夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

恩師の自殺

2005年08月30日 | Weblog
ここ数日、何かに集中していないと、涙が出て止まらなくなる。

オックスフォード大学時代の恩師A先生(54歳)が自殺したという知らせを受けたからだ。

先日出張でイギリスに行った時、12年ぶりに再会し(それまでもクリスマスカード等のやりとりや香港大学進学時の推薦状等でお世話になった)たばかりなのだ。
まさかあれが最後になるなんて思わなかった。

オックスフォード大学は、カレッジシステムを採用しているので、各学生は、所属学部(私は法学部)とは別にそれぞれどこかのカレッジに所属する。私の所属カレッジはサッチャー元首相やノーベル化学賞受賞者のドロシー・ホジキン氏(ロンドンのNational Portrait Galleryにある彼女の肖像画は、研究中の彼女に手が4本あって顕微鏡を見たり、模型を触ったり、ものすごく精力的に実験している様子を描いたユニークなものだ)の卒業したところだ。
各教員も同じように二重の所属をもつが、同じカレッジの教員がTUtorになって、生活全般の面倒をみてくれるのだ。

はじめ、あまりに出来が悪い私を心配して、会う度に「昨日何時間勉強しましたか?一日8時間は勉強しないとだめですよ」といってくれていた。
しかし、だんだん勉強の要領がつかめてきて、学年末試験の成績は、上位10%以内に入り、First Classという表彰までついたのだが、それを知らせる手紙で、「最初の頃、あんなふうにプレッシャーをかけてごめんなさい」と書いてくれた。

A先生の専門は法哲学なので、私は学問上の指導は受けていないが、彼女のうちによばれたり、私も寮の食堂で日本食を作ってご家族をご招待したりして親しくさせていただいた。

離婚して二人の子を持つシングルマザーだったが、結婚していた時は、夫の住むロンドンから赤ん坊におっぱいを吸わせながら車を運転してオックスフォードに通ったという勇敢なエピソードを、私自身が単身赴任の大学教師になってからよく思い出したりした。

その頃から、お子さん二人にそれぞれ難しい問題があり、大変苦労されていることは知っていたが、12年ぶりに会った彼女は、ご自身もdepressionに苦しみ、大学の職も退いていた。でも、お子さんはそれぞれ大学に入ったり専門学校に入ったりして、子育ても一段落したように見えた。

1ヶ月前は、モードリン・カレッジの持ち物であるDooms Bookにも記述のある13世紀から建っている水車小屋を改造した由緒ある家を借りて住んでいらした。

そこを訪ね、今は同業者としてしみじみといろいろな話をした。
12年前の招待したりされたりしたときの写真もきちんととっていてくださって見せてくださった。
ベルギー出身の先生の祖母の家がアントワープ近郊のホーボーケン村にあるというので、そこが舞台になった「フランダースの犬」(他の多くのベルギー人同様先生もご存じなかった)の話をしたり、なんと、A先生も法律より文学の方が好きで、最近詩のコンクールでも入賞し、小説を執筆中だということだった。私も自分の「法と文学」研究の構想について話をした。

最後におっしゃった言葉は、「本当のことを告白すると、私は人生で一度も法学を好きだと思ったことはないのよ」。
もっともっといろいろな話をしたかった。

最後に一目お会いできたのは、虫の知らせだったのか、それならたとえテロに遭ってもやっぱりあの時期にイギリスに行っていてよかったと神に感謝するしかない。
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