papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・35(番外編2)

2008年01月18日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路道中の日記は、まだ書いていない所もあるけど一旦置いといて、その他の事を紹介します。

お遍路をして得た事、 自転車の運転技術。
19日間毎日平均7時間程度を自転車で走るとさすがに技術が向上した。上り坂はこう、下り坂はこう、平坦な道はこうという風に。

上り坂の運転技術
腕は肘を曲げないで真っ直ぐ伸ばし、上半身をハンドルに乗せるようにする。そして、腰を浮かせた立ち漕ぎで、重心を若干前において、足腰の筋肉でペダルを漕ぐような意識で、膝に負担をかけないように交互に足を下ろす。
長時間漕いでて疲れたときは、ギアを1~3速くらいにしてサドルに腰を下ろしダラダラ漕ぐ。それでもつらいときは、自転車を降り、自転車を突く。
上りの技術うんぬんの前に、これから上る山や峠の距離と高度を考えて、時間を割り出し、体力をどれだけ失うか、時間はどれだけ掛かるか等、準備計画をしておかないと、無謀な事になるので要注意。
今回失敗した事としては、峠越えする前に自販機が無く、まあ大丈夫だろうとペットボトル1本の水で峠越えに挑戦した時、予想以上に時間がかかり、のどの渇きに萎え切った事が2度ほどあった。
自転車での山上りは歩き以上に体力を使うので、水分補給には十分気を使った方がいい。しかも田舎道では想像以上に水分補給地(自販機・コンビニ・歩きお遍路さん用の湧き水{これは基本的に歩きお遍路用のサービス給水なので自転車道である自動車のお遍路道には少ない})が少なかったりするので事前準備に注意が必要。

平坦な道の運転技術
平坦な道は高知意外は少なかったので、角度が無いストレートな道のみではなく、多少の上り下りも含めて平坦な道としての解説。
まず動作としては、尻をサドルに乗せ、ハンドルを持ち腕を多少曲げて、ひたすら足でペダルを漕ぐ。多少の上り下りはあっても、それぞれの動きをして、平然と漕ぐ。
多少の上りがあれば多少の下りがあり、下りがあれば上りが必ずある。力を入れるか、力を抜いても走れるかの違い。常にノーマルな状態で望めば、そう大差は無い。
ただ、膝の痛みには気を使うべき。ペダルを漕ぐ時間が長時間になるのが平坦な道、知らない間にいつの間にか無理して膝を痛めている。
急な上り坂では疲れたら地に足を付けるし、下り坂ではペダルを漕ぐ事はほとんど無く膝を痛める要素が少ない。平坦な道でこそ膝の痛みに注意したい。実際、平坦な道が続く徳島~高知間で膝を痛めた。
その時、改めて自転車携帯本をめくるとサドルの位置について書いてあった。急遽ながら、本に書いてある事を参考にサドルをぐぐ~んとあげて、ペダルを漕ぐ時、一番力を入れる時の膝の角度を120°位にしてみた。すると、徐々に膝の痛みが引いていった。
サドルが高いと上りの時は多少邪魔になるけども、長時間漕ぐ事になる平坦な道で一番疲労度の少ないサドルのポジションを基本にした方が良いと思う。

下り坂の運転技術
下り坂で一番注意する事は、道の状態と自転車のスピード。
自転車の乗り方はどんな形もありだと思う。
で、道の状態が、国道など整備された舗装道では、大体の場合、車が横をビュンビュン走るので、隣を抜いてく自動車に注意。自分の荷物の横幅も計算の上で安定走行に努めたい。
車は下り坂で特にスピードを出す。山をうねるように下る国道、普通はスピードを出せそうに無い道でも地元の車は、時速80kmくらいで下ってゆく。人力の自転車なんぞお構いなし、自転車で最高速度を出している横を、いとも簡単に抜き去って行く。気を張ってないと危ない。
トラックが横を走ると身体ごと吸い込まれるので、要注意。

次に、道の状態が、一般道や農道などで路面が荒れている道では、道路自体もそうだが、道路施設(カーブミラーやガードレール、路肩等)も十分でないことが多いので注意したい。まあ、そんな道では自動車が走る事が少ないが。
山の砂利道で隣が谷川なんて所もあったので、スピード出しすぎで突っ込まないようにしないと。歩きお遍路さん用の山道はそういう道が多いので特に。峠を越えた後、疲れが取れないままそういう下り坂に入って、油断してフラフラののままあやうくダイブしそうになった事もあったし。
今回、自転車がディスクブレーキのMTBだったので、いざという時のブレーキには多少安心があったけど、ブレーキの効き具合、自転車の性能に応じてスピードには十分注意しないと、本当に危ない。

一番スリルがあるのが下り坂。楽だし気分もいい、でも気をつけるのはこの瞬間。峠越えの上りで汗だくになった後の下りは、風を受け体温が一気に下がり汗も引き最高に爽快。でも時おり凍りつく瞬間もある。万が一の怖さを十分に意識すべし。

色々と自分なりの乗り方を書いたけど、お遍路に挑む前に自転車専門の本をしっかり読んで準備しとけば楽しく乗りこなせると思う。

続きの番外編は>>お遍路を自転車で・・・36
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お遍路を自転車で・・・34(18日目3)

2008年01月10日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて18日目、写真は高知の名所「沢田マンション」。


49番浄土寺の参拝を済ませ太陽が西空に落ちかける中、松山市街地まで先を急いだ。今日の宿泊地は、松山市街にある民宿。
松山市街地につく頃にはすっかり夜になっていた。一度来た事がある松山だが民宿がある場所まではわからず、地図と格闘しながら住宅地をずんずん走って行った。こんなとこにほんとにあるのか?と疑いつつ。

住宅地のど真ん中にこれまた普通の家の民宿があった。挨拶を済ませて部屋に通してもらう。部屋はガラス戸で仕切られた個室で、居候のような部屋だった。
素泊まりだったので、近くのファミレスに食事に出かけて、戻った。
お風呂は1人用のシャワー付き風呂があったけど、宿泊客みんなで使うので、しっかり確認してから入ってねとのこと。着替えを持って行ってみると、若い10代くらいの恋人同士が控えのソファーのある待合室でひっそりとお風呂を待っていた。なんだこの民宿は?まるで隠れ家のような雰囲気をかもし出している。
もう一人、50代くらいのおじさんが、風呂上がりのビールを楽しんでいた。
風呂を待つ間、待合室でそのおじさんと話をした。
このおじさんは証券会社の人だった。もうこの民宿に1ヶ月くらい泊り込みで、株券を売るために毎日自転車で何人かの顧客を廻っているとのこと。
証券おじさんの話では、田舎の大金持ちを狙って株を売りつけ、ダーンと儲けると、株券の完全電子化の前に一儲けしようと踏ん張っている最中とのこと。
話の内容は恐ろしいものだった。ある程度絞ったリストから、田舎の街に長期滞在し、適当な顧客の調査から始まり、顧客のお宅・事務所等に毎日通って信用を得て、株を売りつける。その株の値段はある時一気に値を落として、その辺りで儲けるんだとか。どういう仕組みなのかは聞かなかったが、とにかく儲けるらしい。
1回成功するとその売り上げは半端な金額ではなく、うん千万の単位。「田舎のボンボンが狙い目、思いがけない資産を持っとる」「1回落ちると、何回もつぎ込んで、まあその後は悲惨やね」と言っていた。話す事が出来るんだからもちろん違法行為ではないのだろう。
想像できない話ばかりだったので、どこまで本当かはわからないけど、聞き入ってしまった。
1時間ほど話して、シャワーを浴びた。

前に名古屋に仕事で行った時に、飲み屋街の道路には路上駐車場が多くあり、飲酒運転を公然と認める街だなと思って見てたら、昔は自動車業界が飲酒運転事故に対するメディア報道や警察に圧力を掛けてたなんて噂も耳にした。
どんな業界・組織でも己に有利に働くように手を掛けて場合によってはその敵を陥れようとする、ある意味自然な事なんだろう。理解して自らの手を染めるか、理解しないで知らず知らず手伝っているかの違いではないか、と考えたりして、結局うやむやのまま就寝。

お遍路19日目の朝、民宿に別れを告げ、松山市の中心街へと向かった。今日は高知に帰るだけ。すぐ帰るのももったいないので、松山を観光。

コンビニでパンを買って、松山城下の公園で食べて、松山城散策に出かけた。
松山城は平山城で、その山自体が結構大きい。何日か前に見た宇和島城の倍以上はある。城郭の規模も大きく二ノ丸庭園等、広大な敷地に贅沢な施しをしてある。松山城も宇和島城と同じく現存天守閣の一つで、天守は立派だった。石垣も美しい。本丸広場では幼稚園の遠足?おさんぽ一団?が集合しており、にぎやかな雰囲気だった。松山城の詳細は松山市の公式サイトが詳しいのでこちらで。
色々見て周り3時間(それでも物足りなかったが)も散策してしまった。

道後温泉にも行きたかったが、昼過ぎになり、帰りの長距離バスの時刻によっては無理かもと思い、まずはJR松山駅へ。

夜遅くに高知に帰りつくのは避けたかったので、16時の便で帰るとして、残り3時間30分程。飯食ったら残りは3時間。自転車を解体するのに30分。今回は道後温泉は諦めた。
道後温泉は、次、お遍路始める時に行けばいいかと、まあゆっくりするかと松山駅に腰を落ち着けた。
駅のラーメン屋で味噌ラーメンを食べて、食後に近くをぶらぶらした。
ぶらぶら松山駅前を行ったり来たり。
ただ、JR松山駅前ってなんもないんだよね…

予定の1時間前に駅前に戻って、自転車を解体。自転車を輪行袋に詰め込んで、バスを待った。
そのうちバスが停留所に止まり、乗り込んだ。

愛媛の高速道から眺める愛媛の町の風景は瀬戸内のオレンジ色の雰囲気で、穏やかだった。太平洋沿いの高知とは違う。
バスの乗客は少なかった。
しかもほとんどが途中で降りてしまい、夜、高知駅に着いた時には、数えるほどになってた。
高知~松山間の人の交流は少ないみたい。

高知駅で再び自転車を組み上げて、自転車で実家に帰った。
とりあえず、1番霊山寺~49番浄土寺お遍路の区切り打ち一旦終了。

お疲れさま!と。


以下、写真は高知に帰ってから廻った場所の写真。

右上から幕末非業の死を遂げた岡田以蔵のお墓。
以蔵さんのお墓は、沢田マンションの裏手の山の中、獣道のような山道を少し登った所にそれはあった。
そこは、こんな場所に本当にあるのか?と思えるくらいひどい場所だった。
山道を歩き進むと、藪の中にお墓が多数見えてきて、その中で、ひとつだけ新鮮な花にうずめられたお墓があった。
以蔵さんのお墓だった。
お酒も添えられてた。

来た甲斐があったというか、すごくうれしかった。
頭を垂れて、しっかり手を合わせてきました。

山を下りると、所々、蚊にやられてた。

そして下は長宗我部元親の墓と長宗我部家臣の一領具足の六体地蔵。どちらも献花が一杯で、以蔵さんのお墓と共に感動しました。
歴史の片隅でも、それを大切に守ろうとする人達がいる限りは、ほそぼそと語り継がれて、そのうちしっかりとした評価されるのではないか、と思い。願います。


続きは>>お遍路を自転車で・・・08
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お遍路を自転車で・・・33(18日目2)

2008年01月09日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて18日目、写真は45番岩屋寺近くの観光名所、古岩屋。

久万高原のキャンプ場でむかえた朝は寒かった。
テントを空けると霧で景色がうっすらとしてる。少しすると朝の日差しが差し込んできた。しかし異常に寒かったので再び寝袋に入り込んだ。30分ほどして、太陽光線も十分差し込んできたので、ようやく起床。
まだ少し霧が残っていたが、出発の準備、テントを片付けた。キャンプ場の丘を下山する頃にはすっかり霧が晴れていた。


霧が晴れる前後の風景


出発してから30分ほどで45番岩屋寺の入口に着いた。
岩屋寺は山の中の岸壁に張り付くように建つお寺で、名前のとおり岩屋のお寺だ。お寺の入口から本堂までは徒歩でないと行けず、自転車を登山道入口において、急な山道を歩いて登った。15分程度かな。



よくまあこんなところにお寺を作ったなと思える建造物。お寺には自動車が入れないので、資材はクレーンで釣ったり歩いて運んだと、掃除のおばさんが言っていた。もちろんクレーンで釣った資材の建物は最近の住職さん居住用の母堂のことで、昔からの建物は全て歩いて荷を運んでいるはず。どこの山寺もそうだろうけど、恐れ入る。
朝から参拝客も多い、紅葉の季節なので普通の観光客も沢山来ている。鐘を突いて参拝を済ませ下山した。
岩屋寺周辺の景観「古岩屋」もすばらしいもので、観光気分でいろいろ見ていたら、時間が刻々と過ぎてしまい、10時30頃になってしまった。古岩屋温泉にも入りたかったが開館時刻まで待つ時間はなく、急いで荷物を置いてある久万高原旅行村に舞い戻った、ついでにお昼も早めに済ました。
山菜うどん定食。

12時前に久万高原旅行村に別れを告げ先を急いだ。
今日はお遍路区切り打ちの最終日、松山市内のお寺を廻って、一旦お遍路を終える予定で、松山まで行って可能な限りお寺を廻るつもり。

国道33号線沿い、緩やかな坂道の続く三坂峠を越えると、松山市外の平野を一望できるすばらしい眺め。そのまま国道を下ると松山市街まで一直線だが46番浄瑠璃寺に向かうため途中で一般道にそれた。
みかん畑を横目に急な田舎道を下り、細い道を走ってゆくと46番浄瑠璃寺に着いた。
手早く参拝し、47番八坂寺ヘ向かおうと思ってたら、自動車で廻っているお遍路さん夫婦の旦那さんに「自転車で廻っているんだ?」と、声をかけられて、少し話をした。
自動車お遍路さんのお遍路動機はおかしな内容で、1年ほど前に痴漢の疑いをかけられ、会社を辞めて、誰も信用できなくなったので、神にすがる気持ちで日本全国の寺社仏閣を廻る旅に夫婦で出た、その流れでお遍路も廻っているとか。今まで廻った神社・寺社の数はなんと1000を軽く超えるらしい。
ずっと廻っていると不思議な事にいろいろ相談事を受けるようになって、今は結婚相談の仕事もやっているという話だった。なにやら不幸なようなおかしな話だが、その雰囲気に前向きな意気込みが感じられた。
別れ際に、「これも何かの縁だから」と、小さな飲むお守り(薄い紙のお守り)を頂いた。「必ずあなたを守ってくれるよ」と言っていた。
ありがとうございます、とお礼はしたけども、う~ん、と唸ってしまった。

46番浄瑠璃寺を出て47番八坂寺に向かった。すぐ近くにあり道にも迷わず参拝する。15時が過ぎようとしていたので先を急いだ。
48番西林寺までは多少の距離があった。もう山道は無く、平野のなだらかな田舎道を地図を見ながら進んだ。
人家も増え、見慣れたような平地の都市近郊の風景。大きな橋を渡り、少し走った所に48番西林寺はあった。
お寺はちょうどその日はハワイ移民??年祭りとかで焚き出しが出てTVカメラが来ていた。
大型バスから外国人お遍路さんが多数降り立ち、なにやら珍しいものに楽しげな雰囲気。
お寺のお祭りも楽しそうだったが、時間も押し迫っていたので、参拝後急いで次に向かった。

49番浄土寺。既に街中に入ってしまい、道にも迷いそうになったが、17時ギリギリで到着。参拝客もまばらな中、参拝を済まし、ご朱印を押してもらう。仁王門に一礼をして長かった今回のお遍路が終わった。この49番浄土寺で一旦区切り打ちをするつもりだ。次またいつかリスタートする時は50番繁多寺から。
今日の宿泊地である松山市街にある民宿に向かった。

続きは>>お遍路を自転車で・・・34
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お遍路を自転車で・・・32(17日目)

2008年01月02日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて17日目、写真は国道379号沿い風景。

>>>お遍路を自転車で・・・21の後、
朝、野宿した大洲の河原を出発し、久万高原に向かって走った。久万高原までは国道を使ってのなだらかな上り道で、今日一日掛けてその上り坂と戦う予定。
内子町辺りで、逆打ちの自転車お遍路さんと遭遇した。若い女性、自転車の装備が僕と違って、荷物を自転車に備え付けるタイプだった。
ここまで20kg近いザックを背負って徳島~高知~愛媛と走ってきたが、やはりしんどい。ケツも痛いし、足腰も痛い。自転車のサドルを微調整しつつここまで踏ん張ってきたが、荷物は自転車に積むスタイルの方が断然楽だと思う。

内子町を過ぎてから、コンビニで朝食。この辺りから本格的に山道になってきた。国道だから、急傾斜の道はほとんど無いけど、じわじわ上る舗装道路も体力を使う。ただ景色は抜群だった。
内陸の低い山々に囲まれて、穏やかな流れの川沿いに、のんびりとした田舎の風景がずーと続いてた。徳島でも高知でも穏やかな山村風景は沢山見てきたが、また一味違う。
一口に田舎風景と言うけど、それぞれ特徴があり景色もにおいも肌触りも違うし、季節や天気時間帯によって受け取る気分も変る。この辺りの風景は、今までで一番の穏やかさがあったように思う。

校舎と川を挟んでプールがある学校 と、たらいうどん

昼は道の駅「小田の郷せせらぎ」でたらいうどんを食べた。ブチブチうどんが切れて食べづらかった。うどんって歯ごたえがあってこしもあってが基本だと思ってたからか、ん?って感じだった。鮎のだし(たぶん)が美味しかった。
久万高原までは残り10km程度、標高も随分と高くなり、両脇の風景も視界も狭まく、道も細くなった。袖に見える谷川もよりいっそう綺麗になってきた。
傾斜も当然きつくなる中、先を急いだ。
国道が所々工事中で、途中で通行止めとなった、一時的なもので30分おきぐらいで通行者と自動車が通行できる。13時過ぎくらいから20分ほど足止めを食らった。
その間、何台かの車がエンジンを止めて待機していた。
高知からの観光客としばし談笑。紅葉を見に、日帰りでここまで来たけど結構大変だったとのこと。隣の県だけど、山で隔てられてなかなか訪れる機会が無いので10年ぶりの愛媛県だと話していた。

通行が再開し、工事用の重機を横目に上りの山道を走っていると、途中から久万高原エリアに差し掛かったようで、道が下り坂になり、開けた山間部に入った。

少し道に迷い、時間が掛かったが、16時くらいに44番札所大宝寺に到着。
参拝を済ませ、久万高原町に戻り、45番岩屋寺に向かった。もう日暮れも近かったので、途中にある久万高原ふるさと旅行村に行ってキャンプする手配をした。荷物を置き、急ぎ近くのお店に晩飯を買いに行った。
まだ17時過ぎだったけど、この時間帯で営業しているお店は酒屋さんだけ、スーパーは17時で閉店。
その酒屋さんは昔造り酒屋だったそうで、その時の銘柄の「旭王」ラベルを見せて貰った。この町にも過疎化の波は激しく、今は家族も離れ、酒屋のお母さん一人でお店を守っているとのこと。
酒屋にはおつまみしか置いてなかったので魚肉ソーセージ、プリッツとお酒を買って、キャンプ場に戻った。



管理棟に荷物を預かって貰っていたので、取りに行くと「もうこれしかないけど」と、蒸し饅頭を頂いた。
もう既に真っ暗闇だったが、久万高原ふるさと旅行村内のキャンプ場エリアまで、林の中を手探りで行った。
キャンプ場は、夜空の星を見やすいようにと、照明がほとんど無いつくりになっている。常備しているライトが無ければ前へ進めない程の暗闇だった。
久万高原は思った以上に気温が低く、体が冷えてくると、凍えるほどの寒さになった。
星空の中手探りでテントを張り、急いでアルコールを体に入れた。

常備の上着だけでは寒いので、今まで一度も使わなかったレインコートを着込んだ。
それでも寒い。お酒でいくらごまかしても、体は熱くならない。
遠くの方から犬やら何やら訳わかんない遠吠えも聞こえるし、時間が経つごとに寒くなる。
非常食のラーメンを最後に食べて、寝た。

続きは>>お遍路を自転車で・・・05
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