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papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・27(13日目1)

2007年12月14日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて13日目、写真は朝の四万十川。

四万十川キャンプ場を朝早く出て、四万十川沿いに、足摺岬向かって走り始める。
8時前頃、通学中の中学生たちがコンビニでおにぎり買ってた。田舎でも朝飯はコンビニなのか??

朝食は次のコンビニでと走り始め、中村市通勤圏外を出ると、人がどんどん少なくなった。
車はまあまあの交通量だったが、コンビにすらないので、朝飯が食べられるか心配しながら、先を急いだ。
2時間近く走ってようやくコンビニ発見。少し遅い朝食を取る。
すると向こうの方から歌を歌ってる変なお遍路さんが歩いてきた。年季の入ったバックを担いで、身なりは非常に小汚い、陽気なんだけど近寄りがたい。急いでパンを食って先を急ぐ。

大岐海岸というサーフィンで有名な海岸を越え、海沿いながら、半島沿いにうねうねと曲がった山道を走った。時折砂利道を走った。県道なのに舗装されていない道は初めて。
途中、>>お遍路を自転車で・・・16で休憩したりしながら、何度か道に迷いそうになりながらも、13時頃ようやく足摺岬に到着。
足摺岬は自殺の名所だったとか。その名も、足を擦って死地である向こうの世界に行くという所からとか(誰から聞いたのか忘れた、うそ情報かも・・・)。岬には世界の境目のような意味があるらしい。確かに岬の先に立つと、その先には海と空以外何も無い。不思議な感覚になる。

足摺岬近くのアーチ状の道路と足摺岬からの海

足摺岬には38番金剛福寺がある。
参拝すると、お寺の人に「歩きの人と自転車の人にはこれあげる」と、リンゴジュースを貰った。
ありがとうございます。

足摺岬は観光名所なのでレストランもあり、そこで昼飯を食べる。

お腹が落ち着いて、ゆるゆると今日宿泊予定の竜串の爪白キャンプ場へ向かった。地図で見るところ夕方頃には到着しそうだが、坂道が続くときついかもしれない。日はまだまだ落ちないけど、この時間帯を無駄に過ごすと後が大変になるので、急いで先へ向かった。
ジョン万次郎の生家が観光案内板にあり、寄ってみたいなと心が揺れたが、とにかく先を急いだ。

もうそろそろ日が落ちるかという頃、爪白キャンプ場に着いた。
キャンプ場には誰も居ない。
日があるうちテントを貼って、晩飯を食べるか買い出しに行こうと動き始めた頃、おじさんが一人近寄って来た。
キャンプ場の管理人らしい。しかしこのキャンプ場には管理室は無い。
おじさんは毎日夕方に来て、キャンプする人がいたら援助金として300円ほどだったか利用代金をとっているとのこと。
そういうシステムのキャンプ場は多い。

この辺りにレストランのようなところは無く、自転車で10分くらいのスーパーに行きお惣菜とカップラーメン、ビールを買って来た。

キャンプ場に戻るともう薄暗くなっていた。
そしてお遍路さん姿の夫婦らしき二人組が、向こうの方にテントを設営していた。
すかさず挨拶。
おとなしい感じの静かな夫婦だった。

キャンプ場のコインシャワーで汗を流し、ご飯を食べた。
食後、お酒を飲んでたら、お遍路さん夫婦が炊事場で洗濯をしていた。
横に並んで一緒にタオル類を洗った。
しかしこの季節、洗い物がなかなか乾かないのがつらい。
お遍路さん夫婦は「なにか訳ありなのかな…」と思うくらい静かだった。

少し肌寒くなってきたので寝た。

続きは>>お遍路を自転車で・・・16で。
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お遍路を自転車で・・・26(12日目1)

2007年12月13日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて12日目、写真はお昼に汗を流した入野松原のお風呂。

昨夜遅く三堰キャンプ場にやってきて、テントを張った。1日走り回って、安眠を得られたのは良かった。毎度の事ながら、寝床が決まってない旅は不安だらけ。

三堰キャンプ場の横にある元気酵素風呂のお二人にはお世話になったので、朝挨拶しに行った。朝まだ営業前でのんびりしてるせいか立ち話も長くなった。
元気酵素風呂は岡山県倉敷に本店がありこの四万十町の三堰キャンプ場横のは支店。本店からスタッフが集まってきて、1ヶ月泊りがけでみんなで作った施設だと。
本店の人からは、こんな田舎に作って経営は大丈夫かいなと心配されたけど、どうしても、何の縁も無い土地だったけど、人目見てほれ込んで、このなだらかな風景の中にお店をオープンしたいという強い情熱から、決断し、はじめたとの事。
昨夜、廻りの景色は真っ暗だったが、朝見ると、なだらかな小山に囲まれた四万十川支流沿いの、人家も少ない穏やかな場所で、南側が開けて日光を全面に受けた素晴らしい所だった。
オープンした当初はお客さんもまばらだったけど、地元の農家のお客さんが徐々に増えていって、今では口コミから、遠方からも駆けつけるお客さんもいると。ちょうどこの時期稲の刈り入れ時で、農家は村総出で忙しくいくぶん暇らしいが、いつもは地元の人もよく来てくれて大繁盛との事。
そういえば、昨夜ここに着くまで、地元の人に道を尋ねると、「三堰キャンプ場」の名前は出てこなかったけど、元気酵素風呂の名は何度も聞いた。

元気酵素風呂の看板とお風呂

手早くテントを片付け、中村を目指す。本日も朝の日差しが青々としてる。快晴の田舎道を気持ちよく走った。窪川駅で、朝食のパンを食べた。
その後、道中多少のアップダウンはあったが、きつい上り坂も無く、予定どおり道のりを稼いでいった。今日の宿泊地は中村の街はずれにある四万十川キャンプ場の予定。三蹟キャンプ場と違い四万十川下流の大きな河原の中にあるはずだ。

昼過ぎ、コンビニで買ったおにぎりを、佐賀公園駅近くの海の見晴らしがいい公園で食べた。

13時過ぎごろ、道の駅「ビオス大方」でアイスを食ってたら、おばさん2人から声を掛けられ「お遍路さん?これあげる、途中で飲んで。」とペットボトルのお茶を頂いた。お接待は本当にうれしい。
まだ、日没までは結構余裕があったので、近くの入野松原の中にある宿泊施設ネストウエストガーデン土佐でお風呂に入った。ガラス張りの湯船からは海が見え、時間帯が良かったせいか風呂場を独り独占した。ロビーで休憩しててパンフレット類を見ていると、土佐清水の方のキャンプ場で2日間開催される満月野外ライブのチラシがあった。ポストロック系のバンドが出る面白そうなイベント。1週間後に行われるらしい。・・・このチラシをケツバックに入れてたのだが、いつのまにか落としてしまった・・・非常に残念。

>>お遍路を自転車で・・・10に続く

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お遍路を自転車で・・・25(11日目2)

2007年12月11日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて11日目、写真は須崎の竹専門「竹虎」の竹細工、店長さん、虎斑竹(トラフダケ)。

昨夜の同部屋お遍路さんFさんと別れて、須崎市街に向けて走った。
須崎まで抜ける道は、小さい頃、車で通ったことはあったが、自転車で来るのはもちろん初めてで、山道が続く事を知らなかった。トンネルがあるのも記憶になかった。ゴーヤが道路沿いに干してある。
山道を抜けると、徐々に人里風景が増してきた。そろそろお昼の時間帯。
須崎といえば鍋焼きラーメンが有名で、須崎市街に入って「鍋焼きラーメン」の観光ナビゲーションを探したが、全く無く、結局諦めてうどん屋に入った。チェーンのお店だったが美味しかった。地元の人もいっぱい入ってるし。


続いて、須崎市内にある竹虎を目指した。竹虎は須崎でしか採れない虎斑竹(トラフダケ)を使って竹の生活小物製品を作っている会社。竹楽器を製作する上で参考になるだろうと今回寄ってみた。
店長さんともお話出来て、成果あり。遍路道でもある国道56号線沿いにあるせいか、宿に困ったお遍路さんを泊めてあげることもあるとか。

1日は長い。竹虎を後にして、37番岩本寺に向かった。今日の予定では、岩本寺手前のキャンプ場(前もって3つくらい選定してある)に泊まる予定。岩本寺の前に七子峠という難所がある。車で何回か通ったことがあるが、峠までに長い上り久礼坂という名所の長い坂が続くはず。
秋の午後、七子峠まで久礼坂を上りきる事はテンション上がった。今まで散々峠越えはしてたので、不安は無かったし、久しぶりの大物の峠をクリアする事で、体力がついたことを実感した。

ゴーヤ日干しと七子峠

難所クリア記念に一枚パチリ。うかうかしてられない、今日の宿泊予定のキャンプ場まではまだある、と思い直し、先を急いだ。

なだらかな道路下りながら棚田を横目に走る。
徐々に太陽の照射角度が低い事が気になり始めた。37番岩本寺まで、はたして間に合うのか?と不安感が上昇してきた。

四国八十八箇所のお寺は17時まで受け付けている。まだ、その時間にはぎりぎり間に合いそうだし、お寺を参拝してからキャンプ場に向かっても大丈夫だろうと、途中のキャンプ場に折れる道を無視して岩本寺まで急いだ。

夕暮れまじか、17時ちょうどくらいに岩本寺に到着。急いで参拝を済ます。
さー、キャンプ場に向かうぞ、と先を考え始めた頃、夕日が沈みかけた。
やばいと思って、焦って動き始めたのが失敗だった。
町中をキャンプ場を求めて、感を頼りに走っていたら、日が落ち、一気に視界が狭まくなった。
田舎は街灯が少ないので国道の方面看板ですら見づらくなる。自動車なら全く問題ないんだけどね。

>>お遍路を自転車で・・・18に続く
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お遍路を自転車で・・・24(11日目1)

2007年12月10日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて11日目、写真は前日の夜の展望露天風呂、国民宿舎「土佐」からの朝の眺望、青龍寺、武市半平太像。

朝、国民宿舎土佐で荷物と自転車を預かって貰い、36番青龍寺に向かって人一人が通える幅の山道に分け入った。山道には、小さな仏様がいくつも供えられており、一昔前の遍路道が感じさせられた。
この横浪半島には横綱朝青龍の出身校、明徳義塾高校があり、朝青龍の四股名は青龍寺から頂いたとか。青龍寺には波切不動という立派な石仏が有り、海に近いお寺らしく、剛の雰囲気漂うお寺だった。


お参りを済ませ、国民宿舎土佐に戻り、お世話になった国民宿舎のスタッフさんに挨拶をして、横浪半島の尾根を走る横浪スカイラインを自転車で走り出した。



朝の横浪半島は車も無く、眺望は素晴らしかった。
朝起きる前に既に出発していたFさんはこの誰もいない自然の風景を眺めながら一歩一歩歩いているのか、と思うと羨ましく思ったりした。
自転車で快走するのも気分いいが、歩きお遍路は一味違うようで、古市さん曰く、「歩いてて、周りの景色が変わる瞬間があるけど、それはもうすごい実感があるよ。」と。
自転車の場合、坂道を上る時は歩くようなスピードで、荷物にプラスして自転車の重さが加わり、ただただしんどいだけだが、坂道を下るときは、周りを見る余裕もないくらいスピードが出る。その爽快感は自転車ならでは。
景色をすっ飛ばしてワープしてるし、歩きお遍路とはまた違う楽しさはある。
でも、その土地土地を味わう実感は、歩きお遍路には負けるかな。

横浪スカイラインでは、車にもほとんど遭遇せずに、車道の中央をずんずん走った。何度か、観光用のビュースポットで一息つきつつ走った。
その休憩地のひとつ、武市半平太の銅像のある観光用駐車場で小休止した。武市半平太は坂本龍馬とともに幕末に奔走した志士のひとり、幕末ファンなら知ってるだろうくらいの有名人。

昔、子供の頃見た武市半平太像は、頭がでかくて目鼻立ちがごつい近藤勇のような感じだったが、評判が悪くて作り直したらしい。しゅっとした顔立ちに変わってた。

さらに走ると意外と距離があった。坂の上りと下りを繰り返し、ようやく横浪スカイラインが終わりそうな下り坂に差し掛かり、曲がりくねった坂道を、汗を吹き飛ばす快速で一気に下った。

下り終わり、横浪半島の内海沿いをゆっくり走っていると、歩きお遍路さんを発見。
朝早く先に出発していたFさんと再会した。
昨夜、Fさんには違うルートで次のお寺に向かうと言っていたので、僕が後ろを追いかけて走ってきたことを知らなかったFさんは若干驚いていた。

白装束に身を纏い、大きな荷物を背負って金剛杖を突いて、しっかりと歩いてる。国民宿舎で知った愉快なFさんとは全然違ってて、完全なお遍路さんだった。
Fさんや山梨のお遍路おじさんを知る事で、歩きお遍路さんを見る目が少々変わった。

歩きお遍路をする人は、特別何か深いものを背負って、人にはそうそう語りたくない事情があって歩いているんだろうと。親を亡くした等の人の生死に関わる事や、リストラにあうような人生の重要な境目を経験してとか・・・、そんな理由を抱えているのではないかと、変な先入観があった。
もちろん浅い深いに関係なく、何かのきっかけでお遍路をするのだろうが、そんな事より何より、同じように旅を楽しんでいるんだ、ということがよくわかった。

そういえばおばあちゃんも、「わたしも行きたい、本当にうらやましい、一緒に連れてって。」と冗談混じりに言ってたな。

Fさんと少し話して、別れた。

続きは>>お遍路を自転車で・・・25で。