夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

生と死

2005年10月20日 | Weblog
オックスフォード時代のカレッジの恩師の死から立ち直れないでいるが、同じオックスフォード、同じカレッジの大学院生用の寮で仲良くしていたケニア出身(インド系)の医師・バンダナから写真入の出産報告の手紙が来た。

この寮での友人は、ギリシャ人のヘレンは結婚自体していないようだし、会計士のアンドリューと結婚したリン(私の卒業試験の後、アンドリューの運転する車で3人で湖水地方を何日間か回ったり、その後私が出張でロンドンに行く度に、リンはボルトンからホテルまで来てくれて夜通し話したりした)からも、パキスタン系で見合い結婚したファーラからもまだ出産の知らせはないから、卒業して12年、オックスフォードの同じカレッジの友達からくるはじめての出産の知らせになる。
それが先生の訃報と時期が重なるのも何かの意味があるのだろうか。

先生の亡くなった日からちょうど2週間前に生まれた(だから生まれ変わりということはないだろうが)Oliver Vikramちゃん(後の方は多分ヒンドゥー語かタミール語で、Peaceful, Glorious KIng, Protected by Godという意味らしい)はとても可愛い。
バンダナは、同業者の夫と、英国内とはいえ互いの単身赴任で別居が長くなるなどの苦労をしていたが(今は私がそれを経験しているのだが)、現在はグラスゴーで一緒にいるようで、子供もできて、本当にわがことのようにうれしい。
非常に優秀な医学部院生なのに、とても優しく可愛らしい性格で、声もいわゆるアニメ声で、きれいなQueen's Englishでいつも留学生の私を励ましてくれたその声が、直接は12年会っていない今でも、長い手紙をもらう度に耳に蘇る。
彼女の今までの苦労を知るだけに、She deserves it!と心から思う。

生と死の問題は身近にも起きている。
風邪ひとつ引かない夫が、今日、腫瘍の摘出手術を受けることになった。
摘出してみないと悪性かどうかわからないそうだ。
最悪の場合、既に転移している可能性もある。

発見してから今日まで、夫がいなくなることを想像して夜、官舎でずっと泣いていた。
私は物心ついたときから、「自分は幸せになれない」という確信があった。
そう確信せざるをえない人生だった。
だから、物事がうまくいくと、「絶対こんなにうまくいくはずない」と思い、たとえば、会社の派遣で留学するとき、Oxford, Cambridge, Harvard, Columbia等出願した殆どの大学院に合格し、HarvardとOxfordに続けて入学することが決まったときも、「何か大きな病気が見つかっていけなくなったりするに違いない」と思って、会社の出国前検診でも何もないし、何も症状がないのに、いろいろな病院を回って検査を受けまくったりしていた。
不幸を楽しんでいるわけではないが、いつも裏切られるので、幸せだと「何かどんでん返しがあるに違いない」と疑ってしまうのだ。

しかし、結婚相手にだけは恵まれ、常々「私の人生ではおかしことだ」と思っていた。だから、夫が悪性の可能性もある病気とわかった際に、「やっぱり、この幸せも奪われるのか?この10年が私の人生ではむしろ異例だったのだからしょうがないのか」と絶望的になった。
夫に対しても「私と結婚したりしたから私の不運に引きずられたのか」と申し訳なくて涙が止まらなかった。

執刀は20年以上前からよく知っている形成外科の医師(三島の初版本等の収集家で知られ、先日の展覧会の展示品の一割以上が彼の出品だったという方で、三島の研究会で知り合った。今回診察に行って、また、三島の楯の会の珍しい夏服の写真をいただいたりした)にしていただく(無論、他の大学病院でセカンドオピニオンも取得した)ので安心だが、今日の手術がうまくいくように神に祈るしかない。
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