papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・17(4日目3)

2007年05月29日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

写真は、お遍路4日目に入ったわじき温泉の湯舟。

わじき温泉は、その日予定していた太龍寺行きを諦めて、その晩の寝床のわじきライン林間キャンプ場近くの温泉。
日暮れ頃、キャンプ場に向かいながら地図を見てて、わじきライン林間キャンプ場は近いな!と思って走ってんだけど、以外に遠く、迷ったりしながら町を越え、ようやく到着した。とりあえず挨拶がてらキャンプ場の管理ハウスを訪問したら、出迎えてくれた管理人さんはとても変わったおじさんだった。
管理人さんは、冬のキャンプ場休業期間、北海道に長い間キャンプをする人で、冒険家とまではいかないだろうが、アウトドアライフスタイルを実践して人生を楽しんでいる人だった。考え方ももちろん独自。管理をしているわじきライン林間キャンプ場も、自治体から請け負ってやっているのではなくて、自前で経営・運営しているオーナーだとのこと。
うまく説明できないが、東京ではまず出会ったことがない大人だった。

話し込んでいるうちに日も暮れ暗闇が覆い始めたので、早々にテントを張って、近くのわじき温泉に自転車で向かった。
途中、道が真っ暗で怖かった。山に囲われた真っ暗な闇の川沿いを自転車で走る感覚は、梶井作品で出会ってたようなイメージ以上で、恐怖以上に原始的な気分にすらなった。
真っ裸で自転車を漕いでいても誰にも気にされないような、そんな感じ。横は急峻な谷川、農道の一本道を、ほのかに見えるオレンジ色の一点に向かってそろそろ走る。ライトの射す辺りとオレンジ一点以外は全くの闇。自分すら見えない、目を奪われたかのような境目の無い感覚。

わじき温泉は人が少なく、浴場を1人で独占した。休憩所でゆっくりしてたら、いつの間にか温泉の食堂が終了してた。
この付近にご飯が食べられる場所など一切無い。しょうがないので、キャンプ場に帰り、常備していた即席ラーメンを食って、ビールを飲んで寝た。
キャンプするのは2回目で、寝袋が心地良く、キャンプ初日よりは落ち着いた感じで身体を休められた。

続きは>>お遍路を自転車で・・・13で。

どっか行きたい、、、

2007年05月21日 | 歌・ミズキ
忙しい!ここ半年の穏やかな日々が嘘のようだ。気候も良くなってきているのに、どこにも行けないや。MTBでダートコースをガーッと走りにでも行きたいなー。

先日はライブに来てくれてありがとう。久しぶりのHEAVEN'S、なんだかんだいってもホームって感じがしなくもないです。
今回ちょっとテンポが速かったね。結構ゆっくりやってるつもりなんだけど。まだ、最新モデルのフレーズをコントロールしきれていない。旧モデルより音数が格段に減ったので、フレーズに機動性はあるんだけど、ちょっとでもバランスを崩すと、グルーブに乗り切れなくなる。意識していないところでスピードが上がりすぎると特にね。もっとコントロール技術を上げないと。ともあれ、ライブでの「KODAMA 」のおもしろだが実感できたから良かった。
最初からテンポがキーなのは分かっていたので、「走るな危険」とオルガンに大きく張り紙したのに、ライブ中は全く目に入らなかった。意味なし!

お遍路を自転車で・・・16(13日目1.5)

2007年05月20日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて13日目、写真は、38番札所金剛福寺に向かって急いでいる午前中に立ち寄ったお遍路小屋。

お遍路小屋とは遍路道の途中にある休憩所、もしくは宿泊所。大体がお手製の小屋で、お遍路さんの休憩目的だけでなく、情報を得たり交換したりする場でもある。お遍路さん用のノートやメッセージボードが置いてあったりして、まあ、歩きつかれたお遍路さんのための癒しポイントだったりもする。基本的には地元の民間企業、個人・団体の融資で作られたものが多い。自治体が作ったものもあるんだろうけど、そんなに見かけなかった。四国の自治体公務員は、もっとお遍路さんに視点を向けるべきだ、なんて思ったりした。
この38番札所金剛福寺まであと数キロの場所にある遍路小屋では、定年を過ぎてお遍路を廻っている60代のおじさんに出会った。
お名前は聞かなかったけど、面白い話を聞いた。おじさんが言うには、学生時代に一度四国八十八箇所お遍路を廻ったことがあって、今回、お遍路を2回目で廻っているんだとか。昔は道路も整備されていなかったから、浜辺をひたすら歩いたり、苦難の連続だったとか。「今回の遍路は何日目ですか?」と聞くと、まだ2日目だと。区切り打ちをしているとの事で、37番札所岩本寺から2日目とのこと。「忙しくて八十八箇所を一気に廻れないんですか?」と聞くと、こんなに楽しい事を1回で廻って終わらせてしまうのはもったいないから、ちょっとずつ廻っている。と言っていた。
スケジュールを気にしながら一生懸命急いで自転車を漕いでいる自分の姿が、馬鹿っぽくみえた。あー。そうだよね。こんなにルーズな巡礼旅を空海は設定してくれてるのに、いつの間にか自分は、社会的な時間軸と合わせるように頭を働かして次のお寺に急いでる・・・
お遍路が自分にとって何なのかを考えさせてくれた、修行の地土佐での1コマです。

続きは>>お遍路を自転車で・・・28で。

papalionについて

2007年05月18日 | papalionいろいろ
やっと作り上げた作品をライブハウスで演奏した後で感じた事。すごく大切な事だし、あまり人には話したことがない事。意味があるかわからないけど、必要性を感じたので書きます。

自分の中で、衝撃的だったのは今の2人編成になってまだライブもやってない頃の出来事。曲作りを試行錯誤していて、ずっと好きなバンドのライブを見た時、その日は面白く観戦できなかった。そのバンドの事は尊敬していて、今まで10年以上ずっと身近に接してきたバンド。それがなぜ・・・。(その後別の日、そのバンドのライブを見た時には、楽しく見れた。)
ずっと好きなバンドが面白く見えなかったのは、papalionが今の2人編成になったことに要因があった。
なぜそんなマイナーチェンジが自分の中に起こったのか、始めはわからなかった。
2人編成になるまでは、ドラム・ギター・ベースという安定したバランスの中で曲を作り上げていた。根本的な手法は、色づけとしての色を抜くことだった。もちろんそれだけじゃないけど。
その安定からベース音が抜けた時、確実に不安定な音の状態になった。
例えると風景写真なのに赤インクがないから全く違う風景に見えるような状態。ちなみに上の写真は赤を抜いています。
赤がない風景写真を、バランスが悪いものとして見せて、見る側の想像力に委ねることも可能だとは思う。でも、それは望まない。
作品として風景写真として見せたいけど赤はない。どうする?と考えた結果、好きなバンドが面白く見えなくなるような何かが新たに自分の中に入ってきたのだと思う。
ドラムとギター、オルガン、竹楽器、歌声の中で、2人で安定した曲を作り上げる事は、違和感の連続だった。が、試行錯誤を繰り返すうちになんとなくわかっていった。
今は、2人でやっている時の感覚が、3ピースでやっていた頃と同じような感覚で曲を考えられる。いろんな選択肢の一つだと考えられる。
ただ、そういう、作り出す場所に介入してくるいつもの事だけど、頭の中ではイメージできるけど、リアルに感じようと思って、リアルなものを作り出そうとする事は、今だに慣れないし、時間がかかる。デッサンに色を落としていく、色を選択していく事。2人になって、それは、今までの経験とか好きな型だけでは色づけできなくなった。
全ては結果だ。
どうやって色づけしたかを書く必要があるかどうかわからないけどまた改めて。

音源up!しました。

2007年05月14日 | papalionいろいろ
papalionの音源「竹林」をオーディオリーフ(audioleaf)のpapalionページにupしました。ついでにカヤックもちょっとだけ修正。kodamaは音レベルが少し粗くなったけど、今まで2曲に分けていたのを、1曲にまとめました。(6Mまでしかアップできないので・・・)
後、明日ライブがあります。
三軒茶屋ヘブンズドアで、出番は最後、21時くらいかな?
補足:写真は昔トロッコバス用に描いた絵。

>>papalionホームページ
>>オーディオリーフ(audioleaf)のpapalionページ