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papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・53(8日目1)

2008年02月14日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて8日目、写真は27番神峯寺に向かう途中でザックを預けた茶屋。

>早朝、テントを這い出してから、青い空に朝日が昇りだすまでは1時間くらいだったか、ゆっくり時間が過ぎた。その間、缶コーヒーを買ってきて、荷物を片付けた。
二十三士公園の駐車場スペースにテントを張っていたのだが、駐車場に車が何台か停まっていて、1台の車からエンジン音がし出した。車で寝てたらしい、お遍路さんではないようだが、釣り客か何かだろう。
朝日が昇り始めた6時頃、公園を出発する。昨夜気付かなかったが、公園の入口に二十三士公園の案内板があった。公園の名前の「二十三士」とは、幕末に藩政に異を唱えてこの河原で処刑させられた二十三人の志士を祀ったものである事が書かれてあった・・・。野宿する場所を間違えてた。

>国道に出て少し走った後、コンビニで朝食のパンを食べ、27番神峯寺を目指した。27番神峯寺は、ここから7kmほど行った山寺だ。国道を4kmくらい走って、お寺に向かう細い道に折れた。
少し行くと観光バス用の駐車場があり、「荷物預かります」という看板を掛けたお店があった。まだ開店前だったが、戸を叩くと人が出てきて、ザックを快く預かってくれた。お店の人と話すと、27番神峯寺には大型バスでは入れないので、ここの駐車場で小型のマイクロバスに乗り換えるのだそうだ。

>お店を出て、神峯寺の山道にチャレンジした。もう何度も山寺は経験したし峠も越えてきたので、そんなに苦労はしない、早朝で天気が好いのも気分いい。とにかくペースを守って走るだけ。
7時半頃、坂道の上にお寺が見え始めて、お寺の駐車場に着く。自転車を置いてお寺に向かった。
27番神峯寺は山寺だけに立派だった。山の斜面にあり、階段を上がって行く所々に地蔵様や不動明王の立像やら庭園があって、綺麗に掃かれてあった。また、神峯の水という岩清水があり乾いた喉を潤してくれた。
参拝を済まして、お寺を出た。
神峯寺を出て駐車場まで歩いて行く途中で、画用紙サイズの絵を2、3枚横に置き、座っている40代くらいの男性お遍路さんに会った。
何をしてるんですかと聞くと、野宿でお遍路をしていて、絵を売って心ばかりのお金を頂きながらお遍路を廻っているとの事、広島から来たそうだ。絵の内容は、お地蔵様のキャラクターを基本にしたイラスト。別れ際に絵はがきを頂いた。後で知ったが、そういうお遍路さんのことを、職業お遍路さんというらしい。

山を下って、先ほどザックを預かってもらっていた茶屋に戻った。ザックのお礼にアイスコーヒーを注文し、頂いた。携帯を見ると8時半過ぎ、アイスコーヒーを飲み干して先に向かった。
今日の予定では、高知市内のお寺に行ける所まで行って廻り、そのまま市内の実家に泊まる予定。実家には夏に帰ったばっかりだったが、今回は寄り道程度の滞在だろうか。

国道55号を高知方面に向かっている途中、自転車のペダルの音とギアチェンジが上手くいかない事が気になって、修理することにした。潤滑油を持っていなかったので、ペダルはどうしようもなかったが、ギアは何とかなりそうだったので、MTBマニュアル・ハンドブックを見ながら色々試してみたら、30分ぐらい掛けてギアチェンジがスムーズにはまるように修理出来た。
それと、徳島から続いていた膝の関節痛は塗り薬を塗っても痛みが和らぐ程度だったので、ハンドブックを参考にサドルを思いっきり上げてみた。(※これが好かった。その後さらに膝を痛めることは無かったし、徐々に痛みも引いていった。)
時間をロスしたがやむ得ない、素人だし、と思いながら出発。

続きは>>お遍路を自転車で・・・54で。
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お遍路を自転車で・・・52(7日目4)

2008年02月13日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて7日目、写真は上から、羽根岬PA近くで見た夕日、25番津照寺の山門と仁王様、26番金剛頂寺の仁王様と本堂。

室戸岬を廻り、26番金剛頂寺を参拝し、海沿いに走り、夕日が落ちた後のこと。
国道55号は車の通行量が多かった。
通勤の時間帯に入ったのだろう、その数は増すばかりだった。
夜道を走る上に、時折歩道が無い時もある。そこで、朝貰った道具を付ける事にした。

今朝、仮設遍路小屋で地元のおかあさん達に接待を受けた時に、「夜走るんだったら、これをあげる、車道は危ないからねえ」と肩掛け式の反射帯を頂いた。
その反射帯を後ろから来る車から目立つようにザックに装着して走った。

走っても走っても町の明かりが見えない。
疲れたからと走るのを辞めたくても、だからといって許してくれる訳でもないし、安堵できる場所がある訳でもない。
夕日の残り火が消えるまでとにかく走った。
足は限界、ペダルを漕ぐ力も無くなっていった。
そうこうして、痛い膝が限界に近づいた時…

不思議と誰かが背中を押してくれているかのように自転車が進んでいった。

その何分か後、奈半利の町の明かりが目に入ってきた。
あーっ!と再び足に力が入り、明かりを目指した。

あれは、暗くて道が見えなかったけど坂道だったのか、
強風が後ろから吹き続けたのか、
ランナーズハイに陥っていたのか、
理由はわからないけどすごく心地好かったのは覚えている。

奈半利の町に着いた頃は、もう真っ暗だった。安芸まではまだ15km近くある。
安芸まで行く体力ももう無い。

諦めて、ここまで来る途中の看板で見かけた、奈半利にある温泉施設「二十三士温泉」に向かった。

18時過ぎ、二十三士温泉に到着。
荷物を受付に預けて、温泉を堪能した。温泉施設は新しく、お風呂も多いし、最近よくあるような温泉施設だった。
風呂上りに、温泉施設のレストランで晩飯を食べた。
食後はこの次の予定を決めかねていたので、閉館近くまで休憩所に座っていた。


二十三士温泉を出た後、野宿する場所を探した。
まず、奈半利駅前に行った。
駅前には舗装された広場と公園があって、これはいいかもしれないと思った。
しかし、路上にタイヤの後がある、これはよからぬ連中の夜な夜な集会場の証拠。危険を感じた。
後日談だが、横浪半島の国民宿舎で同部屋だったFさんは、ちょうどこの場所で野宿して色々と大変な目にあった、と話していた。
公園前でこれはやばそうだなと悩んでいると、若い男性が声を掛けてきた。人がそんなにいる所でもないし、こんな時間になんだろう?と思って接してたら、宗教の勧誘だった・・。


駅前を離れ、道の駅「田野駅屋」に行った。
ここもトイレがあるばかりで、国道前で、車の往来も多いし、野宿をするには少し不安だった。

海岸沿い、波音を聞きながら砂浜でテントを張ることも、夜になる前は考えていた。
しかし、海岸沿いの砂浜は夜になると真っ暗になる。
暗闇の中で、自転車をどうするか、テントを張れるようないい場所をどうやって探すか、波もどこまでくるかわからない、と不安要素が沢山あったので、夕日が落ちた時点で、海岸で野宿する事は諦めていた。

二十三士温泉前の奈半利川河畔に公園がある。野宿するならここがいいかもと、温泉を出るときに考えていた。
他の場所を見て廻った後、その公園にしようと決断した。
コンビニで、ビールとおつまみを買って、その「二十三士公園」に戻った。


二十三士公園に戻り、テントを張れるような場所を探して、奥まった丘の下にライトを照らしながらテントを張った。

テントの中に入ると風が吹いて少し寒い。ビールを飲んでも体は温まらない。
川沿いなので風が強いのだろう、寝袋に入っても風がテントを打ちつける音がうるさく、お酒を飲んでも気分が落ち着かなかった。
我慢できず、少しでも風が弱い場所にテントの場所を変えようと思い、テントから出て、テントを移動した。

移動してすぐの事、先ほどテントを張っていた公園内の構内道を軽トラックが通った。
もう少しテントの場所を移動するのが遅ければ、車に轢かれてたかもしれなかった。
車に轢かれてたら、そんな間抜けな話はない。

その後は、「いつ何があるかわからない」とビクビクしながら、テントの中で横になっているだけだった。
ただじっとしているしかなかった。寒かったし。
そうこうしてる間にいつのまにか寝ていたが(1時間程度)、空が青くなり始めて、ようやく安心してテントから這い出した。

朝日を拝んで、
昨日はうっとうしいくらい暑かった太陽に対して、「ありがたい」と心の底から感謝した。


続きは>>お遍路を自転車で・・・53で。
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お遍路を自転車で・・・51(7日目3)

2008年02月12日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて7日目、写真は室戸岬にある中岡慎太郎像。

お昼を食べた喫茶店の近くに中岡慎太郎の銅像があった。中岡慎太郎はそれほど有名ではないが、竜馬と一緒に活動した幕末の志士。ちょっと興味あるのでそのうち調べてみようと思ってる。

久しぶりに、お遍路四国八十八ヶ寺に向かう。室戸岬の山の上に建つ24番最御崎寺。急な車道、室戸スカイラインを自転車で上った。
海と山が隣り合わせにある室戸岬。自転車で上り、稜線が長く続く景色を見れるような高さにまでくると、空に猛禽類が何羽も見えた。その猛禽類が風の流れに浮かび、停止しているかのような姿を真近で見ることが出来た。あれは隼だったのだろうか?
坂道を上る途中で、修行で廻っているお坊さんや歩きお遍路さんとすれ違った。歩きお遍路ルートでは、この道は24番最御崎寺を参拝し終わった後の道になる。

24番最御崎寺に到達。駐車場に自転車を置き、23番薬王寺以来、久しぶりに参拝した。ここでも観光バスで廻るお遍路さん達から「自転車でここまで。大変やったね」と声を掛けられた。
ここ最御崎寺には「鐘石」という不思議な岩があり、叩くと金属的な調律のとれた高音が鳴り、音階を奏でられる。看板によると冥土まで響く音との事。

最御崎寺を離れ、25番津照寺を目指した。
最御崎寺から海沿いの国道55号を5kmくらい走った所、室戸の町中に津照寺はあった。竜宮城のような山門をくぐって入り参拝した。津照寺は港を見渡すような場所にある。海の守り神として港に入る船や室戸の町を見守ってきたのだろう。

24番最御崎寺の鐘石

26番金剛頂寺へ向かう。25番津照寺からはそう遠くない場所にあるが、いかんせん山寺なので時間が掛かりそう。既に2時半。ちょっと不安だったが急いで向かった。
道中で歩きお遍路さんを何人か抜かした。歩きお遍路さんが向かっているって事は、時間的にはまだ全然大丈夫のようだ。山道に入り、山の斜面をうねるようにしてお寺に走って行った。
26番金剛頂寺に到着。参拝した。帰りしな山門で仁王様の後ろにステッカーが貼られてあるのを発見した。どうやって貼ったんだ?

山道を下って、再び海沿いの国道55号まで出た。本日の宿は安芸にあるキャンプ場を予定。ただしここから40km近くある。休憩無しで走れば、2時間半くらい。時間は15時半。行ける所まで行こうと思い、走った。
休憩無しで走り続けるのは無理がある、MTBも室戸岬を越える辺りから変な音を出し始めた。たまにギアが噛まない事もあった。無理せず、疲れたら休憩する事にした。
朝とは違い左側に海があり、日も刻々と落ちていく。
朝は左(東)の海の向こうに朝日があり、今は左(西)の海の向こうに夕日がある。つまり一日中、太陽が僕を照らしていた事になる。ひどく暑かったけど、特に左側が。
その後も走り続けて、ちょっとした休憩所・羽根岬PAに着いた頃には、間接照明のように赤色を空に残して、夕日が海に隠れた。

続きは>>お遍路を自転車で・・・52で。

お遍路を自転車で・・・50(7日目1)

2008年02月11日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて7日目、写真は室戸近くのお遍路休憩小屋。

朝起きて、浴衣を私服に着替えて朝食バイキングに向かった。オープン前だからそんなに人がいないだろうと思っていたが、結構な人数が並んでいた。
と、5分程でお店がオープンし、今日の体力分を貯め込むつもりで(その分時間も掛かったけど・・・)たくさん食べた。
部屋に戻り、荷物を片付けチェックアウト。既に8時過ぎだった。

本日も快晴、やっと徳島を出て高知に入る!と勢い込んで出発した。
1.5kmくらい走ったところで、駐車場に屋外テントを出しているおかあさん達に呼び止められた。遍路小屋の仮設小屋を作って、お遍路さんを接待してくれている人達だっだ。お疲れさん、さあどうぞと仮設テントに招かれ、お茶とお菓子を頂いた。春と秋はお遍路さんが多く、その時期にはこうやって地元を通るお遍路さんを接待しているとの事だった。ありがとうございますと、謝意を述べ先へ向かった。

徳島と高知の県境を越えると、白浜海岸が見えてきた。この白浜海岸とか、昨日の宿泊場所の宍喰とかこの辺りの海岸は磯や砂浜が多く、釣り場になりそうな所や、シーカヤックで漕いで行って冒険したくなるような小島があったりして、景観も綺麗で観光要素抜群の場所だった。もちろんサーフィンも出来るし。また、次は純粋に遊びに来たいな。
初めてタイマーを使って、記念写真を一枚!さらに走っていると、サーファーでいっぱいの浜辺に着いた。生見海岸。この季節でもウエット無しで波乗りしている、楽しそう。


生見海岸と室戸まで風景

生見海岸から室戸までの道は、同じ風景がずーっと続いた。右はある急角度の山々、左は一面真っ青な海にごろごろと大きな岩が転がった砂浜。徳島の道中で見続けた風景とは一転して、夏か!と突っ込みたくなるような気温と景色だった。
横をロードバイク(自転車の種類)があっという間に抜いて行く、汗だくになり何度か休憩しながら、長い距離を走った。

車と違い、自転車で走り続ける事は、そのペダルを踏むごとに少しずつ体力を消耗する。そして体力消耗しながら色んな事を考える。
お遍路を始める前に、ちょっとした問題を抱えていた。それが中途半端でもやもやのままお遍路に出て、その事が頭に残り、自転車を漕いでいて急にずしんと頭に浮かんだりしてた。
どんな状況でも問題は常にあるし、それを解決しようと前向きに思うしかない、と体力が失われ無意識に走るような状態になると、そんな勝手な解釈が正当化される。
なぜなんなんだろ・・・?

御蔵洞の中と外

正午過ぎ、昔、空海が修行した洞穴で室戸岬近くにある御蔵洞に到着した。入口の観光案内小屋におばちゃんがいて、四国八十八ヶ寺とは別だが、番外編として立ち寄るお遍路さんが多く、ご朱印も書いて頂けるらしい。ご朱印を書いてもらった。
御蔵洞のおばちゃんは筆を走らせながら、「管さんも前に来たけど、テレビとは違って笑顔の素敵ないい人やったよ」と笑顔で話していた。
御蔵洞の中は湿気がすごく、広さは人が生活出来る位あり、天井は高かった。コウモリが確実にいる様子。
御蔵洞を出て室戸岬を廻り、昼ご飯は地元のカフェでカレーを食べた。

続きは>>お遍路を自転車で・・・02で。
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お遍路を自転車で・・・49(6日目)

2008年02月09日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて6日目、写真は日和佐城の日和佐城の歴史解説文。

朝起きて、荷物を片付けていると、Kさんもテントから這い出してきた。しかも早速朝食を作ってる、さすがアウトドアマン。
朝のコーヒーを頂いた。
僕の方はもたもた片付けてて少し遅くなってしまったが、Kさんに別れを告げて、8時くらいにキャンプ場を出た。
Kさんは、別に急いでないし、太陽がもう少し出るのを待って、夜露に濡れたテントを乾かしてからキャンプ場を発つ、との事だった。

海岸沿いに走り、日和佐の町に着いた。
コンビニでおにぎりを買って、道の駅「日和佐」で食べた。道の駅では朝から露店の設置やら何やらで忙しそうな雰囲気。地元のテレビ局の中継があるのか、TVクルーらしき人達が忙しそうに働いていた。何か地元のお祭りでもあるんだろうか。
港町はいい。潮風のざわざわした触感、潮風と共に運ばれる潮と魚の匂い、かすかに聞こえる波の音、ガヤガヤと騒がしい朝の風景、直接肌を差す日光。全ての体感が刺激に溢れている。

そんな刺激に影響されて、昨日、観光案内所で見て気になっていた日和佐城に行くことにした。多少、時間をロスすることになるが、楽しそうな方向性にベクトルが向いていたので、行きたいんだから行くべきと思い、日和佐城に向けて出発した。
岬の上にある日和佐城までは、思ったより時間が掛かった。やめるか?と自問自答したくらい。
山道を上りきり、日和佐城内に入ると、天守閣はまだ開館前で入れなかった。ちょうど管理の人がドア越しにいたので、声を掛けたら、中に入れてくれた。天守閣の中は鎧や槍が展示してあり、外見とは異なる近代的な建物で、日和佐の歴史資料を紹介してあったりして、それなりに楽しめた。
戦国時代の長宗我部の事にも触れていた。

日和佐城を出てから、日和佐城の管理人さんお奨めの南阿波サンラインへ向かった。南阿波サンラインは、この地元で開催される鉄人レースのコースになるような、景観の素晴らしい道路。
当初、国道55号沿いに室戸を目指す予定でいたが、道路沿いの風景は重要なので、そのルートで海沿いに南下する事にした。
南阿波サンラインに入ってから、失敗した、と思った。道のアップダウンが激しい。いきなり急な坂道を何百メートルも上る事になった。
国道を走っていれば、これほど急な坂道はまず無い。
しかし、走っていると、その景観は最高!車もほとんどいなかったし、路面も整っていて走りやすい。
広い駐車場付きのビュースポットでは軽食店が営業していた。もちろん軽く休憩。
そして、海岸沿いに朝の太陽を浴びながら、痛む膝をさらに酷使して、3時間近く掛けて、やっとこさ南阿波サンラインを抜けた。

ちょうどお昼の時間帯、南阿波サンライン終点の町、その町の国道沿いにお弁当屋さんを発見。
そこでお弁当を買って、その隣の遍路小屋で食べた。お遍路さんはここでお昼を食べてね、と言わんばかりの親切さ。

遍路小屋ではいつもお世話になった。トイレもあるし、お茶を置いてあったりする。山道の途中には必ずあるし、地元のお遍路経験のある個人や団体有志が作ってくれてたりする。多くの場合、お遍路ノートが置いてあって、そこには感謝の言葉が書かれている。
お遍路さんが感謝の意をこめて手を合わしたり頭を下げる行為が、廻りまわって、こういう所にまで心遣いが入って、それがお遍路文化として成長していったのかと思うと心から頭が下がる。この遍路小屋もそのお遍路精神の現れの一つだと思う。

再び国道55号沿いに室戸を目指した。海沿いにずーっと走る。この辺りはサーフィンのメッカのようで、サーフィン板やら、サーフィンショップやらがポツポツ目に付いた。
14時半くらいに道の駅「宍喰温泉」に到着。とりあえず休憩。
その日出来れば室戸岬まで行きたかった。
ただ、この日の宿はどうしようか悩んでいた。
この後は、恐らく室戸までは山が海まで接近した地形で町などないはず。
しかも、このまま走りつづけても夜遅くなるし、その室戸までは30km近くある。海と山に囲まれた夜を走り続ける自信は無かった。
どうしようかと思い悩んだ。
友達とメールでやり取りして、その途中にあるだろう民宿を探してもらったが、どの民宿も値段がわからないし、ここからどれだけ距離があるかも不透明。宍喰の町にある民宿は、道の駅の人に調べてもらった結果、どこもだいたい同じくらいの値段。

結局、まだ宿に着くには早い時間帯だったが、ここ道の駅「宍喰温泉」の宿泊施設に泊まる事に決めた。決め手は温泉!
決断すると早い、素泊まりでチェックインし、懐かしい80年代の雰囲気を感じさせる施設の畳敷きの部屋に案内してもらった。意外と広い。
荷物を置いて、早速、温泉に入りに行った。

まだ15時くらいだったが、風呂場には先客が数人いた。宍喰は港町で、地元の真っ黒なおじいさんばっかり。その中に一際真っ黒なおにいさんがいる、しかもプロレスラーか?と思わせるくらい筋肉隆々、サーファーだ、本格的なサーファーだ。
よそ者が珍しいのか、地元の黒い人たちに声を掛けられた。
「お遍路か?たいへんやろ?」「ほー自転車で??」「最近は若いお遍路さんも良く見かけるな、ついさっき若い女のお遍路さんを見かけたけど、若いのにえらいよなぁー」等とフランクに話し掛けてくれた。
サーファーさんに限らず、おじいちゃん連中までたくましくて、海の荒波がそうさせるのか、顔つきとかすべてが豪快だった。
お風呂自体はまあまあでした。
それと海側の一面がガラス張りで、日光が沢山入って気持ち良かった。

風呂から上がった後、溜まった洗濯物を洗うため、コインランドリーを探しに宍喰の町に出かけた。
町並みは、山に囲まれた港町らしくこじんまりとした風情。車一台通れるような小さい路地が山の合間に律儀に張り巡らされているといった感じ。
街の人に聞いたりして、ようやくコインランドリーを見つけた。値段が高かったが、まあしょうがないか、と思い洗濯機に入れた。そして薬局に行き徳島から抱えていた膝痛用に関節痛の塗り薬を買う。
コインランドリーに戻り、洗濯物を乾燥して、スーパーでお弁当(予算緊縮のため)を買って、道の駅「宍喰温泉」に戻った。
宍喰温泉の宿泊施設は全体的に大きめに作られてて、国民宿舎のような感じの建物。部屋は和室でそこそこ広かった。テントや寝袋を干して、お弁当を食べた後、また温泉に入りに行った。
次は僕が泊まっている隣にある「ホテルリビエラししくい」の温泉施設。
宍喰温泉の宿泊者はタダで入れる!というおいしい特典が付いていたので。
こちらの入浴施設は新しくて大きい。湯船も大浴場・ひのき風呂・薬湯・サウナと各種様々あったし、お客さんも少なく、じっくり入れた。
サーフィンを楽しんだ後に、ゆ~っくりお湯に浸かって身体をほぐして下さい、といった、施設のアピールポイントを十分に楽しんだ。
結局、2時間程度いろんなお風呂・サウナを満喫した後、部屋に戻る。
お遍路をスタートしてからこれまで、満足に夜の時間を過ごした事は少なかったけど、ここでは最高に贅沢な雰囲気を味わって、寝た。

続きは>>お遍路を自転車で・・・50で。
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