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papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・23(10日目6)

2007年12月08日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて10日目、35番清滝寺を参拝した後・・・

この日、昼過ぎ、35番清滝寺に向かう途中、温かく出迎えてくれた母方の祖父は、長宗我部元親関連の子孫で、その辺の歴史に詳しい。

この前日、高知の実家に帰った時に、長宗我部元親の四男である長宗我部盛親の展示会が高知県立歴史民族資料館で開催されていたので見に行った。長宗我部盛親は大阪の陣で大阪方として戦った武将。
盛親展はお客さんは少なかったが、ポツポツと年配の方が見に来ていた。受付の人に聞くと、来場者のほとんどがこの盛親の展のパンフレット本を買っていくらしい。「皆さん長宗我部にゆかりがある人たちなんでしょうね」、と言っていた。

その長宗我部盛親展のパンフレット本を持って、お出迎えしてくれた祖父にプレゼントした。すごく喜んでくれた。
ほんの手土産のつもりだったが、土佐弁で「こんな貴重なものを貰ってえいがかえ・・? ほんにありがとう。」と、笑顔で想像以上の言葉をもらって、すごくうれしかった。

その後、祖父母と別れて、36番青龍寺に向かった。
その日の宿泊予定は、横浪半島の国民宿舎土佐。子供の頃、よく釣りや遊びに行ってた横波半島。今回の楽しみの一つだった。
いつも車で行っていたが、自転車で行くと多少時間が掛かかるはず。
途中、電話で国民宿舎土佐のドミトリーを予約した。
トンネルを越え、海沿いに走っていると、軽トラックが自転車に横付けしてくる。国民宿舎土佐のスタッフの人が迎えに来てくれたのだ。電話ではそんな話してなかったのに。
スタッフの人は「国民宿舎まで坂道が続くから自転車ごと載せて上げます。」と、気持ちのいいサービスだ。ただ、国民宿舎までの道は知っていたし、もうすぐだろうと思っていたから、せっかくの申し出を断った。
自転車で半島の坂道を登るのは、車で行くのとは段違いで、かなりきつい。
親切を素直に受けとけばよかった、と後悔。


国民宿舎土佐ではドミトリーを予約した。ドミトリーは2段ベッドが3つの6人部屋で、既に一人お客さんがいた。香川の人で歩きお遍路中のFさん。もうくつろいでて、洗濯物まで干していた。
少し話した後、国民宿舎のレストランで天丼を食う。のんびりしていると、風呂上りのFさんがレストランに入ってきたので、一緒にお酒を飲んだ。
いつも思うけど、体を動かした後のビールは本当に美味い。Fさんは気さくな人で、話が盛り上がり、結局ラストオーダーまで一緒に飲んでしまった。

その後、Fさんもお奨めの「国民宿舎土佐」展望露天風呂に。

もうすでにどっぷりの夜だったが、さすがは展望露天風呂!そこから見る夜の景色、人家も無い横浪半島の斜面とその裾に広がる漆黒の海、境目も朧な闇空とがミックスしていて、すばらしく濃黒な景色だった。苦労して登ってきた甲斐があった、これぞ自然。
小さい湯舟だったが、その展望露天風呂にはお遍路さんがいて、またまた面白い話を色々聞いた。
山梨から来た60代の人で、定年してから山小屋の登山アドバイザーをやっているとの事。今回はじめてのお遍路で、「平地を歩くのは登山と違って、すごく疲れる。山登りは全然疲れないんだけどね筋肉の使い方が違うんだろうね。」と。
その山梨の登山アドバイザーは、夫婦でお遍路をしていて、2人車で宿泊予定の場所まで行って、車を置いてから、バスや電車で車を出発した地点まで引返す。そして歩きお遍路をはじめて、車を駐車してある場所までひたすら歩く、と。そんな不効率?なスタイルでお遍路を夫婦で楽しんでいるのだそうだ。
そのスタイルをイメージしてみて、改めてお遍路という巡礼旅の幅の広さを感じさせられた。その山梨のお遍路さんは、浴槽から上がって、裸で突っ立ったまんま長々としゃべってくれた。湯冷めするんじゃないかってこっちが心配するくらい長々と。
でも、さすがは登山アドバイザー、60代とは思えないほど引き締まった筋肉だったから大丈夫だったろう、定年過ぎて会社を退職して好きなことやって、毎日楽しんだろうな、って思えた。

風呂上がり、ちょっとロビーでくつろいで、部屋に戻った。
同部屋のFさんには、「電気は消しときますから先寝てください。」、とは言ったんだけど、電気付けたまま布団に入ったら、いつのまにか自分も寝入ってた。Fさん、ごめんなさい。

続きは>>お遍路を自転車で・・・24で。

お遍路を自転車で・・・22(16日目1)

2007年12月07日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて16日目。写真はその日参拝した41番龍光寺。

朝、宇和島のホテルを出て、晴の秋空を快走した。
高知は海沿いを走ることが多く、愛媛に入ってからも海岸沿いが多かったが、ここから当分は内陸を走ることになる。41番龍光寺までは、ずーっと続くゆるい上り道を永遠と走った。
道が狭く、交通量もそこそこあったので、気持ち良い午前中という訳にはいかなかった。
時折、地図で行くべき道を確認しながら走り、少し早く11時くらいに「道の駅・みま」に到着。道の駅はどこも盛況している。農作業あけの近隣の人達が集まる、バイキングランチが人気の道の駅内の食堂で、少し早い昼飯を食った。地場の野菜のかき揚げうどん。安かったから。
朝飯はどこで食ったかな。忘れました。ホテルだったか?

41番龍光寺の鐘と42番仏木寺の山門

昼頃に、41番龍光寺に着き参拝を済ませ、すぐ近くにある42番仏木寺を目指した。
15分ほどで42番仏木寺に着いて、そこで思わぬ出会いがあった。
まだお遍路を始めて間もない徳島で、21番太龍寺に向かう太龍寺ロープウェイで一緒だったTさん親子に再び出会った。
2人と別れて以来、歩きのお遍路さんに出会う度に、「こういう親子知りませんか?ママチャリに乗ってて、ベレー帽をかぶった60代くらいの男性と・・・」と、話題に出して行方を捜して聞いたりしてた。たまに「ああそういえば、昨日の午前中・・・」という情報を貰い、近くを走っていることはわかっていた。それが、やっと、出会えた。

Tさん親子のお父さんは、自転車はラクーンで、自転車の後ろの荷台に大きな荷物を載せていた。見た目は結構重そう。実際、ノートPCなんかがあってかなりの重量だとか。
しかも旅仕様の衣装というよりは、年配の漫画家のような格好で、自転車ウェアに身を包んだ僕からすると、ちょっと不思議に見えた。
娘さんも、荷物は比較的少ないが、基本普通の格好の上に、自転車はラクーンではなく普通のママチャリなので、ペダルが非常に重たそう。でも意地でもお父さんより前で走りたいらしく、常にお父さんの前を、間隔を開けて走っていた。
その日、僕は大洲のキャンプ場を目指していたが、Tさん親子は43番明石寺の近くに宿をとっているという事なので、歯長トンネルを抜けた先の休憩所で2人と別れた。別れ際にカロリーメイトを頂いた。いざという時のカロリーメイト、ありがたい。

43番明石寺は、幹線道路から少し離れた所にあり、地元の高校の脇を走った先にあった。午後3時くらいだったか。この季節、平日のこの時間帯に、田舎の学校の近くに自分がいるのは10何年ぶり。同じ四国で気候が近いせいか、懐かしい感じがした。あー知ってる、って肌触り。学校って建物一緒だし、全体を包む雰囲気もそうそうは変らないらしい。

43番明石寺のお参りを終え、大洲まではまだまだある、と急いで走った。
途中、田んぼと国道に挟まれた通学用の細い道路で、集団下校途中のにぎやかな小学生の一団に遭遇した。「ごめんよー」と声を掛けながら小学生の横を走り抜けていると、ひときわ元気な女の子に、「暴走族!」と、ハンドルを握る腕をピシャリ!と叩かれた。
返す言葉が見つからない。
引き返して「コラー!」とこぶしを挙げて追いかけるべきか、
「暴走族じゃないよ。」とやんわり否定すべきか、全くわからないまま、そのまま走って少し間を置いて「コラー」とだけは言って、自転車の速度を上げた。
答えを間違えた。
正解は自転車のハンドルを揺らしながら大げさにジャンプして側溝に落ちて「コラー」だ。と、走りながら後悔してみたりした。ドリフ?アクションにドリフ的な行動が入ってないとダメだろって・・・

鳥坂トンネルを越えると後は、大洲市街に向かって峠を下りきるだけだ。
前にも書いたが、鳥坂トンネル途中で、記念の走行距離1000kmを迎えた。既に4時過ぎ、早くキャンプ場に着かないと、と大洲までの下り坂を急速度で一気に下りきった。

>>>お遍路を自転車で・・・15

お遍路を自転車で・・・21(16日目3)

2007年12月06日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

写真は、お遍路を始めて17日目の朝の愛媛県大洲市街を流れる肱川の河原。

16日目、夕方の事。大洲市街の西に300m程の高さの山があり、その山中に家族旅行村キャンプ場がある。今日はそこでキャンプを張る予定。夕暮れ時、17時を過ぎ、山すそをぐるりと回って、家族旅行村の方面看板を見ながら、キャンプ場に繋がる入口山道を登った。地図上では小さい山だが、300mの高さというのは走っていて以外にこたえる。家族旅行村の公園施設は見えるのだが、お目当てのキャンプ場はみつからない。さらに登っていると、開けた場所の道の側に一人のおばあさんが座っていた。
「こんにちは・・・」と声を掛けると、おばあさんはこの近所の人で、「今日はじめて山に登ってみた」とのこと。「朝から山に登って、今ここまで下りてきたところだ」と話していた。おばあさんの話の内容にも驚いたが、こんな夕暮れに山道は大丈夫なんだろうか。おばあさんはなぜ山を登ったのだろうか・・・

おばあさんと別れて、走っていると、山の車道は一本道の下り坂になって、大洲市街側の集落に向かってぐるぐる廻ってゆくようだった。迷わず下った。
キャンプ場は一体どこだ?

視界が暗くて見落としそうだったが、やっとキャンプ場の看板を見つけた。キャンプ場入口の折れ道を入っていくと、古錆びた入口扉があり、金属チェーンで巻かれてて、閉まっていた。
キャンプ場は諦め、前日、前前日とホテルだった事もあり、予算緊縮で、その日は野宿を決めた。

後悔と落胆。その日、昼の楽しかった出来事や、夕暮れ時に、今日の予約を入れてない未知数のキャンプ場に向かう自分の浅はかさと、出来ればここにもっと早く着いて違う場所を探して・・等、 色々カバーしたかった状況や気持ちの焦りとか。朝からの事がたくさん積み重なり、それを思い出すと、なおさら疲労が染み込んだ。


野宿は楽しくない。初めて来た場所で、右も左もわからない薄暗い場所にテントを張って、安眠できる訳が無い。でも、何回か野宿すると少しは慣れてくる。ただ寝床を確保するまでが大変。


まあ、どうしようもないので、諦めて、薄暗い大洲市街に入った。スーパーで夜食を買って、スーパー銭湯を探した。臥龍山荘というところの近くに広い河原があり、スーパー銭湯もあった。夜9時ぐらいまでその銭湯でくつろいだ。そして野宿できそうな広い河原に向かった。そこは田舎とはいえ、大洲市の中心に位置する所なので車も通るし人も散歩している。向こうの方に何台か車も止めてあって、どうやら人もいるみたい。
安全そうな場所を探して、11時頃にはようやくテントを貼った。
その夜は、意外にもぐっすり寝れてしまった。

次の日の朝、6時頃に起き、早々にテントを片付けた。河原では既に朝の犬の散歩が始まっていた。河原の側の公園にある自販機で買った缶コーヒーを飲んで、逃げるように出発、の前に、記念にと写真に収めた。

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