凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

かぐや姫「おもかげ色の空」

2006年12月27日 | 好きな歌・心に残る歌
 僕がフォークソングを聴くようになったのは完全に深夜ラジオの影響であり、そのことはしばしば書いてきた。ラジオを聴き始めたのは小学校の高学年くらいから。中学一年でギターを質屋で買い、教則本や音楽雑誌を見て練習し、徐々に世界を広げていった。最初は京都在住ということもあって高石ともやとナターシャセブン。そして吉田拓郎やかぐや姫へと発展し、N.S.P.やふきのとうへと進んでいった。中学、高校とどんどん深みにはまっていったと言える。
 けれども、そのころはあまり同好の士はいなかった。わずかに少しは居て一緒に歌ったりしたものの、深く付き合ってくれる人などそうはいない。完全に個人の趣味だっただろう。

 僕は高校を卒業して、旅をするようになった。自転車旅行の長旅が主体だったが、長いときは一年のうち五ヶ月近く旅の空だったこともある。今にして考えればよくやっていたなぁとも思う。
 そういう旅での宿泊は、そりゃキャンプや野宿もやったが主としてユースホステル(YH)を利用していた。当時のYHは会員であれば二食付で2500円程度だっただろうか。とにかく若者が集っていた。ただ、僕がYHを利用し始めた頃は今から20年以上前であるが、もうカニ族(キスリングを背負って旅する人たち)の時代(この時代が全盛期だった)は終わり、もう利用者も徐々に減っていた頃だったと思う。若者にシラケ風も吹きだしていた。
 YHというのは会員制で、ちょっと今にして思えば窮屈なところもある。男女別相部屋。飲酒禁止(当時はね)。スリーピングシーツ。消灯時間あり。シラケ世代にはちょっと相容れない空気になっていたのも否めない。中でも「ミーティング」と言うやつが面倒だとよく言われていた。
 ミーティングというのはYH独特の符牒だと思うが、つまり夕食後、泊まり合せた人たちが集って出会いを楽しみましょうという時間である。その時間の使い方はYHによって様々であり、観光案内主体であったり、完全にティータイムとして情報交換とお喋りの場になることもある。こういうのはラクであり、今にして思えば一種の「合コン」としてとらえることだって可能な時間でもあった。
 けれどもそういうミーティングばかりでもない。まだまだ前世代に主流だったやり方も残っていた。一人一人自己紹介。全員参加ゲームと罰ゲーム。みんなでダンス(さすがにこれは少なかったが)。そして「みんなで歌おう」というのがやはり多かった。歌声喫茶の時代ははるか昔、反戦集会、シュプレヒコールの時代もとうに過ぎていた頃だったので、早く言えば「流行らない」手法だった。これがイヤでYHを避ける人も多く、僕もどちらかと言えば苦手な方だった。
 しかしながら、そこで歌われるうたは、僕にとって最も馴染み深い「フォーク」だった。泊まり合せた人は「こんなうた知らないよ」という歌も僕はたいてい知っていた。なので、「みんなで一緒に」に抵抗を感じつつ結局は輪の中に入っていくことが多かった。ギターを手にしてしまうことも幾たびか。
そんな、青春時代を彩ったうたの数々が最近はたまらなく懐かしい。

 当時、YHで歌われていた曲というのは、それほど多くはない。やっぱり人口に膾炙している名曲が多かった。みんなで歌ううただから。
 西岡たかしの「遠い世界に」。拓郎の「落陽」。山本コータローの「岬めぐり」。誰もが知っている歌が主体。個性を出している宿もあり、歌集を準備しているところもあった。でもそんなに奇を衒うものはなかったように思う。
 宿ごとで「オリジナルソング」を作っているYHもあった。礼文島にあった桃岩荘YHなんてのはそのメッカだった。僕はここには一度しか行ったことがないのだが、友人の旅人にファンが多く、よく歌は聴かされたものだ。
 北海道で当時最も知られていた曲のひとつに「旅の終わり」という歌がある。今も歌い継がれているのだろうか。

  夢のような旅だった 遠い北の国の 僕は旅の悦びと旅の辛さを知った
  こんな辛い旅なんか もういやだ 旅を終わろう 汽車に乗ろう

 懐かしい。北の情景が目に浮かぶ。
 この礼文島には「島を愛す」など数々の名曲が生まれている。「放浪(さすらい)」なんて聴くと胸を刺されるような想いが甦る。

  擦り切れたジーパンだけど 何よりも大切なものさ
  歩きだそう いつ終わるのか判らないけど 自分の影を 自分の影を踏みしめながら

 懐かしい。本当に懐かしい。夜明け間近消えゆく星、遠い空に思いを馳せる…。

 YHは前述したように飲酒禁止、消灯時間厳守というちょっとしんどいはずなのだけれども、そこはタテマエ。旅で出逢った人たちと時間を区切って語り合いたくはない。オールナイトもしばし。ずっと歌っていたこともある。もう昔の話であるし書いてもかまわないとは思うけれども、積丹かもいYHやえりもYH、やまがたYHや宮古YHなど…まともに寝た記憶がない。ずっと歌い語らいながら夜を明かしたように思う。(実際のYH名を挙げているがもう迷惑はおそらくかからないに違いない。もうこれらの宿はみんななくなってしまった。)

 こんな冬の夜は、昔の古い旅のことをつい思い出す。
 僕は前述したように、学生時代は旅ばかりしていた。繰り返し繰り返し旅に出ていた。けれども、そんなモラトリアムの時代も終わるときが来る。
 大学四年の冬。卒業試験も終わり、そのときは4月から社会人となり実家である京都を離れることが決定していた。最後くらい親孝行でずっと家にいればいいものを、二月になって僕は最後の旅に出てしまった。行き先は、どうしても思い出が濃い北海道。かの北の大地には、19歳で初めて上陸して以来幾度となく訪れていた。
もうこんな自由な時間が得られるのも最後かもしれない。そんな思いに駆られ、周遊券一枚を手にして夜行列車に揺られ、厳冬の北海道に僕は上陸した。

 最初に泊まった宿で、泊まり合わせた人たちと歌ったのが、かぐや姫の「おもかげ色の空」。

  別れた時おもかげ色の空を忘れました 飲みかけのグラスに映った空を忘れました

 このかぐや姫の名曲も、北海道で聴こえてくる頻度が高い。旅は出会いと別れの繰り返し。そういう旅人の心情が、このうたとよくマッチするからだろう。

  あの日の君は笑いさえもも浮かべていた まるで僕の後姿に宜しくと言いながら

 真っ白な富良野、冬枯れの釧路湿原、凍て付いた摩周湖。見るもの見るものが全て痛切だった。出来ることなら一生旅して暮らしたい。でもそんなことは叶わぬこと。楽しさと寂しさの背中合わせの旅。そうして、いつの間にか周遊券の期限も切れ、既に交換して延長という裏技を利用しての旅になっていた。時間は瞬く間に過ぎていく。
 この旅では宿泊費節約の為、夜行列車内で夜を明かすことも多く、YHばかりに居たわけではない。必然的に札幌、そして網走、釧路に夜居ることが多く、寒い北の街の夜で酒もずいぶん呑んだ。学生のこととてさほど上等の居酒屋などに入ったわけでもなく、知り合った人たちと安酒を呑んで旅の話をして楽しんでいたに過ぎないけれども。
 そうしているうちに、呑まずにいられなくなった。寂しかったのかもしれない。YHに泊まってしまうといちおう飲酒禁止。なので、呑める宿に行きたくなり、積丹半島のとあるYHを目指した。そこは「冬の日本海側なんて誰もいないしずっと呑んでいられる」宿だという情報を聴いたのだ。
 YHは積丹西海岸にあり交通が至極不便なところ。岩内線も廃止となり、小沢からバスを乗り継いで行かねばならない。そうして一日がかりでたどり着いたら、やっぱり宿泊者も誰もいなくて、手伝いの兄ちゃんが一人いるきりだった。ここまで来たら僕も動きたくなくなり、兄ちゃんと2人で一升瓶を抱えつつ5日ほど滞在してしまった。なんにもする事が無くずっと呑んでばかりいたわけだが、もうこんな無為な時間を過ごすこともこれから先はないだろうとの思いもあり、ひたすら溺れていた。印象深い日々。やっぱりギターを片手に歌った。

  何故か寂しい夕暮れ時 風が止まり そんな時にふと思い出す 優しかった人を

 次の宿泊者が来たのを潮に、二日酔いのまま宿をなんとか出てきた。ちょっと厭世的だったかもしれない。
 そこまででもう既に4週間の時間が流れていた。もうそろそろ旅も終わりに近づけないといけない。酒の抜けないまま札幌に出てきた僕は、一路北を目指した。大好きな稚内、浜頓別でこの旅のラストにしようと思った。

 旭川から急行に乗り、一升の酒のせいでまだ座席で青い顔をしていた僕の肩を誰かが叩いた。
 「?」
 そこには、2年前に稚内や浜頓別で一緒だった、旅の仲間たちが数人立っていた。懐かしい顔そして顔。
 「お前が北海道に居るって聞いてさ。じゃそろそろ北へ上がってくる頃だと思って、俺達も行こうかってことになって。みんなで噂してたけどまさか同じ列車だとはな(笑)。」
 懐かしい顔がそこに居た。みんな笑っていた。
 そうか。俺もみんなに逢いたいと思ってたんだ。お前らとまた逢いたいと思ってたんだ。
 ぼんやりとした頭の中で確認したこと。旅はやっぱり出逢いだと。いろんな人に逢えるから僕は今日も明日も旅を続けたくなってしまうんだなぁと言う事を。
 素晴らしい自然、目を見張る美しい風景、楽しかったいろんな出来事、そして思い出を共有できた幾ばくかの人たち。いろんなことが僕の中を駆け巡り、ひとつの旅、いや今までに繰り返してきた旅の、そのラストシーンにふさわしい舞台が整ったと僕は思い、列車の中で思い出を交錯させながら揺れに身を任せていた。

 それから一週間、僕は北の果てに居た。古い友人、そして新しく出会った人たちと一生懸命遊んだ。クロカンスキー。かまくら作り。そり遊び。カーリング。ケーキ作り。今までの旅を凝縮したような楽しい日々を続けた。ある意味熱狂の日々と言えるかもしれない。青春時代が終わってしまうことに抗い、夢中になることでそれを払拭しようとしていたのかもしれない。

 けれども旅には必ず終わりが来る。明日汽車に乗らなければならない日、僕の隣ではまた「おもかげ色の空」が聴こえていた。

  部屋の灯かり消しながら また逢うその日まで

 大声で手を振りさよならを叫んでくれたたくさんの人たちの姿が今も脳裏に浮かぶ。あの光景は一生忘れることが出来ない。さよなら。その言葉が自分自身の黄金の日々に対する別離の言葉にも聴こえた。

 それからの僕の人生はもしかしたらエピローグではないかとの思いがしばしばよぎる。あの日々がもしもなければ、僕の人生なんてスカスカだったに違いない。
 けれども、その思いを大切にしながら、日々を頑張って生きていかなければ、あの黄金色した日々への義理立てが出来ない。

 みんな元気でやってるか? 俺はまだ埋没しながらも生きてるぞ!

 そんなふうにして、思い出に生きるという格好悪いことを肯定しながら、また明日も歩くのだ。自分の人生をエピローグにしないため、またあんな日々が巡り来ることを念じながら。

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10 コメント

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Unknown (アラレ)
2006-12-30 01:10:39
人生の宝物を得た時期
それは、人生のプロローグだったと
思いますよ。

出会いと別れが凝縮されていた時期
緩慢な時期のいまに比べれば…
輝きに満ちていたと思います。

あの頃があるから
現在(いま)がある。

新しい年を前に
これからも同じ時代を歩きましょう。

♪おもかげ色の空
大好きな曲です。
別れの曲なのに、とても澄んでいる気がします。
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>アラレさん (凛太郎)
2007-01-02 22:53:23
「人間は前を向いて生きなければならない。人の目は前方しか見ることが出来ないようになっている」これは真理です。しかしながら、人の生きてきた証しというものは後方にずっと連なっているものなのです。振り返るのはつまらないこと、とも言われますけれども、振り返らない人生なんて意味もない。そんな屁理屈を言いながら思い出話をずっと書いています。
ただ、あのときの想い、キラキラした時代をいつまでも生きた記憶にしていくことは、やっぱりこれからの人生にかかっているのではないかとも思えます。過去も未来も人にとっては大切なものなのですね。過去を生かすために未来がある、とも言える(また理屈ですが^^;)。
今の人生がエピローグなのかも、というのは実に気弱な話ですね。深く反省いたします(笑)。けれども、そんなことをふと思ってしまうほどの輝いた時代だったのです。僕にとっては。それに比べて今の時間の経つことの早いこと早いこと(汗)。でも、あのたからもののようなひとときを超えられなくてもいいから、胸を張って生きなければなりません。僕が生きている限りあの日々は永遠なのですから。

「おもかげ色の空」を聴くとどうしても甦るものがあります。「とても澄んでいる」と表現されたアラレさんと同時代を生きられるのもまた幸せなこと。新しい年も、そんな幸せな瞬間を見つけながら行きたいですね。
返信する
心に沁みました (たけ)
2007-06-02 10:06:38
長い文章を読ませていただき、
心に沁み込む思いでした。

わたしも初めて北海道に行った年、
18歳のときに、いろんなユースで
フォークソングに出会い、そして
そこで働くヘルパーの爪弾くギターと
唄に耳をすませ、夜には宿泊者もそろって
一緒に唄うという日々。
昼間の時間の流れのゆったりとした館内や
夜だんだんと人が増えての時間
今思いだしてもかけがえのないひとときでした

またいつの日か。。
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>たけ様 (凛太郎)
2007-06-03 14:45:02
こんにちは。
確かに、この記事は昨年最後の記事として書いたので、自己抑制もなく思いいれたっぷりに長く長く書いてしまいました。読んでいただいただけでも本当に有難いのに、気持ちに相通じるものがあったとしたらこれほど嬉しいことはありません。

あの感受性豊かだった時代に、ああいうことを経験できたということは本当に財産ですね。「かけがえのないひととき」とおっしゃる通りです。
またいつの日か、と僕も願います。二度と還らない日々だと思わずに。まためぐりくることがあるとずっと思い続けて…。
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Unknown (へるぱー)
2007-06-05 23:25:03
はじめして

大学生だった頃です。
連絡船から、青函トンネルに
変わった頃にもちろん周遊券で、
北海道に数度行き、住みたい思いが強く
道東の某所で、数シーズン、
ヘルパーまでしていました。
あの頃はシーズン中に道内に行けば
必ず知り合いに会って、鉄道の中も
YHみたいでしたね。

時代は変わって、当時
お世話になったペアレントさんも、
少し前にYHをやめてしまいました。

4回生の冬のヘルパーの時は、
就職で生まれてからずっと住んだ大阪を
離れることになりまさに、凛太郎さんと
同じ思いでした。

いまだに中心となる友達は
YHで知り合った者たちです。

おもかげ色の空大好きです。
よく歌いました。

うまくコメントできませんが、
私もすごく心にしみましたので
コメント残します。
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>へるぱーさん (凛太郎)
2007-06-06 22:34:03
ありがとうございます。

この長い記事は、僕個人の思いいれたっぷりで書いてしまったもので、普通に読めば分かりにくい部分もあると思うのですね。独りよがりと言いますか。

けれども、わかって下さる方は必ずいてくれると信じてアップしました。あの頃、同じ思いをしていた人たちはたくさん居たはず。その頃の「仲間」たちと思いを共有出来ればと思って、おもかげ色の空に託したのですが、こうしてアップして半年経って、読んでくださる方がいてくださったという喜びは何事にも代えられません。旧友に再会出来たようです。

あの頃は、本当に列車の中もYHみたいでしたね。僕もコメントを読んで心に沁みました。
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甘酸っぱい記憶 (立ち寄り人)
2007-09-22 22:35:57
私の青春の思い出の中にも、この桃岩YHやふきのとうやかぐや姫があって、その頃の事を思うと胸がしめつけられるような、切ない思いになります。
 旅の終わりや、落陽は、みんなとYHでうたいました。凛 太郎さんのおかげで,いろんな事を思い出せました。ありがとう。
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>立ち寄り人さん (凛太郎)
2007-09-23 17:06:48
ありがとうございます。

こういう話は、本当にその場の、その時代の空気を体感した人でないと共感してはもらえません。僕もふと思い出すたびに胸の奥から何かが溢れ出そうとするのを必死で止めなくてはなりません。
旅人以外誰に話してもわかってもらえない話を書くことにためらいはありましたが、こうして共感していただいて僕は本当に嬉しいです。何かが溢れ出すのをもう止めることが出来ません。
書いてよかった。コメントに本当に感謝しています。
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7曲目 (さくぞう)
2011-06-15 08:45:26
7曲目の書き込みになります。
「おもかげ色の空」・・・
これまた、いい歌ですよねぇ!

ちなみに「旅の終わり」は、かのニシン番屋作の歌です。
今でも歌い継がれていますよぉ!
「島を愛す」はニシン番屋関係ではないと思います。(JYHと関係ないEPレコードになっているので)

>既に交換して延長という裏技
↑やったやった、使い終わった奴を宿に送付して貰って「命」を伸ばしたりね!
「どこから来たの、いつまで居るの、旅の足は???」「これ(自分の○遊券)と交換して下さい」ですよね!
当時、社会人の人も結構周○券で廻っている人が沢山いたから、交換は容易でしたよね!?
何故か幼稚園の先生って多くなかったですか?

>旅の仲間たちが数人立っていた。
↑これも結構有りましたよね! 青函連絡船、駅、列車、宿、登山道・・・この出会いがあるから旅は止められないのですよねぇ!

>古い友人、そして新しく出会った人たちと一生懸命遊んだ
↑このフレーズいいですね!
「一生懸命遊んだ」・・・僕のカーリング初体験も恐らく同じ場所ですね!稚内ですよね!
稚内公園のチュービングとかも本当に楽しかった。(只だし!)雪にまみれ、汗まみれになって遊びましたよね!

>思い出に生きるという格好悪いことを肯定しながら
↑僕もそう思いますが、多分あの頃以上に自分が自分らしく輝いた日々を送ることは今後ないような気がします(ってこんな考え方ダメダメですな)

返信する
>さくぞうさん (凛太郎)
2011-06-16 04:51:22
この話は、自分でも結構思い入れがありますね。読者は検索してこられるために、一応YHの説明とかはしなくちゃいけない。そこのところがちょっと饒舌になっていたりはしますけど。周遊券の話は別記事にしましたよ。
「島を愛す」は紀行作家の岡田喜秋氏著作に載ってまして、旅をする前から知っていたという珍しいパターンなんですが、そこでは利尻島のうたとして書かれていました。
しかしオリジナルも多いようですね。才能ある人たちが集まっていたんですね。僕は桃岩はあまり知らないのですが、そこに書いた「擦り切れたジーパン」とか「夜明け間近~(タイトル忘れた)」とかは好きですね。リングワンデリングとか。
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