papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・58(10日目2)

2008年02月21日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて10日目、写真は34番種間寺付近のコスモス畑。

桂浜には高知に帰る度に来ているが、この時は寄らず先へ向かった。
ちなみに桂浜には坂本龍馬像があり、龍馬記念館、闘犬センター、水族館、浦戸城跡、バンカラ記念碑もあり、砂浜自体も月の名所で、絶対に一度は月見酒を飲んでみたいくらい絵になる浜辺だ。それと、五台山と同じく高知市の小学生の遠足名所なので、何度もここに来た記憶がある。

そんな桂浜エリアを離れ33番雪蹊寺へ向かった。途中、草ボウボウの原っぱのような公園に長宗我部元親像があったので立ち寄る。うーん素晴らしい立像。でも観光客が来た形跡もほとんど無く、全く高知の観光要素になっていないのが悲しい。その辺りはこちらで>>お遍路を自転車で・・・19

日差しが強くて汗だくになりながら、33番雪蹊寺に着いた。雪蹊寺は長宗我部元親の菩提寺となったお寺で、境内には元親の長男、長宗我部信親のお墓もある。信親は烏帽子親である織田信長から「信」の一字を貰っており、元親から期待された跡取りであったが、仙石秀久の無謀な策によって命を落とした武将。そんな見所のある雪蹊寺には期待感があった。
お寺自体はそれほど広い敷地ではないが、案内板もあり、信親の墓も時代を感じさせた雰囲気があり、まあ楽しめた。
参拝をしてご朱印を頂きに納経所へ。ご朱印を書いてくれた年配のおじさんが、さっきまでお寺を掃除していた人で、「今住職やらみんな出払っているから」とお坊さんの代わりに書いてくれた。「ごめんよ、へたくそな字で」と震える筆先を走らせていた。出来上がりは味があって面白い。

12時半くらい、朝用意してもらったお弁当を雪蹊寺の境内で食べてから、次の34番種間寺へと向かった。
田畑の続く田舎町を走っているとコスモス畑が目に付いた。春野の辺りにはそれほどなじみが無かったので、平野の広さと田畑の多さに豊かさを感じた。

34番種間寺について、お寺の前にある商店でシューズを買って一休み。次の35番清滝寺の前に待ち合わせを予定してある祖父母に到着予定時刻を連絡。そして種間寺を参拝した。
種間寺を離れてから、仁淀川に向けて走っていた。途中でウナギの蒲焼工場があり、その匂いにお腹が鳴った。
仁淀川がなかなか見つからない、小さな集落を過ぎるとようやく仁淀川の堤防が見えてくる。

仁淀川大橋を渡って待ち合わせポイントへ急いだ。
ここ何年かで出来た新しい国道バイパス沿いに走って、途中で道を折れ、待ち合わせ場所の軍人墓地なる場所へと走った。
軽自動車が2台あって祖父母が地元のおじさんと話していた。田畑が広がる見通しが好い田舎の一本道、他に通行する車も無い。遠くから自転車にすぐ気付いてくれて、あらあらと出迎えてくれた。
この続きは、>>お遍路を自転車で・・・19で。

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お遍路を自転車で・・・57(10日目1)

2008年02月20日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて10日目、写真は32番禅師峰寺から見た太平洋。

朝、朝食後、荷物を整理し直し自転車を再度点検、少し手間取り、8時過ぎに家を出た。お遍路後半戦のスタート。昨日購入したスパナのサイズが合わなかったので、高知市街の100円ショップで再度スパナを購入。31番竹林寺を目指した。
高知市街のはずれにある五台山、その山の頂上付近に31番竹林寺はあり、小さい頃から何度も行った事がある場所。道には迷わなかったが、浦戸湾の海がすぐ側にある山だって事は知らなかった、意外な発見。
大きな橋を渡って、五台山を上ってる時、高校時代にバンドの練習で、山を上った途中にある公共施設で、バンド系のみんなで卒業ライブの合同練習したのを思い出した。
はー 懐かしい。この夏に一度車で竹林寺に来たけど、そんな思い出は全く思い出せなかった、なんだか不思議。

31番竹林寺の隣に小学生の頃に遠足で行った牧野植物園がある。その牧野植物園は、昔と比べて新しく施設の規模も大きくなっていた。昔からあったコンクリート製の恐竜像は、尻尾を地面に下ろしたゴジラスタイルで、時代を感じさせるたたずまいのまま。
31番竹林寺は苔生した庭園が綺麗で、その他にも見所がある広いお寺。
本堂で参拝していると、境内にいたお遍路おばちゃんが納経箱をガサガサあさっていた。気にせずお経を唱えていると、そのお遍路おばちゃんが、金札を見つけた、と、側にいた僕に、ありがたいから取っておき、とその金札を手渡してくれた。
金色ヴァージョンの納め札は、50回以上お遍路を巡礼した人だけに許される納め札。このような珍しい納め札は持ち帰ることを許されているらしい。大丈夫やから、というおばちゃんの言葉に、ありがたく頂いた。

竹林寺を離れて、32番禅師峰寺へと五台山を下る。山を下りると古い町並みがあり、それを横目に川沿いに東へ向かった。プロ野球の球団も春にキャンプする東部公園を過ぎて走っていると、武市半平太旧宅の案内板があり、立ち寄った。中は閉まっていたので、何も見れなかったけど、なるほどとは思った。
トンネルを抜けて、少し走ると、住宅団地もあって迷いそうになったが、案内板に助けられて、10時半くらいに32番禅師峰寺に到着した。

32番禅師峰寺は海が近くまで迫った小山の上にあり、境内から太平洋が一望できる。境内から海を見られるお寺はいくつかあるが、お遍路で廻った中ではここが一番きれいだった。立ち寄った時間帯、天候も影響してるんだろうけど・・・
駐車場で休憩していると、バイクや車、歩きのお遍路さんが次々上って来る。9時から15時くらいの間が一番お遍路さんを見かける時間帯。皆さんしっかり挨拶をするし晴れやかな顔をしてる。

禅師峰寺を出て、海沿いに走った。海水浴場のある種崎から浦戸大橋を越えて桂浜へ渡った。この浦戸大橋は歩道も狭く、車道も狭く自転車では渡りづらい、というより、走ってて横を抜き去る自動車がかなり怖かった。まあ幹線道路ではないからしょうがないのだろうけど、観光客は必ず通る橋だから、もう少し歩行者や自転車の事も考えたアイデアが欲しい道路。

続きは>>お遍路を自転車で・・・58で。
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お遍路を自転車で・・・56(9日目)

2008年02月18日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて9日目、写真は、長宗我部盛親展の見出し看板。

平日の朝、久しぶりにゆっくり起きて朝飯を食べた後、自転車を洗って洗濯物を干して、休憩。ついでに早目にお昼を済ませた。今日は、自転車の修理と足りない物を購入して、時間があればお寺を参拝する予定。

ネットで自転車屋を調べて出かけた。100円ショップで自転車の潤滑油と小物袋を購入し、自転車屋へ。自転車屋でギアの位置等の細かい調整をしてもらった。プロがやると全然違う。ギアチェンジもよりスムーズになった。その足で30番善楽寺へ向かう。

30番善楽寺までの間に土佐神社があって、ついでに参拝。
30番善楽寺は土佐神社の近くにあり、観光バスも数台来ていた。境内はそれほど広くないが、建物は比較的新しいお寺だった。
その後、高知県立歴史民俗資料館で開催されている長宗我部盛親展を見に行った。翌日、会う約束をしていた祖父にその盛親展の資料本をプレゼントするために行った。
お客さんは少なかったが、戦国末期の須崎の繁栄ぶりやら、その当時土佐でも鉄砲が生産されていた資料等があり、なかなか面白い内容だった。
続いて資料館の周囲の(資料館は岡豊城跡の山にある)岡豊城跡を見た。城跡は、立派な建物こそ無いが、遺構としてその形状をイメージさせられる程度のものが残っており、ぐるっと見て廻って、そこそこ楽しんだ。
太陽が落ち掛かっていたので帰宅する。


※この後は、お遍路を一旦終了し、松山から高知に戻って3日後のはなし。
明日から仕事でまた徳島へ行く事になり、その前にと高知城に行ってから、高知のライブハウスへ遊びに行った。
ライブでは久しぶりに大音量を楽しんだ。地元のバンドも出ていて学生風なバンドも出ていた。トリは宇和島の全国ツアーを廻っているバンドで、技術はあったが面白みは無い、これなら地元の学生バンドの方が色んな意味で面白い、なんて思いながらライブハウスを出た。

帰り道、宇和島のバンドに納得できなくて、コンビニでビールを買い、帰る途中にある公園に立ち寄った。公園のブランコで中学生のカップルが何やら話していて、ちょっと気まずいかなと思い帰ろうとしたら、そのカップルがすぐ立ち去ったのでベンチに座って休憩した。
10分ぐらい過ぎて、知らないおじさんがやって来た。何かなと思ったら、今度はパトカーがやってきた。どうやらおじさんとは関係なく、先ほどのカップルがまだ公園の入口付近で話し込んでいて、近隣住民が電話で通報したらしい。

おじさんと、なんだろうねとパトカーを見ていたら、警察官が2人出てきて話し始めたので、気になり近寄ってみた。中学生のカップルは住所とか名前とか学校とかを聞かれていた様子だったので、中学生が夜公園で話す事が学校や名前を取り調べられる程悪い事なのか、と警察官に聞いてみた。
2人の警察官と一緒に警察官の業務内容について少し突っ込んで話し合っていると、もう帰っていいからと中学生のカップルが開放されたので、話を打ち上げた。警察官は納得できないのか、何で帰るんだ、自転車か?飲酒運転だぞ。と言われ、自転車を突いて公園を出た。
横で一部始終を見ていたおじさんもどこかへ去って行った。

結局、知らないおじさんは何をしていた人なのか、はよくわからなかった。

続きは>>お遍路を自転車で・・・57で。
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お遍路を自転車で・・・55(8日目4)

2008年02月16日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて8日目、写真はへんろいしまんじゅう前の水路。

28番大日寺を参拝、29番国分寺へ向かって田舎道を西に向かっていた。途中で舗装道が無くなって、田畑の間の砂利道を通ったりしながら走っていた。大きな橋を渡って川の堤防をずっと走って、また畑に挟まれた農道を走った。そうこうのらりくらり走っていると、昔、宿場町だったような古い田舎町に着いた。
「へんろいしまんじゅう」という看板が目に付き、走るのを止めて、自転車を降り、写真を撮った。
「へんろ~」看板横の水路の上には石橋の水路が掛けられ、水路は四方に伸び、その水路沿いに道が続き、その道沿いに商店街が造られている。
石橋の水路の見た目は、新しいか古いか、高価か安価か、デザインは斬新か一般的か、有名か無名か、で言うと全部が後者に当てはまる内容だけど、風景と一体化していて綺麗だった。

雨が降り始めたので、へんろいしまんじゅうを離れて、29番国分寺へ向かう。
雨足が強くなったので、大型店舗の軒下でしばし待つ。地図を確認すると、もうすぐその先に国分寺がある事がわかり、少し小降りになったのを見計り、国分寺へ向かった。
29番国分寺は、田んぼの真ん中にあり、昔、大和朝廷が土佐の治めと定めて造営した、恐らく高知で最古のお寺。建築物は再建されたものだろうが、屋根が茅葺で厳かなお寺だった。
山門前の、シャッターが降りた土産物屋の軒下に自転車を停めて、山門をくぐった。
既に17時になろうとしてたので、参拝前にご朱印を貰った(※17時過ぎると納経所が閉まるので)。小雨の中、広い境内を走って本堂・太子堂と参拝した。
参拝が終わると、雨の中、さぁ家に帰るか、と安堵しながら自転車を跨いだ。まあ1時間も走ればつくだろうと思っていた、地元だし、と。

雨具を着た方がいい事はわかっていたが、小雨だし、たいした距離ではないと高を括って走っていた。しかし、日も暮れる中、ここまで濡れたら今更雨具着けても意味ない、ってぐらい勢いを増して雨は降り続けた。
ずぶ濡れになりながら国分川を渡り、地図を見て、ここまで辿り着けば多分知った道になるだろう、と目指すポイントを定めて先を急いだ。
田舎の一本道ならただ進むだけだが、田舎とはいえ高知市内、道は四方に伸びるようになり、道が別れる度に「これだ!」と道を決めて進んで行くと、さらに複雑な道に入ったりして、これは迷う、と思った時にはじめて地図を見て、道を転換したりして走った。


29番国分寺
目指していたポイントに着いた頃には日が落ちていた。多少なりとも町の明かりはあったが、知っているはずの道がわからない。高速の高架なんて昔は無かった・・・記憶にあるこの辺りの道路事情は10何年も前の内容で、高速も大きな幹線道路も何も無い景色。
またふらふら、とにかく西へと、来た道を戻ったり右往左往と苦戦して走っているうちに、雨がまた強く降ってきた。雨を避けようとコンビニの前で休憩していたら、雑誌を立ち読みしている中学生がずぶ濡れの自分を不審そうな目で見ている。

雨が小降りになり、なんだか、やるせない気持ちで再び夜道を走っていたら、ようやく知った道路に辿り着いた(夜道じゃなければここまでこんなに迷わなかったとは思う)。
その勢いで実家に向かった。道なりに走って、大型スーパー前で実家に連絡を入れて、それから30分後くらい、19時過ぎにようやく実家に到着。

実家では、カツオのたたきを用意してくれてて、雨に濡れた衣服を着替えた後、晩飯に食いついた。屋根の下がこんなにありがたいものか、と感じた夜だった。

続きは>>お遍路を自転車で・・・56で。
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お遍路を自転車で・・・54(8日目2)

2008年02月15日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて8日目、写真は安芸城跡。

27番神峯寺を参拝して、途中で自転車を修理してから、安芸市へ向かった。安芸の市街にはお寺は無いが、見る場所(観光要素)がある。まだ9時半過ぎ、お昼の時間まではかなり早かったが安芸でちょっとゆっくりして、お昼ご飯を食べようと思った。

安芸の町に着いて川沿いに上った。田んぼの続く道を走って、野良時計を見て、安芸城跡に着いた。安芸城跡は外堀は立派だったが、中にある本丸跡は小山程度の大きさ。以前本で読んだイメージだともう少し大きい事を想像してたが、意外なサイズにがっかり。安芸城跡内にある安芸市立歴史民俗資料館を見に行った。調度その年は大河ドラマ「功名が辻」をやっていて、それに関係のある土佐藩山内家や五藤家に所縁のある品々を展示していた。お客さんは誰もいなかったが、内容は良かった。

資料館を出て、お昼を食べにお店を探しに安芸城跡を出た。途中、安芸の武家屋敷集落「土居廓中」を通る。土居廓中は竹垣や板塀の美しい町並みで、屋敷内には入らなかったが現在も人が住んでるようだ。

廓中ふるさと館という観光施設で、シラスかき揚丼とどっちにするか迷ったあげく、ナスカレーを食べた。これが今まで食べたカレーの中で3本の指に入るくらい美味しい!これはと慌てて撮影。シラスかき揚丼を頼んでるお客さんが隣にいて、これまたすごく美味そう。店内はまだ昼前なのに満席、座り切れなくて外のベンチでシラスかき揚丼だけ持って食べているお客さんもいた。店員さんは地元のおかあさんばっかりで、忙しく注文を受けていたが明るくて楽しそうだった。こういうお店は気分が良くて好きだ。食後にユズシャーベットも食べて、大満足。

絶品カレーとシャーベット

お腹も満腹で、12時過ぎに再び走り始めた。安芸の平野は田んぼやビニールハウスが多く、ずーっと広がっていて、土地の豊かさを感じさせてくれる。高知県に入ってから、山と海ばっかり見ていたので、平野で田畑が広がっている風景が新鮮で嬉しかった。

安芸を出て、また国道を海岸沿いに走る。琴ヶ浜、手結の海辺には自転車専用道路があり、アップダウンも少なく、スムーズに距離を稼いで走った。
手結の海水浴場に隣接する道の駅「やす」で休憩していると、大きいエンジン音とともに派手なアメリカンバイクの一団が駐車場に入ってきた、オープンカーも数台。乗っている人達は、比較的年配の人が多かったが年齢層も様々で、若い女性も結構いた。ヘルメットとサングラスを取ると白髪の60代だったり、レスラーの蝶野みたいな親父やら、みんなカッコイイ。というか、かっこつけて走るのが楽しいんだろう。関東近郊ではたまに見かけるが、高知でこういう光景を見るとは思わなかった。

道の駅「やす」を出て、国道55号を走って、竜馬の湯という温泉施設で足湯に浸かり、28番大日寺に着いた。ちょうど15時、今日ここまで休憩を取り過ぎたのか、この後の予定が気になり始めた。
28番大日寺を参拝し、次へ。幹線道路を離れると、しょうが畑を横目に田舎道が続く。この道がどこに続いているのかはわからないが、山が北にあるので方角はよくわかる。とりあえず西に向かって走った。

続きは>>お遍路を自転車で・・・03で。
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