夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

ふるさと納税で被災地を支援

2011年03月22日 | Weblog
京都府は個人で被災地に物資を送るのはまだ受け付けていない。

今は義捐金などの現金がいいだろう。

最近、「義援金」という言葉ばかりになっているが、ちょっと前までは、「義捐金」だった。
「捐」という言葉は、「出費する」「懐を痛める」という意味。誰かを「援助する」というというと、助ける方と、助けられる方の立場が違うみたいだが、(義捐金
を出している人を批判しているのではもちろんありません)「義のためにお金を出す」という方が、たまたま災害に遭った人とそうじゃない人の不公平をなくすための出費、だから、当然だみたいな感じがするのでいい。

「捐」という漢字は、金預金取引において、預金者は、名義人か、預入行為者か、それとも出捐者かという論点があり、通説は出捐者だが、最近それでは説明できない最高裁判例がいくつか出ている、という文脈で民法ではおなじみの漢字なんだが。

「捐」という言葉の方が、みんなで痛みを分け合っているような気がして私はいいと思う。

その方が、預けられた方も心して使い道を決めてくれるような気がする。

現金による支援の方法として、ふるさと納税という方法がある。(別に全く縁のない地域宛でもできます)

義捐金詐欺が横行し、そうでなくても、使途がどうなるかわからない、そう考えるととてもいい方法だと思う。

詳しくは、下記、総務省のHPを参照。

http://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/080430_2_kojin.html

私も扶養家族がいないので一人で年間50万円くらい住民税を払っているが(それは昨年住んでいた大阪市の分、来年払うのは京都市になるから、非課税の宗教法人が多いため個人住民税が高く、もっと高額になるだろう)、さっそく恩師のいらっしゃるいわき市に寄付の申し出をした(ただ、その手続は,今はそれどころではないのでずっと後になるだろうが)。

控除の対象になるのに上限があるのは承知の上。


それにしても、「ACのCMが不快」という声が大きく、とくに最後に流れる「エーシー」という甲高い声が耳障り、というので、その声だけが消されている。

家族を亡くした被災者が、親子の姿を見て辛い思いをされるのは仕方ないが、それ以外の人が苦情の電話をかけたりする、そういうヒステリックな反応は馬鹿馬鹿しいだろう。普通のCMのかわりなんだから。そんな電話で回線や電気代を使うのやめてほしい。
今回の震災の支援CMを制作中というから、その作業の邪魔にもなる。

それだったら、前に収録してあったらしい馬鹿騒ぎしているバラエティ番組の内容の方をどうにかすべきじゃないか。

それから、TVに出るアナウンサーやタレントの服装が急にださくなった。どうも、視聴者の反感を買わないように地味な服にしようとして、流行遅れみたいなのになるらしい。喪服にしか見えない服装の人もいる。いつもタンクトップみたいなのを着ている西川史子も白い長袖ブラウスを着ていた。

そういう、形だけ整えておく、というのは偽善的で嫌だ。

明るい色の、センスの良い服の方が、見ている方も明るい気持ちになるのではないか?


それに、この自粛ムードは、1988年に昭和天皇が危篤になった時を思い出して、大政翼賛会みたいで怖い。

井上陽水が日産のCMで「みなさーん、お元気ですか?」といっていたのを、「やんごとなき人が元気じゃないから」という理由で口パクになったり、カラオケなどを大音量でやるなといわれたり、何ヶ月もの間、毎日日刊紙の一面に血圧などのバイタルデータが出てたのを思い出す。

何が本質的な問題なのかを冷静に見極めた方がいい。



ところで、大学生協でも単1電池が売り切れていて、メーカーが出荷をストップしていると表示されていた。

京都みたいなところでさえ買占めしていると、被災地に届かず、死活問題になるのじゃないだろうか?

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