「かぐや姫」が活動をしていたのは、驚くことに実質5年くらいにすぎない。
かぐや姫のメンバーが南こうせつ、伊勢正三、山田パンダとなる以前の第一次かぐや姫(南こうせつ、大島三平、森進一郎)や、「かぐや姫・今日」での再結成、その後も時々再結成して紅白に出演したりしたことを入れても、トータルの活動期間はどれくらいか。
アルバムが、ライブ版、ベスト版(フォーエバー)を入れて7枚、まあ活動停止後もベストなんかはときおり発売されているが、実質的なのはそれくらい。
そして、この数少ない楽曲の中で、いわゆる「ハズレ」という曲が僕にとっては一曲もないのである。アルバムなんてのは、10曲のうち2~3曲いい曲があればそれは当たりで、吉田拓郎だってつまんない曲はある。それだけかぐや姫は密度が濃い。
僕は、かつては南こうせつが作ったマイナーコードの曲は好きじゃなかった。いわゆる「神田川」「加茂の流れに」「あの人の手紙」などですね。しかし、30歳も後半になると、だんだんこれらの曲も「よく出来ているなぁ」と思えるようになってきた。
かぐや姫は個性と個性のぶつかり合いだったと思う。こうせつおいちゃんの美しいメロディー、正やんの叙情的な世界、パンダさんの心にしみいる優しさ。それらが幾重にも重なり合い相乗効果を生んで「かぐや姫の世界」を生み出している。
いつか君が忘れていった 煉瓦色のコート
僕には少し短すぎて とても着れそうにない
部屋の明かり消しながら また逢うその日まで (おもかげ色の空)
痛切な思いが甦るような気がしますねぇ(僕だけか)。
正やんのちょっと寂しい言葉にこうせつおいちゃんの青空のような曲が何故か合うんだな。
パンダさんの曲はじんわりと心にしみわたるようで、疲れたとき、辛いときには効果抜群だと思う。
落ち葉はあなたの足跡消して 私に何も残さない
二人には通り過ぎた季節 想い出は私だけのもの
哀しさも私だけのもの… (眼をとじて)
日頃忘れかけている優しい、柔らかな気持ちに戻ることが出来る。
僕は年齢的に、かぐや姫全盛期はまだ小さい子供だった。なのでリアルタイムでの熱狂というものを残念ながら経験してはいない。ただ、僕が中学生になり、小遣いを貯めてギターを質屋で買い、徐々にフォークの深みにはまっていく頃にかぐや姫は再結成し、「かぐや姫・今日(today)」を発売する。
それまで「神田川」の人たちとしかとらえていなかったかぐや姫は、僕の中で変貌を遂げる。そこから僕はどんどん遡ってかぐや姫を聴くことになる。せいぜいヒット曲を知っている程度だった僕は、深く入り込んで抜けられなくなっていく。解散のとき9歳だった僕の遅ればせながらの参戦だった。
「かぐや姫・今日」冒頭の一曲「遥かなる想い」は繰り返し心に流れ、発売四半世紀を過ぎた今でも沸き立つ自分を見つけることが出来る。
誰もが一度 川の流れを変えてみたいと
若く燃えたあの日の唄が どこかで聴こえている
かぐや姫は現在も「解散」はしていない。現在でもフォークの「核」として圧倒的な存在感を誇っている。そういう意味では「永遠」なのだ。
はじける汗と風の匂いが 旅へと誘うから
僕らの靴は いつも半分 擦り切れているだろう
いつか君を迎えに行こう…
もういい歳になって、ギターも埃をかぶってはいるけれど、左手の爪をもう一度しっかりと切り揃えて弦を押さえられるようにスタンバイをしようか。昔の仲間たちと連絡を取ろうか。てな愚にもつかない夢想にまた入ってしまいそうな気もする。
かぐや姫のメンバーが南こうせつ、伊勢正三、山田パンダとなる以前の第一次かぐや姫(南こうせつ、大島三平、森進一郎)や、「かぐや姫・今日」での再結成、その後も時々再結成して紅白に出演したりしたことを入れても、トータルの活動期間はどれくらいか。
アルバムが、ライブ版、ベスト版(フォーエバー)を入れて7枚、まあ活動停止後もベストなんかはときおり発売されているが、実質的なのはそれくらい。
そして、この数少ない楽曲の中で、いわゆる「ハズレ」という曲が僕にとっては一曲もないのである。アルバムなんてのは、10曲のうち2~3曲いい曲があればそれは当たりで、吉田拓郎だってつまんない曲はある。それだけかぐや姫は密度が濃い。
僕は、かつては南こうせつが作ったマイナーコードの曲は好きじゃなかった。いわゆる「神田川」「加茂の流れに」「あの人の手紙」などですね。しかし、30歳も後半になると、だんだんこれらの曲も「よく出来ているなぁ」と思えるようになってきた。
かぐや姫は個性と個性のぶつかり合いだったと思う。こうせつおいちゃんの美しいメロディー、正やんの叙情的な世界、パンダさんの心にしみいる優しさ。それらが幾重にも重なり合い相乗効果を生んで「かぐや姫の世界」を生み出している。
いつか君が忘れていった 煉瓦色のコート
僕には少し短すぎて とても着れそうにない
部屋の明かり消しながら また逢うその日まで (おもかげ色の空)
痛切な思いが甦るような気がしますねぇ(僕だけか)。
正やんのちょっと寂しい言葉にこうせつおいちゃんの青空のような曲が何故か合うんだな。
パンダさんの曲はじんわりと心にしみわたるようで、疲れたとき、辛いときには効果抜群だと思う。
落ち葉はあなたの足跡消して 私に何も残さない
二人には通り過ぎた季節 想い出は私だけのもの
哀しさも私だけのもの… (眼をとじて)
日頃忘れかけている優しい、柔らかな気持ちに戻ることが出来る。
僕は年齢的に、かぐや姫全盛期はまだ小さい子供だった。なのでリアルタイムでの熱狂というものを残念ながら経験してはいない。ただ、僕が中学生になり、小遣いを貯めてギターを質屋で買い、徐々にフォークの深みにはまっていく頃にかぐや姫は再結成し、「かぐや姫・今日(today)」を発売する。
それまで「神田川」の人たちとしかとらえていなかったかぐや姫は、僕の中で変貌を遂げる。そこから僕はどんどん遡ってかぐや姫を聴くことになる。せいぜいヒット曲を知っている程度だった僕は、深く入り込んで抜けられなくなっていく。解散のとき9歳だった僕の遅ればせながらの参戦だった。
「かぐや姫・今日」冒頭の一曲「遥かなる想い」は繰り返し心に流れ、発売四半世紀を過ぎた今でも沸き立つ自分を見つけることが出来る。
誰もが一度 川の流れを変えてみたいと
若く燃えたあの日の唄が どこかで聴こえている
かぐや姫は現在も「解散」はしていない。現在でもフォークの「核」として圧倒的な存在感を誇っている。そういう意味では「永遠」なのだ。
はじける汗と風の匂いが 旅へと誘うから
僕らの靴は いつも半分 擦り切れているだろう
いつか君を迎えに行こう…
もういい歳になって、ギターも埃をかぶってはいるけれど、左手の爪をもう一度しっかりと切り揃えて弦を押さえられるようにスタンバイをしようか。昔の仲間たちと連絡を取ろうか。てな愚にもつかない夢想にまた入ってしまいそうな気もする。
おもかげ色の空は、多分今でもいくつかのユースで歌ってるし、遥かなる想いも、数年前には島のユースで唄ってました。
なんであんなに旅に想いを馳せられる曲があるんだろうっていうくらい、唄いながら、感動してました。
旅人の、旅の仕方や人とのつきあいかたも、時代が変えてゆくものかもしれないけど、唄が、なんだか、「あの頃の旅」を伝えつづけてくれるような、そんな気がしています。
僕は書いたように、どちらかと言えばフォークソング好きが旅に出たわけなので、好きだったかぐや姫やその他の曲がいろんな人の心に膾炙していくのがなんだかとっても嬉しくて、旅で唄に出逢った人がもっともっと深くフォークソングにのめりこんでくれたら楽しいなぁと思っています。そうして好きになった唄にまた旅の途中で出逢う…。旅も唄も思いが深まっていくと素敵ですよね。
掲示板にどうやっていくのかわかんなくなってしまいました(汗)。見たい~。
先日ラジオを聴いていたらフォークソング特集をやっていて、リクエストしたひとの思い入れなんかも紹介してました。よく衛星放送なんかでもやってるけど、ラジオでひとり耳をすませて聴く時間というのは時がとまったような時間がさかのぼっていくような不思議な感じが。
ああ、あの歌ミニコンで唄ったな~だとか、唄った人のことだとか、やけに懐かしく思うひとときをすごすのが嫌いではない気がしています。
今はメールや携帯で連絡取るのが簡単だけれど、以前の友だちとは約束も連絡もなしで毎年なぜだか会ってしまうような。
本名も知らずにいても言葉なくわかりあえるような友だちが少なくなかったような気がするんです。
利害関係なく付き合える人は年々減ってきているような気がしますが、かつては価値観が同じところにあった友人たちがたくさんいました。そんなあの頃の友人たちに遭うと、これもまた時間が引き戻されてしまいますね。^^
「遥かなる想い」この歌って、当時(四半世紀前)稚内のモシリパYHでお茶会の後で毎夜歌われていた曲なんですよねぇ
フォーク好きの僕は歌詞カードを見ずに自慢げに歌っていたのを思い出します。
(この時にもいきなり知っている曲なんでビックリでした)
2000年くらいに宿泊した際には歌ってませんでしたけれど・・・
そういえば、その頃ペアレントは稚内市議会議員様でした。
かぐや姫ではパンダの「キップ」(ひらがなでしたっけ?)なんかも旅の友には良いですよね!
初めてカーリングをしたのもこの宿でした。
かぐや姫って活動期間短いし、LPも確か7枚くらいしか出してないけれどフォーク界に残したモノは大きいですよねぇ!
ある意味ビートルズかも!
そういえば、「アビーロードの街」なんて歌もありましたよね!
いや、それで驚いていてはいかんな。コメント下さったおかげで、この記事を僕は久しぶりに読み返しましたけれど、「30歳も後半になると」なんて書いてる。今は40歳も後半になり…。時間は風のように過ぎていく。
それより増しての驚きはモシリパP氏が市会議員になっていたという話で。議員名簿を検索してみましたら、もう当選5回になってる。議会一の古参議員で会派の代表。ここでも時間は知らぬ間に過ぎている。
僕も稚内で初めてカーリングをしましたが、あの時はだーれもカーリングなんて知らなかったっすよねー。
「遥かなる想い」は、好きでした。旅と関係なく。
確かにある意味ビートルズかもしれないですね。影響を受けた人も多いと思いますし。
「きっぷ」も雰囲気でますよね~。