夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

環境変化

2008年04月28日 | profession

引越などで忙しく更新できなかったのだが、4月から他の大学に転職し、久しぶりに夫とも同居している。今度の職場は法科大学院ではない。

理由は、昨年10月17日のエントリーでも書いた(そろそろいいだろう、というのはそういう意味である.また、最後の年なので、ブログに書いたように初めて父を呼んで観光したのである)ように法科大学院制度への疑問があり、批判する論文も発表しているのに、その片棒を担いでいるのが嫌になったこと、そして前任校の文科省への設置申請書における虚偽申請という前代未聞の不祥事を起こすような体質が改まるどころかますます悪化していることである。

ここ2年ほどは家族や友人に「2008年4月1日に、別の大学に移っていなかったら自殺する」と公言していたくらいだ。

それまでも話がないではなかったが、完成年度(新設の学部・大学院が最初の卒業生を出す年、法科大学院の場合は3年。設置・改組の文科省への申請によって、完成年度まではここにいます、と約したことになるとされている。法的な義務かどうかは争う余地があるが、その前に辞めようとすると「完成年度前」を理由に割愛拒否される可能性がある)まで待ったのだ。

現在の大学への採用が教育研究評議会で正式に決定(公募で倍率は200倍以上だった)したのは昨年の6月だった(面接は3月で、大学を囲む疎水に美しい鷺がいるのを見て感動した)が、当該大学から前任校への割愛願いは11月に出してもらうように依頼していた。

というのも、このブログでも書いたことがあるが、2003年に、翌4月から他大学に移ると早めに告知した教員二人が、教授会出席や講義を取り上げられるという嫌がらせをされ、3月までいるつもりだったのに12月にやめさせられるという事件を赴任したばかりの頃につぶさに見ていたからである。

それでもひどい嫌がらせをされたのだが(いずれ活字で発表する予定。恩師からも法曹を養成する機関にあるまじきこのような事件は広く世に知らしめるべきだといわれた。発表すれば私を陥れようとした方の恥・職業不適格になることはもちろんである。無責任な噂に振り回されないでほしい。)

ちなみに今回辞めたのは私一人ではなく、特任教授・弁護士教授以外の常勤教員のうちの4分の1が辞めたのである。

不祥事をリークしたと疑われたことにより前任校で受けた非人道的な嫌がらせの数々がフラッシュバックのように蘇って苦しいことも今だにある。悪い夢だと思って一日も早く忘れたい。前任校への興味からこのブログを読んでいる人は、もう関係ないのでほっておいていただきたい。

まだ新しい職場環境に慣れていないが、研究・教育への取り組み姿勢が意欲的でまともだし、人間関係はすこぶる良い。
何より私が日本で一番好きな町にある大学である。
やっとまともに仕事ができそうである。
今は6月の学会発表の準備に追われている。

何より久しぶりに毎日夫と一緒にいられるのがうれしい。
というのも、「また単身赴任だな」と覚悟していたが、ちょうど夫が隣県に転勤したからである。夫は就職して21年、海外赴任以外は東京以外で勤務したことがなく、初めての国内転勤である。
はじめは大学の近くに住もうと思っていたが、長い研究者生活、夫と同居できる機会はそうないだろう(多分キャリア官僚の夫の職位に合うポストは減ってきているので1年後また転勤するだろうから)と考え、夫の勤務地の県に住んでいる。
遠距離通勤になるが、勤務先はこの4月に新しくできた学部なので、講義は1年目は比較的少ない(だんだん増えていって最終的には大学院とあわせてすごいコマ数になるのだが)こともあり、そう苦にはならない。

追記:これをこの時期に書いたのは、既にウイキペディアの私の項で転職先の名前まで出ていることがわかったからである。あれはあまりに詳しいので私が自分で書いていると思っている人がいるようだが、何度もいうが、私はウイキペディアというものを一切書いたことがない。今回も、まだ転任通知も出しておらず、知っている人は限られているのに書かれてしまい、気持ち悪さがいっそう募る。一体誰があの項を執筆しているのだろうか。といっても悪気はなさそうなので追及する気はないけど。

追記2:危うくネツィーヴ・メラーフになるところだった。ちょっとでも躊躇していれば。

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