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papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・38(0日目)

2008年02月03日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話。

写真はお遍路寺での本堂前、燃え過ぎてしまって炎が上がってるところ。


お遍路を始める前の、事はじめ。

会社に1ヶ月の無給休暇を貰って、
まずは、1週間掛けて必要な道具を買い集めた。

ザック、テント、シュラフ、レインコート、エアマット等、キャンピング道具。
換えチューブ、修理工具、走行メータ、ボトルホルダー、サングラス等の自転車用具。

キャンプ用品はほとんど新宿で揃えた。

アウトドアショップに何回か足を運んで、出発日の前日までセール品を漁って。
店員さんも自転車旅用に色々相談にのってくれた。
こんな高価なシュラフが必要か?と疑問もありながらも、次々と購入した。
総額10万程度。
結果的にどれも使い勝手よく、いろんな場面で助かった。
新宿アウトドアショップの店員さんありがとう!

自転車は持っていたが、長距離旅用の自転車用品はなかったので、新たに新宿で買い揃えた。
自転車用品は高い。
ある程度覚悟はしていたけど、購入する度に、恐ろしい額になった。

準備は万端。



これから1ヶ月強、家を開ける予定なので、部屋を掃除した。
無駄な物も処分した。
狭いワンルームが多少広くなった。


出発当日の夕方、徳島行きの高速バスが出てる渋谷へ、家まで友達に来てもらって荷物を一緒に渋谷まで運んでもらった。

バスの発車の予定時刻の2時間前に家を出たけど、到着したのは出発の15分前だった。
普通、渋谷までは1時間くらいだけど、この日は手間取って2時間近くかかった。

渋谷のバスステーションに着いて一息つく間もないまま、バスに乗り込んだ。
バスに乗り込む時、運転手さんに自転車の持ち込みはダメだと言われた。
でも、バスの出発時刻も迫ってたし、乗客も少なかったせいもあってか、なんとか自転車を載せて貰った。

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半ば無理やりお遍路に出たような感じがあった。

「会社を辞めます」

と、当時所属していた会社の社長に、直談判した時に、「実は、お遍路を廻りたい」と軽軽しく話したのが引き金となった。

お遍路は単なる憧れであって、話題の一つにすぎなかったんだけど。
辞めると言い放った後の解放感からか、ベラベラと軽口をいつの間にか話してました。

「それなら仕事も忙しくないし調度いい。行ってらっしゃい!」
という風に社内で話が弾んでしまった。

そして、あれよあれよと言う間に、1ヶ月後にはお遍路に出る羽目になってしまった。


会社の同僚からも「頑張ってね!」「いいな~俺が行きたいよ~」と、お遍路解説本をプレゼントされ、お遍路に出ることが決定された。

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バスが渋谷のバスステーションを離れる時、怖かった。
なんだかんだ言い訳しているうちにここまで来てしまったか、と。
全然わくわくしない自分の気分を感じて、多少後悔した。

もう東京には戻らないかもしれないと、意味不明な妄想が頭を走りはじめた時には、感傷的にもなった。

日本各地を飛び回って調査や取材をする仕事をやってたので、旅に抵抗感は無かったけど、この夜は多少違った。
慣れていたはずの深夜バスでは、色んな事が胸いっぱいに迫ってきて、これからどうなるんだろうと、スケジュールの無いこれから一か月近い旅に不安を感じた。
今思うと、あのとき感じた不安は理解出来なくはないが、その時は、かなり気持悪かった。

バスではほとんど眠れなかった。


翌朝、淡路島辺りで日が差し始めて意識がが覚めた。

7時頃、薄曇の徳島駅に着く。

「あぁ、ついに着いたか…」と、バスを降りると、昨夜の意味不明の不安が一転して、あれはなんだった?と不思議に思うくらい気分が明るかった。

続きは>>お遍路を自転車で・・・12で。

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お遍路を自転車で・・・37(番外編4)

2008年02月02日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路道中の日記は、まだ書いていない所もあるけど一旦置いといて、その他紹介します。
写真は、徳島の代表的な山寺で、上から焼山寺、鶴林寺、太龍寺。

お遍路をして得た事。
道中の日記ではそれほど触れていなかったけど、四国八十八箇寺、お寺にも色々と魅力があった。そのなかでも特に良かった魅力は山寺を上った時の爽快感!

急な山道を時間を掛けて上ることは、スケジュール的にも体力的にも疲れる。標高が高くなればなるほど風景も変っていく。平地の平坦な道を走っていても風景は変っていくが、山を登る途中の風景はなぜか気分が違う。
一歩一歩の体力負荷が平地より掛かり、その一歩の重みを身体が実感したいからか。
そんなふうに体力をフルに使って山に立ち向かった先。その山の頂き、もしくは頂きの中腹に山寺が見えた時の気持ちは、最頂点。絶対に、その時、そこでしか味わえない。まさに、叫びたいくらいの爽快感が味わえる。
そして山寺は、周りを山々に囲まれ、人為的なものは何にも無い山野の中に、ポツンと普段見慣れない古い建造物が築かれてある。普通には考えられない風景。

そんな山寺を目にすると、何のためにそこに築いたのか?何のためにこんなふうに大きくしたのか?何故にこんなに人が集まっているのか?と疑問が頭を埋める。
でもそこにお寺は有るし、それを参拝するために人が集まっている。
そして歩いて建造物を視界に入れていくと、造られた一つ一つものの世代が異なっている事も見て取れる。一言にお寺。でも、その空間の中に蓄積された時間軸の長さは、分厚い書物を読む以上に長く、新しい靴を履いて外出する以上に新鮮なように感じられる。

お遍路とは、空海が辿った道のりを追う巡礼旅。
でもそんなことはどうでもよくて、身体を使って一歩一歩あゆんだ(自転車だから「漕いだ」だが)向こうに、先人達の作り上げた結晶を見て取って、そこに延々と続く人の営みを感じて感動と安堵を覚え、自然と頭を下げて、また次へ足を向ける。その繰り返しの行程旅。
ちょっと綺麗にまとめすぎ?

参拝客もまれな、お坊さんも常駐していないお寺は数多くあるが、お遍路のお寺は毎日参拝客で絶えない。そんなお遍路のお寺には、生きた歴史を感じられる。
京都や奈良のお寺はそれぞれ立派な歴史があり素晴らしい(実際に素晴らしかった)。でも四国八十八箇所のお遍路寺には、昔から日本の中心的な位置にあり、栄枯衰退を繰り返した地域とは違った時間の風景があり、それらに出会える素晴らしさがある。足を運んで初めてその魅力がわかった。

四国八十八箇寺のお寺に入ると、
山門に一礼をし、山門をくぐって水屋で手を洗い、本堂でお線香と蝋燭に火を灯し、納め札に住所と名前を書いて納め、お賽銭を投げ入れ、般若心境等お経を読経する。太子堂でも同じようにし、納経所でご朱印を頂く。そして再び山門で一礼をしお寺を出る。
そんな行為を繰り返す事が決まりごと。
その行為にどんな意味が込められているのかはよく知らない。でもそこをネットワークのポイントとして拠り所として抑え、お遍路さんは、ただ次に行く先を目指して移動する。もちろん途中で止めてもいいし、次のお寺を飛ばしてその次へ向かってもいいし、何をしてもいい。そこに何の制約も無い。そんなフリーな、ループした構造だからこそ、受け入れ、受け継がれてきたのだろうと思った。

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お遍路を自転車で・・・36(番外編3)

2008年02月01日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路道中の日記は、まだ書いていない所もあるけど一旦置いといて、その他紹介します。

お遍路をして得た事。
安全第一を胸に誓ってお遍路に臨んだ。色んな道を走ったが、自転車お遍路にとって危険な道。

自転車でお遍路をすることは、イコール、四国の道路を自転車で滑走するって事。
徳島~高知~松山間を走っての感想だけど、とにかく四国は山が多い。その山々を各々にトンネルが貫いている。
山と山の間に谷や平地があり、田んぼや畑があって、人の住む集落がある。
集落では、その集落に住んでいる地元の人達を見かけるよりも、集落をぶち抜くように造られた幹線道路を走り抜ける車を見る方が圧倒的に多い。
もちろん徳島・高知・松山などの市街地では別だが、それら市街地を繋ぐ道路を走っていて知った危険な道。

幹線道路
四国の道路は、東京に比べて、比較的車の往来が少ない。でも車のスピードは速い。車の通行量の絶対数は少ないが、国道などの幹線道路では常に車が流れている。車が少ないと言っても、市街地近くでは、渋滞で数珠繋ぎに並んでいることももちろんある。

幹線道路とトンネル

そして夜は、道路を照らす街灯も設置間隔が大きく、道は暗い。東京に比べて周辺の町の明かりも少ない。車のヘッドライトも直ぐに走り抜けるし、とにかく全般的に暗かった。
去年ツアーで日本各地を見た経験からでもそうだったが、四国に限らず田舎の夜道は一般的に暗い。
お遍路道中で、夕暮れ時や夜の帰宅時間どきに幹線道路を走ることも多かった。そんな時は暗闇と通り過ぎてゆく車とにおびえながら走った。
昼時に幹線道路を自転車で走っていると、手押し車のおばあちゃんが、道の手前で車が通り過ぎるのを待っている光景を幾度となく目にした。
信号も無い田舎のちょっとした集落で、車の往来も少ない、でも車のスピードは速い。日光がサンサンと降り注ぐなか、のんびりと自動車が途絶える間隔を待っているおばあちゃん。のどかな風景。
でも、これが夜だったら?おばあちゃんの目や耳が悪かったら?痴呆症だったら?と想像すると恐ろしく思える。
とにかく幹線道路は注意しないと危ない、特に夜は。

トンネル
四国は山が多くトンネルが多い。しかもトンネルは狭く(もちろん広いトンネルもあるけど)長いものが多い。
そのなかには、歩行者や自転車と自動車道が欄干、縁石などで隔てられている道路もあるが、それが白線一つで隔てられてて、歩行者が通れる幅はわずか30cm程度のトンネルもあった。
長くて狭い車の往来の多いトンネルを走る時ほど怖いものはない。トンネルの中は暗く、中を進めば進むほど暗さは増す。粉塵で空気も最悪、壁は真っ黒、逃げ場の無い暗闇道がいつまで続くのか不安のまま、自転車を漕ぐことに集中してただ走るだけ。
車道と歩道が隔てられていないトンネルでは、それにプラスして注意すべきことがあった。
走る後ろから、車が近づく音と光を感じて、「どうか、まともな自動車、運転手であってくれ」と願い、自転車が少しでも傾走しないように集中する。轟音と共に車が横を通過すると、「無事だった」と安心し、また次来る車に注意する。
常にビクビク・ひやひやしながらながら走った。

国や県の道路整備政策はどういう具合に計画し進められているのか考えた事も無いが、人や自転車がそこを通る可能性があるって事をイメージ出来ない幹線道路やトンネルは沢山あった。車を高速で通すためだけに造っている、とさえ感じた。
その道路の側には人は住んでいない、あるとしても駐車場を備えた全国規模のドライブインのチェーン店や、大型商業施設だけ。地元の小さな商店はもう何年も前からシャッターが下りている様子。
そんな風景を見ながら走っていて、あ、これが車社会か!と、今更ながら思った。

続きの番外編は>>お遍路を自転車で・・・37
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お遍路を自転車で・・・35(番外編2)

2008年01月18日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路道中の日記は、まだ書いていない所もあるけど一旦置いといて、その他の事を紹介します。

お遍路をして得た事、 自転車の運転技術。
19日間毎日平均7時間程度を自転車で走るとさすがに技術が向上した。上り坂はこう、下り坂はこう、平坦な道はこうという風に。

上り坂の運転技術
腕は肘を曲げないで真っ直ぐ伸ばし、上半身をハンドルに乗せるようにする。そして、腰を浮かせた立ち漕ぎで、重心を若干前において、足腰の筋肉でペダルを漕ぐような意識で、膝に負担をかけないように交互に足を下ろす。
長時間漕いでて疲れたときは、ギアを1~3速くらいにしてサドルに腰を下ろしダラダラ漕ぐ。それでもつらいときは、自転車を降り、自転車を突く。
上りの技術うんぬんの前に、これから上る山や峠の距離と高度を考えて、時間を割り出し、体力をどれだけ失うか、時間はどれだけ掛かるか等、準備計画をしておかないと、無謀な事になるので要注意。
今回失敗した事としては、峠越えする前に自販機が無く、まあ大丈夫だろうとペットボトル1本の水で峠越えに挑戦した時、予想以上に時間がかかり、のどの渇きに萎え切った事が2度ほどあった。
自転車での山上りは歩き以上に体力を使うので、水分補給には十分気を使った方がいい。しかも田舎道では想像以上に水分補給地(自販機・コンビニ・歩きお遍路さん用の湧き水{これは基本的に歩きお遍路用のサービス給水なので自転車道である自動車のお遍路道には少ない})が少なかったりするので事前準備に注意が必要。

平坦な道の運転技術
平坦な道は高知意外は少なかったので、角度が無いストレートな道のみではなく、多少の上り下りも含めて平坦な道としての解説。
まず動作としては、尻をサドルに乗せ、ハンドルを持ち腕を多少曲げて、ひたすら足でペダルを漕ぐ。多少の上り下りはあっても、それぞれの動きをして、平然と漕ぐ。
多少の上りがあれば多少の下りがあり、下りがあれば上りが必ずある。力を入れるか、力を抜いても走れるかの違い。常にノーマルな状態で望めば、そう大差は無い。
ただ、膝の痛みには気を使うべき。ペダルを漕ぐ時間が長時間になるのが平坦な道、知らない間にいつの間にか無理して膝を痛めている。
急な上り坂では疲れたら地に足を付けるし、下り坂ではペダルを漕ぐ事はほとんど無く膝を痛める要素が少ない。平坦な道でこそ膝の痛みに注意したい。実際、平坦な道が続く徳島~高知間で膝を痛めた。
その時、改めて自転車携帯本をめくるとサドルの位置について書いてあった。急遽ながら、本に書いてある事を参考にサドルをぐぐ~んとあげて、ペダルを漕ぐ時、一番力を入れる時の膝の角度を120°位にしてみた。すると、徐々に膝の痛みが引いていった。
サドルが高いと上りの時は多少邪魔になるけども、長時間漕ぐ事になる平坦な道で一番疲労度の少ないサドルのポジションを基本にした方が良いと思う。

下り坂の運転技術
下り坂で一番注意する事は、道の状態と自転車のスピード。
自転車の乗り方はどんな形もありだと思う。
で、道の状態が、国道など整備された舗装道では、大体の場合、車が横をビュンビュン走るので、隣を抜いてく自動車に注意。自分の荷物の横幅も計算の上で安定走行に努めたい。
車は下り坂で特にスピードを出す。山をうねるように下る国道、普通はスピードを出せそうに無い道でも地元の車は、時速80kmくらいで下ってゆく。人力の自転車なんぞお構いなし、自転車で最高速度を出している横を、いとも簡単に抜き去って行く。気を張ってないと危ない。
トラックが横を走ると身体ごと吸い込まれるので、要注意。

次に、道の状態が、一般道や農道などで路面が荒れている道では、道路自体もそうだが、道路施設(カーブミラーやガードレール、路肩等)も十分でないことが多いので注意したい。まあ、そんな道では自動車が走る事が少ないが。
山の砂利道で隣が谷川なんて所もあったので、スピード出しすぎで突っ込まないようにしないと。歩きお遍路さん用の山道はそういう道が多いので特に。峠を越えた後、疲れが取れないままそういう下り坂に入って、油断してフラフラののままあやうくダイブしそうになった事もあったし。
今回、自転車がディスクブレーキのMTBだったので、いざという時のブレーキには多少安心があったけど、ブレーキの効き具合、自転車の性能に応じてスピードには十分注意しないと、本当に危ない。

一番スリルがあるのが下り坂。楽だし気分もいい、でも気をつけるのはこの瞬間。峠越えの上りで汗だくになった後の下りは、風を受け体温が一気に下がり汗も引き最高に爽快。でも時おり凍りつく瞬間もある。万が一の怖さを十分に意識すべし。

色々と自分なりの乗り方を書いたけど、お遍路に挑む前に自転車専門の本をしっかり読んで準備しとけば楽しく乗りこなせると思う。

続きの番外編は>>お遍路を自転車で・・・36
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お遍路を自転車で・・・34(18日目3)

2008年01月10日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて18日目、写真は高知の名所「沢田マンション」。


49番浄土寺の参拝を済ませ太陽が西空に落ちかける中、松山市街地まで先を急いだ。今日の宿泊地は、松山市街にある民宿。
松山市街地につく頃にはすっかり夜になっていた。一度来た事がある松山だが民宿がある場所まではわからず、地図と格闘しながら住宅地をずんずん走って行った。こんなとこにほんとにあるのか?と疑いつつ。

住宅地のど真ん中にこれまた普通の家の民宿があった。挨拶を済ませて部屋に通してもらう。部屋はガラス戸で仕切られた個室で、居候のような部屋だった。
素泊まりだったので、近くのファミレスに食事に出かけて、戻った。
お風呂は1人用のシャワー付き風呂があったけど、宿泊客みんなで使うので、しっかり確認してから入ってねとのこと。着替えを持って行ってみると、若い10代くらいの恋人同士が控えのソファーのある待合室でひっそりとお風呂を待っていた。なんだこの民宿は?まるで隠れ家のような雰囲気をかもし出している。
もう一人、50代くらいのおじさんが、風呂上がりのビールを楽しんでいた。
風呂を待つ間、待合室でそのおじさんと話をした。
このおじさんは証券会社の人だった。もうこの民宿に1ヶ月くらい泊り込みで、株券を売るために毎日自転車で何人かの顧客を廻っているとのこと。
証券おじさんの話では、田舎の大金持ちを狙って株を売りつけ、ダーンと儲けると、株券の完全電子化の前に一儲けしようと踏ん張っている最中とのこと。
話の内容は恐ろしいものだった。ある程度絞ったリストから、田舎の街に長期滞在し、適当な顧客の調査から始まり、顧客のお宅・事務所等に毎日通って信用を得て、株を売りつける。その株の値段はある時一気に値を落として、その辺りで儲けるんだとか。どういう仕組みなのかは聞かなかったが、とにかく儲けるらしい。
1回成功するとその売り上げは半端な金額ではなく、うん千万の単位。「田舎のボンボンが狙い目、思いがけない資産を持っとる」「1回落ちると、何回もつぎ込んで、まあその後は悲惨やね」と言っていた。話す事が出来るんだからもちろん違法行為ではないのだろう。
想像できない話ばかりだったので、どこまで本当かはわからないけど、聞き入ってしまった。
1時間ほど話して、シャワーを浴びた。

前に名古屋に仕事で行った時に、飲み屋街の道路には路上駐車場が多くあり、飲酒運転を公然と認める街だなと思って見てたら、昔は自動車業界が飲酒運転事故に対するメディア報道や警察に圧力を掛けてたなんて噂も耳にした。
どんな業界・組織でも己に有利に働くように手を掛けて場合によってはその敵を陥れようとする、ある意味自然な事なんだろう。理解して自らの手を染めるか、理解しないで知らず知らず手伝っているかの違いではないか、と考えたりして、結局うやむやのまま就寝。

お遍路19日目の朝、民宿に別れを告げ、松山市の中心街へと向かった。今日は高知に帰るだけ。すぐ帰るのももったいないので、松山を観光。

コンビニでパンを買って、松山城下の公園で食べて、松山城散策に出かけた。
松山城は平山城で、その山自体が結構大きい。何日か前に見た宇和島城の倍以上はある。城郭の規模も大きく二ノ丸庭園等、広大な敷地に贅沢な施しをしてある。松山城も宇和島城と同じく現存天守閣の一つで、天守は立派だった。石垣も美しい。本丸広場では幼稚園の遠足?おさんぽ一団?が集合しており、にぎやかな雰囲気だった。松山城の詳細は松山市の公式サイトが詳しいのでこちらで。
色々見て周り3時間(それでも物足りなかったが)も散策してしまった。

道後温泉にも行きたかったが、昼過ぎになり、帰りの長距離バスの時刻によっては無理かもと思い、まずはJR松山駅へ。

夜遅くに高知に帰りつくのは避けたかったので、16時の便で帰るとして、残り3時間30分程。飯食ったら残りは3時間。自転車を解体するのに30分。今回は道後温泉は諦めた。
道後温泉は、次、お遍路始める時に行けばいいかと、まあゆっくりするかと松山駅に腰を落ち着けた。
駅のラーメン屋で味噌ラーメンを食べて、食後に近くをぶらぶらした。
ぶらぶら松山駅前を行ったり来たり。
ただ、JR松山駅前ってなんもないんだよね…

予定の1時間前に駅前に戻って、自転車を解体。自転車を輪行袋に詰め込んで、バスを待った。
そのうちバスが停留所に止まり、乗り込んだ。

愛媛の高速道から眺める愛媛の町の風景は瀬戸内のオレンジ色の雰囲気で、穏やかだった。太平洋沿いの高知とは違う。
バスの乗客は少なかった。
しかもほとんどが途中で降りてしまい、夜、高知駅に着いた時には、数えるほどになってた。
高知~松山間の人の交流は少ないみたい。

高知駅で再び自転車を組み上げて、自転車で実家に帰った。
とりあえず、1番霊山寺~49番浄土寺お遍路の区切り打ち一旦終了。

お疲れさま!と。


以下、写真は高知に帰ってから廻った場所の写真。

右上から幕末非業の死を遂げた岡田以蔵のお墓。
以蔵さんのお墓は、沢田マンションの裏手の山の中、獣道のような山道を少し登った所にそれはあった。
そこは、こんな場所に本当にあるのか?と思えるくらいひどい場所だった。
山道を歩き進むと、藪の中にお墓が多数見えてきて、その中で、ひとつだけ新鮮な花にうずめられたお墓があった。
以蔵さんのお墓だった。
お酒も添えられてた。

来た甲斐があったというか、すごくうれしかった。
頭を垂れて、しっかり手を合わせてきました。

山を下りると、所々、蚊にやられてた。

そして下は長宗我部元親の墓と長宗我部家臣の一領具足の六体地蔵。どちらも献花が一杯で、以蔵さんのお墓と共に感動しました。
歴史の片隅でも、それを大切に守ろうとする人達がいる限りは、ほそぼそと語り継がれて、そのうちしっかりとした評価されるのではないか、と思い。願います。


続きは>>お遍路を自転車で・・・08
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