスだけで話が終わってしまった。また他のものについては後日。
是非見に来て下さい。
楽しみに待ってます。
僕は本当に不調法でガサツな人間でして、陶芸については全くのところ詳しくはないのですが、備前焼はそんな僕でもいいなと思います。土の色があたたかいのですね。
ビールを注ぐ容器としましては、あくまでも自分の好みの問題であることは強調しておりますし、利点そして異なった視点も書き加えてありますので、どうかご容赦願いたいと思っています。
後楽窯のHPにもお邪魔させていただきました。素晴らしい作品の数々に素人の僕も圧倒されています。
ところで…。
瑣末なことなので恐縮なのですが、ビアマグとビールジョッキの違い、線引きはどこにおかれておられるのでしょうか。後楽窯さまの作品を拝見させていただいていますと、大きさではない。むしろマグの方がジョッキよりも高さがある。見た目の違いは、取っ手の位置でしょうか。ジョッキの取っ手はマグよりもかなり下部に取り付けられています。そこが、ジョッキとマグの違いなのでしょうか。
これは難しい話なのかもしれません(タンブラーとオールドファッションドグラスの線引きはどこ?のように)。ただ、単純に疑問に思っています。
さらに、取っ手の無いものもマグとされていますが、本文中にも書きましたように僕にはそれがよく分からないのです(汗)。マグとは、僕の解釈ではずっと「取っ手」がついているものだと認識していたからです。取っ手のないものは「ビアタンブラー」と称した方がいいのでは、と思い込んでいたのですが、後楽窯さまの作品では取っ手のないものもマグです。
これは僕の方が間違っているのかもしれません。そうであれば本文を訂正したいと思っています。どうかそのあたり、ご教授いただければ幸いです。
後楽窯さまが再びこのコメントレスをご覧になっていただけることを願っています。
ビールジョッキとビアマグの違いは少し形が違うくらいかな。
取っ手のあるなしで違うところもあるみたいですね。
ホームページも見ていただきありがとうございます。
是非、店にも見に来て下さい。
楽しみに待ってます。
僕は、つい定義付けとか分類に血道を上げる性格なのですが、これはそういう些細で瑣末なことよりも、作家の方がどう感じて作り上げ、そしてどう使ってもらいたいか、そちらの方が重要なのでしょう。名称など本来はどうでもいいことなのかも。重要なのは見た目の美観と使い心地なのでしょうから。
また機会があればお伺いさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
私は、びヰる自体があまり好きじゃない方なので、当然グラスも、まあ、どんなでもいいや、って感じ。
しかし、茶犬はひどくこだわっています。
凛太郎さんと同じく、あんまり「ビアマグ」と呼ばれる類の瀬戸物は使わず。グラスです。
ただ彼のこだわりは、注ぎ口というか飲み口というか、グラスの上の方が少しすぼまっているのが好きらしい。
要するに、彼は泡にこだわっています。だからびヰるは缶のままでは飲まず、必ずグラスに注ぎ、その注ぎ方も、出来るだけ一気に勢いよく半分くらい注いで泡を立て、それが少しだけ治まってきた頃に、グラスがいっぱいになるように静かに残りを注いでいます。
たまたまあまりびヰるが好きでない私には、「おバカ…」と思うこともあるのですが(笑)。
と、茶犬様と同様の行動をとる僕は自己正当化のためにもそう力説致します。わはは。
まあしかし、以上のことを省略して簡単に言えばつまり「おバカ…」でございます(笑)。